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サシ581-34 ※早急な整備または手続きを求む‼

2022-10-29 23:02:28 | 鉄道

岡山県吉備中央町の山奥にひっそりとたたずんでいる食堂車。それは、581、583系食堂車のサシ581型34号車である。サシ581型は、1967(昭和42)年~72(昭和47)年までの間に35両が製造された。画像のサシ581-34は最終車両にあたる。サシ581型は新幹線開業や国鉄の財政赤字、さらには車両の老朽化により、1985(昭和60)〜86(昭和61)年までに全車廃車となっており、JRには1両も引き継がれていない。他方、同車を個人が買い取って喫茶店を開いたり、レストランを経営するなど全国に見られたものの、そのほとんどは90年代のバブル崩壊等や所有者が亡くなった、または経済的な事情で廃業に陥り、車両のみが手つかずのまま放置→解体撤去された車両も少なくない。

手前の太陽光パネルが障害物となっているが、間違いなく「サシ581-34」である。ただし国鉄色でなく、ミント×淡い青色をまとった寒色系の塗装なのが特徴である。かつては、お食事&喫茶店として営業していたが、現在は廃業(廃業理由は不明)し、車両自体は荒廃していた。
 
サシ581型の特徴といえば、簡易運転台が備えられていること。本来なら「クシ581」の形式となるが、営業での運用は想定していないため、付随車の扱いとなっている(簡易運転台はいわゆる、電車区・運転区構内での車両の入れ替えや編成変更に使われた)。

簡易運転台の画像をさらにUPしたもの。前照灯と尾灯のレンズが破損なく残っていた。

サシ581-34車両番号。ステンレスの輝きは失われつつも切り抜き文字は欠損なく健在。

製造銘板。昭和47年日本車両製。活躍期間はわずか約14年と短命。

食料品専用搬入ドア。ここは、錆が酷く、塗色も剥離していた。

カーテンも、横引きカーテンでなくブラインドを採用している。これは廃車当時のままとなっている。

喫茶店名は「LAILWAYフレンド」。営業当時、ここを利用されたお客様もいらっしゃったのではないか。フレンドの「ド」の濁点が★2つなのもおもしろい。

わずかであるが床下機器も確認できた。しかし、床下機器も荒廃しており、一部の部品が抜き取られたり盗難に遭っていた。また、車体にスプレーで落書きされた箇所も痛々しい。
 
TR69D台車。太陽光ソーラーパネルの支柱で干渉しているが残っていた。しかも、レールの上に乗った状態で。

TR69D台車  銘板(東急車輌製)。

「ST54258?3」の刻印が残っている銘板。製造番号か?。

既に廃業となっているため、敷地内は立ち入り禁止となっている。加えて、所有者も2022年現在不明である。しかし、貴重な581、583系電車の残党であるため、早急な整備もしくは手続き(保存か解体撤去か)を望みたい。なお、個人所有のため、詳細な場所においては伏せさせていただく。ちなみに、手前のスイフトは自分のマイカー。
 
撮影日→2019(平成31).1.17(木)
場所→岡山県吉備中央町
 
〇車両概要〇
製造番号→サシ581-34
製造年月→1972年
製造メーカー→日本車輌豊川工場製
経歴
1972(昭和47)年南福岡電車区へ新製配置。
1986(昭和61)年廃車

EF64-18号機

2022-10-29 22:47:31 | 鉄道

国鉄直流電気機関車EF64型。通称:ロクヨン
山岳地帯の路線(中央本線、奥羽本線、上越線、信越本線など)で電化が進む一方で、急勾配に対応できる電気機関車が必要とされた。なかでも中央本線(東京~塩尻~金山間)は、一部区間で約30‰(パーミル)【→1000m進むごとに30mの高低差がある】強の勾配があるため、途中の路線または駅構内で機関車が立ち往生しないようにそれに対応できる電気機関車が本形式である。なお、1980(昭和55)~82(昭和57)年にかけて、同1000番台も旧型の電気機関車置き換え用で1001~1053号機が長岡機関区(現:JR東日本長岡車両センター)に導入されている。

そして、ここJR中央本線の勝沼ぶどう郷駅に国鉄EF64-18号機が静態保存されている。車両の状態は普通で、一部箇所に錆が浮き出ていた。また、塗装も部分的に補修しているような状態(パッチワーク)であり、綺麗な姿ともいえない。

 
ナンバープレートは、全面・側面ともに、切り抜き文字を使用。東芝製の車両銘板も健在。
 
EF64-18号機の説明板。
同機の車両経歴は画像右下に掲載されている(画像をタップすると拡大できます)。38年10ヵ月の間、甲府→立川→八王子→篠ノ井(長野県)と、中央本線エリアで活躍していたことから、保存が叶ったと考えられる。

