7月11日
早朝5時。
目覚めとともに、お天気の良い島牧を散歩することに。
ここは大昔泊まったことのアルユースホステルがあるので、そこまで行ってみようとロックと出かけた。
途中、会った人にユースホステルまではどのくらいありますか?と、聞いたら、”2キロくらい先のはずれにあるので散歩には丁度良い距離だよ”と教えてもらい、原発は?と聞くと、”ここから50キロくらい離れたところにあるけど、やっぱり心配だよねえ。風向きではこっちに流れてくるもの。それに明日は、奥尻の地震から20年経つからねぇ”と、現実的な言葉が出てきた。
これは実際の海抜。いたるところに色々な数字がはってあった。
津波の予想が、10mだとしたらここより高いところに逃げなさいという意味らしい。
ユースの近くに行ったら道の駅が、しかも24時間使用できる水洗トイレがあったのでラッキー。
そして悲劇が始まった。
決して便秘ではなかったのだが。
どうしてもよくならないので、民宿に何とかして帰った。
食事も出来ない。ただお茶を少し飲んだだけ。
激しい腹痛を伴う痛みで、もう、歩くことさえままならない状態になってしまった。
少し休んでいくか?と言う夫の言葉にも、トイレの無いところ(水洗)にはいられないと言って、出かけることにした。
幸いなことに、渡島檜山地方の日本海側には沢山の道の駅があったので、何とか頑張りきることが出来たのです。
遠くにかすむ、泊原発です。元気なら傍まで行きたかったのでけれど、、、、。
そして夫は、今回もスピード違反で捕まった。(余談ですが。)
余市では夫に、ニッカウヰスキー工場の見学に行ってもらい、私とロックは車中でお留守番。
積丹ではうに丼を食べてもらい、私とロックは車中でお留守番。
小樽では、ロックと一緒に倉庫を観光してもらい、私は車中でお留守番。
ひたすらお水と、ポカリスエットだけを飲み続ける。
私だって15年ぶりくらいの小樽だから散策してみたかった。
でも、動くに動けない状態なのでひたすら我慢。
おりしもお天気は今までの中で一番良い天気。
夫のカメラの腕前はこんなものです。
ロックさえ被写体に入れられない。
今日の宿はログペンション パインハウス
予約していた食事は夫だけにしてもらい、2人前あったらしい。ひたすら寝ることにした。
トイレが部屋に無いので、夜中も気を使いながら何度もいくは目になったが、だんだんと落ち着いてきたようだった。
12日、朝、温泉に行くことにした。
ペンションの近くにある、湯の花
9時から始まる1番風呂に入りましたの。
贅沢!贅沢!。
今だ体調は万全ではないものの、温泉に入りリラックスし、リカバリーを図ります。
その後は小樽市内散策へ。
何とか歩けるまでに体調は回復。
そんな私に気遣いもなく、すたすたと行ってしまう男共。
小樽も他の都市と同じく、ちょっと前までは古びた家はそのまま朽ち果てていたのですが、
古い家を少し手直しして、観光に結びつけると言うアイディアで見事復活した街です。
そして、北一硝子。
ここへ来ると必ず何かを買って帰ります。
今回はラベンダー色のお醤油さしと、熱燗のできる硝子の徳利、ぐい飲みを買いました。
長女夫婦には、温かくなると色の変わる硝子マグのカップと、おそろいの醤油さしを買いました。
沢山の外国の観光客が来ており、東南アジアからの人が多かったような気がする。
中国語や韓国語とは明らかに違うので。
とにかく俺はもてるのさ。
言ってる言葉はわからないけれど、ほめているのだけは解るぜ!!
中には俺を写真に撮ってもいいかなんていう人がいて、俺をハグした写真が撮りたいなんて言ってきて、てれるぜ!!
夫はソフトクリームが食べたいなんぞと言って、自分だけ食べていた。
ロックにも少しおすそ分けをしたらしい。
私に言うと怒られるので内緒にしていたがすぐばれる。
その後お墓参りをし、夕方5時過ぎ札幌の姉のうちに到着。
最近はおばさんのうちでも、フリーにしてもらえるので、俺はやりたい放題なんだ。
12日、13日もほとんど何も食べず、水とポカリスエットと、ビールを少々。
おばさんのうちでも、お父さんください!!
自分ばかり食べるなんてむごい!!
お願いしますで、少々ゲット!!やりい!
