gooブログはじめました!よろしくお願いします。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

誕生!E235系F-21編成

2022-11-12 23:39:56 | 鉄道

485系「華」が両毛線、東北本線を郡山までのラストランを見届けたのち、新津から新鋭のE235系F-21編成が長岡車両センター所属のEF64-1032号機を牽引してくる情報を手に入れた。

新前橋を12:29に時速60km/hで通過。おまけにホイッスルを鳴らしてくださった。約1~2分の光景であったが、E235系がEF64型に牽引されながら関東で下る配給輸送は初めて見た。横須賀線、総武本線に新しい顔が登場する。一方で、113系を置き換えたE217系も今では置き換えられる側。1編成また1編成と廃車が進んでいるのは心細い。

今回の配給輸送の編成は以下の通り。

←大宮 EF64-1032(長岡)=<クハE234-1021=モハE234-1321=モハE235-1321=サロE234-1021=サロE235-1321=モハE234-1221=モハE235-1221=サハE235-1021=モハE234-1021=モハE235-1021=クハE235-1021> 長岡→

 

撮影日・場所→2022(令和4)年11月10日・新前橋駅


485系「華」郡山まで廃車回送。

2022-11-12 17:52:27 | 鉄道

2022(令和4)年11月10日(木)、あるtwitterで「485系華が郡山へ廃車回送される」という情報があった。幸い、筆者は仕事が休みであったが、4~5日前に入ってきた情報やったので、急遽、夜行バスや新幹線の手配も行った。バスタ新宿の最寄り駅である新宿→新前橋(途中で熊谷下車)まで埼京線と高崎線を乗り継いで向かった。新前橋には10:40ごろに到着した。この時、「華」はパンタグラフを上げて出区点検をしていた。

11:45、華が高崎車両センターから出区した。

一度、渡り線に入線したのち、向きを変える。特徴あるパープルからの485系も今日で見納め。

11:55、折り返しで新前橋駅3番のりばへ入線。12:01発車なので、ここからは手早く撮影した。先頭の車両はクロ484-4(元クハ481-21)。

モロ485-5(元モハ485-251)

モロ484-7(元モハ484-149)

モロ485-4(元モハ485-87)

モロ484-6(元モハ484-87)

モロ485-4 所属、定員、形式、自重、換算の各表記。

モロ484-6 所属、定員、形式、自重、換算の各表記。

クロ485-4 所属、定員、形式、自重、換算の各表記。

12:01、出発準備が整った。先頭の車両はクロ485-2(元クハ481-21)。駅員の出発合図と同時に電子ミュージックホーンを鳴らし、郡山までの最後の片道切符を手にした「華」は、新前橋駅を発車した。この日は多くの撮り鉄が来ていたが、罵声や怒号、危険行為といったトラブルはなかった。なお、このラストランをもって、1994(平成6)年から始まった485系お座敷列車(最初は「宴」)は28年の時をもって引退し、485系の1つの時代が終わった。このまま数日後に廃車となれば、クロ484、モロ484、モロ485、クロ485の4形式は廃形式となり、かつグリーン車も消滅となる。

編成は下記の通り。

←新前橋<クロ484-4=モロ484-7=モロ485-5=モロ484-6=モロ485-4=クロ485-2>郡山→

撮影日・場所→2022(令和4)年11月10日(木)・新前橋駅


D51-916号機

2022-11-12 16:57:55 | 鉄道

11/10(木)、紹介が前後するが、群馬県前橋市の「前橋こども公園」にD51-916号機が保存されている。

屋根付きで保存されている916号機は、1948(昭和23)年~1975(昭和50)年まで北海道の各機関区で活躍していた。コの字手すり、切り詰め除煙板、密閉型キャブが特徴的である。筆者が目視で確認した限り、錆びは少なかった。

D51-916号機説明版。SLの仕組みと走行方法が掲載されていた。916号機の経歴は画像右上の通り。32年活躍し、そのうちの半世紀以上は北海道の各機関区で旅客や貨物輸送で活躍した(画像をタップすると拡大できます)。

側面のナンバープレートは公式側、非公式側ともに残存していた。対して、日本車輌製造銘板と換算銘板(空9.0/積12.5)は公式側、非公式側ともになくなっていた。実際、銘板類が取り付けてあったと思われるネジやその跡が確認できる。プレート横のネジはタブレットキャッチャーが設置されていた箇所と思われる。

