源氏物語の研究は、当初、和歌についてや、表現の説明・準拠(モデル)論等が主で、物語そのものの批評というものは、鎌倉時代始めの『無名草子』まで、著作として残っているものはありません。
もっとも、『更級日記』の作者が、「私も大きくなったら、とても綺麗になって、光源氏に愛された夕顔や、薫大将に愛された浮舟のようになりたい」と書き残しているくらいですから、親しい同士の話には、感想・好き嫌いなど、多様だったと思います。ただし、そんな仲間内のおしゃべりを、書いておく人(女性!です。男性知識人の著作は、研究ですから)はいなかったでしょう。
『無名草子』、作者は分かりませんが、女性です。内容は、源氏物語以外にも、平安時代の物語・歌集・有名な女性たちについてなどの、(悪い意味ではなく)美的・情緒的・感傷的批評が述べられています。
主観的とも言えますが、当時の読者の好みや傾向が窺われて、面白いものです。女君たちの評価もそのひとつ。
めでたき女
女性として、もっともすぐれて美しい人たちのことを言っています。
この「めでたし」という讃辞、清少納言も、定子様のすばらしさを表現するときに、最後にこの言葉に落ち着いています。現在想像するよりも、はるかに重みのある言葉と思います。
桐壺の更衣 藤壺の宮 紫の上。これは、妥当な人選でしょう。
興味深いのは、葵の上の「我から心もちひ」があげられています。あの毅然とした美しさが評価されたのですね。そして、あれほど「めでたかりし葵の上」の子の夕霧に、花散里を義母としたのは、不満だそうです。
いみじき女
特に印象的で魅力があるという感じでしょうか。
明石は「心にくくいみじ」で、「めでたし」と「いみじ」の間に位置するようです。
朧月夜、光源氏の流された原因もいみじき理由。朱雀帝が、彼女の涙を「誰のためか」と言ったところ。確かに、あの場面は出色です。
朝顔の宮。あの光源氏を振った心の強さが、いみじです。
宇治の大君。
六条御息所方の女房、中将の君の光源氏を送るときの応対もいみじです。