13日、大通り公園と、藻岩山に行って来た。
早朝5時。
目覚めとともに、お天気の良い島牧を散歩することに。
ここは大昔泊まったことのアルユースホステルがあるので、そこまで行ってみようとロックと出かけた。
途中、会った人にユースホステルまではどのくらいありますか?と、聞いたら、”2キロくらい先のはずれにあるので散歩には丁度良い距離だよ”と教えてもらい、原発は?と聞くと、”ここから50キロくらい離れたところにあるけど、やっぱり心配だよねえ。風向きではこっちに流れてくるもの。それに明日は、奥尻の地震から20年経つからねぇ”と、現実的な言葉が出てきた。
これは実際の海抜。いたるところに色々な数字がはってあった。
津波の予想が、10mだとしたらここより高いところに逃げなさいという意味らしい。
ユースの近くに行ったら道の駅が、しかも24時間使用できる水洗トイレがあったのでラッキー。
そして悲劇が始まった。
決して便秘ではなかったのだが。
どうしてもよくならないので、民宿に何とかして帰った。
食事も出来ない。ただお茶を少し飲んだだけ。
激しい腹痛を伴う痛みで、もう、歩くことさえままならない状態になってしまった。
少し休んでいくか?と言う夫の言葉にも、トイレの無いところ(水洗)にはいられないと言って、出かけることにした。
幸いなことに、渡島檜山地方の日本海側には沢山の道の駅があったので、何とか頑張りきることが出来たのです。
遠くにかすむ、泊原発です。元気なら傍まで行きたかったのでけれど、、、、。
そして夫は、今回もスピード違反で捕まった。(余談ですが。)
余市では夫に、ニッカウヰスキー工場の見学に行ってもらい、私とロックは車中でお留守番。
積丹ではうに丼を食べてもらい、私とロックは車中でお留守番。
小樽では、ロックと一緒に倉庫を観光してもらい、私は車中でお留守番。
ひたすらお水と、ポカリスエットだけを飲み続ける。
私だって15年ぶりくらいの小樽だから散策してみたかった。
でも、動くに動けない状態なのでひたすら我慢。
おりしもお天気は今までの中で一番良い天気。
夫のカメラの腕前はこんなものです。
ロックさえ被写体に入れられない。
今日の宿はログペンション パインハウス
予約していた食事は夫だけにしてもらい、2人前あったらしい。ひたすら寝ることにした。
トイレが部屋に無いので、夜中も気を使いながら何度もいくは目になったが、だんだんと落ち着いてきたようだった。
12日、朝、温泉に行くことにした。
ペンションの近くにある、湯の花
9時から始まる1番風呂に入りましたの。
贅沢!贅沢!。
今だ体調は万全ではないものの、温泉に入りリラックスし、リカバリーを図ります。
その後は小樽市内散策へ。
何とか歩けるまでに体調は回復。
そんな私に気遣いもなく、すたすたと行ってしまう男共。
小樽も他の都市と同じく、ちょっと前までは古びた家はそのまま朽ち果てていたのですが、
古い家を少し手直しして、観光に結びつけると言うアイディアで見事復活した街です。
そして、北一硝子。
ここへ来ると必ず何かを買って帰ります。
今回はラベンダー色のお醤油さしと、熱燗のできる硝子の徳利、ぐい飲みを買いました。
長女夫婦には、温かくなると色の変わる硝子マグのカップと、おそろいの醤油さしを買いました。
沢山の外国の観光客が来ており、東南アジアからの人が多かったような気がする。
中国語や韓国語とは明らかに違うので。
とにかく俺はもてるのさ。
言ってる言葉はわからないけれど、ほめているのだけは解るぜ!!
中には俺を写真に撮ってもいいかなんていう人がいて、俺をハグした写真が撮りたいなんて言ってきて、てれるぜ!!
夫はソフトクリームが食べたいなんぞと言って、自分だけ食べていた。
ロックにも少しおすそ分けをしたらしい。
私に言うと怒られるので内緒にしていたがすぐばれる。
その後お墓参りをし、夕方5時過ぎ札幌の姉のうちに到着。
最近はおばさんのうちでも、フリーにしてもらえるので、俺はやりたい放題なんだ。
12日、13日もほとんど何も食べず、水とポカリスエットと、ビールを少々。
おばさんのうちでも、お父さんください!!
自分ばかり食べるなんてむごい!!
お願いしますで、少々ゲット!!やりい!
13日、大通り公園と、藻岩山に行って来た。