現役機を彷彿させるアングル。

「JR貨物」銘板。

「10-3大宮工場」検査表記。現在は、JR東日本が「大宮総合車両センター」に、JR貨物は「大宮車両所」に名称変更されている。

1エンド、2エンドに備えられている「DT120A型台車」。上は1966年東芝製。下は1994年川崎重工である(それぞれの台車の銘板を確認済)。

中間台車の「DT121A型台車」は1966年東芝製(台車の銘板を確認済)。

公園内に保存されているが、機関車周辺を囲む柵等がないことから、床下機器類もじっくりと観察できる。画像は空気溜めタンク。

EF64-18号機は、2005(平成17)年3月30日に廃車となっているが、その後もJR中央本線の列車を見守っているに違いない。なお、同機の後継機関車は、JR貨物EH200型電気機関車が役目を担っている。一方で1000番台車は、JR東日本所属はそれぞれ長岡と高崎に、JR貨物所属はすべて愛知機関区へ転属した。
 
撮影日→2019(平成31).4.29(日)
撮影場所→JR勝沼ぶどう郷駅付近

クハネ581-35

2022-10-28 00:28:54 | 鉄道

1967(昭和42)年、世界初の昼行、夜行を兼用で運用できるように設計、製造された581系。翌1968(昭和43)年には583系も登場した。日中は特急列車、夜は寝台特急として運用され、北は青森から南は西鹿児島(現:鹿児島中央)まで足を延ばした。特急では、月光のほか、なは、明星、はくつる、ゆうづる、はつかり、雷鳥、しらさぎ、有明、みどり、JR以降は、シュプール(スキー臨)、急行きたぐに、あおもり、東北夏祭り号、さらにはJR東日本では、甲子園臨、リバイバル列車といった臨時列車に使用された。しかし70~80年代になると、新幹線の開業によって廃止や置き換えが相次いた。また、昼夜を問わず走行していたため、車両の老朽化や金属疲労も早まった。さらには、昼行特急の運用時、座席は固定ボックスでリクライニングできない面や、寝台→座席(または座席→寝台)への変換作業の手間(または、乗客が勝手に座席または寝台を操作してトラブルになった)などの使い勝手によって時代のニーズに合わなくなり、84年には、全体の3割強が419系、715系といった近郊型電車に改造されてしまった。JR化後も東日本や西日本で残ったが、西日本は2012年に急行きたぐにが廃止となり、東日本はゆうづる、はつかりとはくつるがそれぞれ1993年、2002年に廃止となって以降、各1編成ずつ仙台や秋田に転属し、波動用で残っていたが、どの編成も2017年までに廃車、形式消滅となった。

それから、2016年に京都鉄道博物館にかつて「きたぐに」で使用されたクハネ581-35が保存されることとなった(その後、台湾でもモハ582・583-106の2両も保存)。保存に際し、国鉄色への塗色変更、JNRマーク取り付けが吹田総合車両所で施工され、往年の輝きを取り戻した。

581、583系は1967年に最初に導入された寝台列車として「月光」のヘッドマークが掲載された。それにちなんで「月光型」とも呼ばれた。

「月光」ヘッドマーク(九州鉄道記念館のクハネ581-8も同様に掲載)。

行先表示も「月光 博多⇔新大阪」。当時、山陽新幹線が未開業であった当時はこのような長距離列車が充当された。撮影当時、期間限定で車内の公開もあったので、あわせて紹介する。

広い車内に特殊な設備を持った列車。当時の設計や製造に関わった人たちは苦労されたに違いない。

昼行列車運用時の座席の状態。当時の近郊通勤型、急行列車と異なり、シートピッチは広い。

寝台列車運用時の状態。当時は高速道も少なく、夜行バスはなかった時代。飛行機(国内線)はあったが、現在みたいに安くなく、むしろ高かった。多くの乗客を乗せられるように電車3段式ベッドの設備を持った列車はほかにない。

下段。ここは客室から窓を眺めるとあって設備的にはいい。

中段。下段と比べてやや狭く、上段もあるため、窮屈に感じるように思う。窓はあるも小さく、覗くくらいしかできない。荷物を置けるスペースも限られる。

上段。中段と比べると、屋根のカーブがあり、窮屈に感じるようだ。また、ベッドが高い位置にあるので、列車の揺れが大きく、トイレに行く時、洗面所で身支度をする時にはしごで登り降りする際も苦労すると思う。