D51-916号機動輪。直射日光の当たる場所は塗装の退色や雨風、雪による老朽化が見られるが、916号機はそれが少ない状態であった。刻印を確認するも殆どの箇所で「D51916」と打たれていた。ただ1つを除いて。

それは、右心向棒(画像中央に1直線に伸びた棒。車軸が横の方向にずれないように車軸と台枠に配置したリンクロッド。ぜんざいはトラックやバスに採用が多い。)である。

拡大すると重ね数字で分かりにくいが「Ⅾ51293」と確認できた。293号機は、調べるとギースル式煙突を装備した特徴あるD51型であった(形態は349号機とほぼ同じ)。

デンター(炭水車)。前照灯がデンター上に装着されているのが北海道型の特徴。

登場が1943(昭和18)年12月なので、上記ドームは先述の917号と異なり、かまぼこ型なのが特徴。

ここは、プラットホームを模した設備がある。ベンチもあって駅のようなスタイル。

駅名は「子供公園」。実在したらおもしろい。

キャブ(電車でいう乗務員室)は密閉型。立ち入ることもできるが、運転席は破損・盗難防止や安全面の観点(アスベストなど)からアクリル板で保護され、立入禁止となっていた。

上記3枚はアクリル板の隙間から運転席を撮影したもの。盗難・破損なく残っていた。

916号機を真正面から。訪問が14時なので、画像のような逆行となってしまった。

廃車から47年が経過したD51-916号機。同機とは縁もゆかりもない前橋市に保存された今、前橋市のシンボルとして第2の車生を送っている。

撮影日→2022(R4).11.10(木)

場所→群馬県前橋市西片貝町「前橋こども公園」

アクセス

1.JR両毛線前橋駅から徒歩17~18分

2.上毛電鉄城東駅から徒歩1~2分

3.マイバス東循環線児童文化センター下車すぐ。


D51-917号機

2022-11-12 15:05:14 | 鉄道
2019(平成31)年岡山県警察年頭視閲式終了後、JR岡山駅より徒歩15分の「下石井公園」にD51型蒸気機関車が保存されているのを知り、スマホナビで検索して現地まで行った。
 
現地に到着。画像右奥の黒い車体に屋根がついた場所がそれである。
 
黒くかつ無骨な車体に屋根付きで保存されているD51-917号機。時期は不明も再整備と再塗装が行われていたため、機関車の状態こそ悪くないものの、ボイラー上部は土埃が被っていた。
 
ナンバープレートは、公式側ないし非公式側は残存していた。一方、日本車輌製造銘板と換算銘板(空9.0/積12.5)は、公式側は残っていたが、非公式側のみなくなっていた。実際、銘板類が取り付けてあったと思われる穴が確認できる。
 
キャブ内(電車でいう乗務員室)。
機関車周囲は柵で囲んでいるため、キャブ内の立ち入りは転落による怪我やいたずら防止の観点から不可能となっている。土埃こそ被っていたが荒廃は少ない。ただし、計器類の部品の欠損・破損は何箇所か見られた。さらに、キャブ窓もなくなっていた。投石による破損の可能性が高い。
 
動輪。主輪棒は、赤や緑で塗られている。このようなスタイルで静態保存されているSLは珍しい。
 
煙突。画像では分かりにくいと思うが、浜田、新見機関区時代に集煙装置(→煤煙の排出を抑えた装置。主に勾配の大きい山間部の路線に多く設置されていた)を取り付けていたため、短くなっているのが特徴。
 
ボイラー上の蒸気ドーム。
前照灯。本体は欠品なく残存しているものの、全面は板で封鎖されていた。デンター(炭水車)は電球とレンズはない。
ATS発電機。
 
場所は、岡山県岡山市東区の下石井公園。かつては近くに、2002(平成14)年に廃校となった岡山市立出石小学校の校門がある(画像上)。
◯D51-917号機の生い立ち◯
1943(昭和18)年12月20日→日本車両名古屋工場製
1944(昭和19)年1月→函館機関区(北海道)へ新製配置。この間、耐寒耐雪工事が施工された。
1945(昭和20)年5月→五稜郭(ごりょうかく)機関区転属(同)
同年8月→盛岡機関区転属(岩手県)
1958(昭和33)年1月→ボイラーを新缶に交換した。
1968(昭和43)年9月→浜田機関区転属(島根県)
1971(昭和46)年12年→新見機関区転属(岡山県)
1972(昭和47)年3月→廃車。最終配置は新見機関区。
同年9月→下石井公園へ保存、現在に至る。
 
撮影日→2019(平成31)年1月17日(木)
場所→岡山県岡山市下石井公園