これは、実際に寝台列車で運用されていた時の風景。リネン類まで再現されていた。

洗面所。朝の混雑緩和のために洗面所は2つ設置されている。

〇車両概要

車両番号:クハネ581-35

製造年月:1968.8.28

製造メーカー:日立製作所笠戸工場

経歴

1968.8南福岡電車区へ新製配置。

1975.3向日町電車区(現:JR西日本吹田総合車両所京都支所)へ転属。

90年後半:延命工事施工

2000年代後半:ATS-P設置

2015.2~3廃車

2016年京都鉄道博物館にて静態保存、現在に至る。


鬼太郎列車キハ40-2115

2022-10-27 23:21:30 | 鉄道

約3年前になるが、京都鉄道博物館で2019(令和1)年9月7日~12日までの5日間、京都鉄道博物館「車両の仕組み/車両工場」で16日まで開催の「鳥鐵ノススメ写真展」に合わせて鬼太郎列車の「キハ40-2115」が特別展示された。

それぞれ、1エンド、2エンドより撮影。画像の鬼太郎ラッピングは3代目であり、2018年にリニューアルされた。行先表示はそれぞれ「境港」「若桜」。

キハ40-2115は1981(昭和56)年5月10日新潟鐵工所(現:新潟トランシス)製。会社名は変われど「新潟鉄工」の銘板が車体や車内に残っているのは幸い。

キハ40-2115 車両番号。

キハ40-2115 検査表記・形式、自重、換算表記

乗降口に入ると、整理券発行機の隣に珍しい機会が設置されていた。これは、JR西日本が初めて導入した「車載型IC改札機」。2019(平成31)年3月16日から利用が開始された。たとえるなら、バスと同じ方式で列車に乗るという解釈。これの導入で、降車前に両替→現金精算という手間や列車遅延がすぐなると思う⁉︎

キハ40-2115運転台。狭い運転台に所狭しと機器が設置されている。運転席のシートもモケットは変わっていたが、形状は登場時のまま。

キハ40-2115助士席。2両以上の連結ではこの部分が解放されてここに乗った鉄道ファンはいるのではないか。現在はそれができるかは分からない。

さて車内に入ってみよう。

ボックスシートの背シートには「鬼太郎」のキャラクターが掲載されている。鬼太郎列車は、普段は境港線を中心にワンマン運行しているが、ぱっと見、観光列車のような車内設備のようだ。

ボックスシートの形状は一緒も背シートの鬼太郎のキャラクターデザインは2種類ある。

ロングシートも同様に背シートに鬼太郎のキャラクターデザインが掲載されている。また、優先座席は207や321系と同様の緑モケット。

トイレの壁面は鬼太郎と目玉オヤジがお出迎え。背景は大山(だいせん)であろうか。

・車両データ

キハ40-2115

1981.5.10新潟鐵工所製。新製配置は西鳥取。

1988.3米子(のちの後藤総合車両所)へ転属。

2004.6車両延命工事施工(→後藤総合車両所)、現在に至る。

・撮影日:2019.9.8

 


C57-11号機

2022-10-26 06:10:33 | 鉄道

「貴婦人」「シゴナナ」の愛称で親しまれたC57型蒸気機関車。1937年に誕生した同機は、1947年までに207両(国内機は1~201号機、台湾への輸出機CT270型蒸気機関車271~276号機を含む)が製造された。北は北海道から南は九州まで日本全国の国鉄路線で旅客や貨物を中心に活躍した。
そのなかでも、兵庫県豊岡市にC57‐11号機が静態保存されている。しかも、同機はわずか5両(8~12号機がそれに該当する)しか製造されなかった「汽車会社大阪工場製(現在のJR安治川口駅付近にあった)」の「シゴナナ」である。

真夏の夕日を浴びるC57‐11号機。1946(昭和21)~60(昭和35)年に門司機関区(福岡県)に在籍し、特急かもめ専用機で活躍した実績を持つ。また、九州を中心にみられた「K-7型除煙板」(国鉄小倉工場製作の切り取り式除煙板)を装備しているのが特徴である。この型のシゴナナは、ほとんどが九州地区で保存されているが、それが本州に、しかも兵庫県で保存されているのは珍しい。


デンター(炭水車)。

同機の経歴は以下の通り(画像をタップすると拡大できます)。

C57-11号機のナンバープレート、「豊岡機関区」区名札、換算プレート、製造銘板。しかし、製造銘板は「昭12・汽車」と表示されたこじんまりな戦時型となっている。
 
「K-7型除煙板」を拡大。国鉄小倉工場製作の切り取り式除煙板は10種類が製作された。
 

福知山、豊岡機関区転属後に装備されたキャブ窓の増設(画像中央の楕円形の窓)と運転席のつらら切り(画像左)。
 
動輪(2C1パシフィック)。刻印は機関車周囲を柵で囲んでいたため確認できず。
 
現役機のような光景。なお、画像の腕木式信号機はのちに設置された。

〇撮影データ
撮影日:2019(令和1)年8月11日(日)
場所:兵庫県豊岡市中央公園(アクセス→JR豊岡駅から東へ徒歩15分)