前回の、紫式部・藤原公任の心理バトルについて一言、です。
1008年9月11日、後の後一条帝の「五十日の祝い」が道長邸で盛大に行われました。大宴会のさなか、泥酔状態で女房にからみつくお偉いさんもいる中、公任様(当時左衛門督、あの柏木は右衛門督)が、式部さんの近くにに来て、「恐れ入りますが、このあたりに若紫の君がおいでですか」と言ったのです。
これに対して式部さんは、後に『紫式部日記』に、「源氏の君に似ていらっしゃる方もいないのに、あのお方(若紫)はましておいでのはずがないと、その言葉を聞いていた」と書きました。
公任様は、当然式部さんをなめています。この自分が、女子供の喜ぶ源氏物語なんかを読んでいて、しかも女房風情を若紫なんかに喩えて(でも若くもない彼女を若紫なんて呼ぶのは実は嫌味になることを意識してたのかな? 不明・疑問)、さりげなく花を持たせたつもりでしょう。道長家の看板女房ですからね。
同僚の女房が「あの方の前に出ると、歌を詠むのは勿論、声使いまで緊張して…」という、後には「三船の才」・「和漢朗詠集」で知られる、あの知のカリスマから、「源氏物語の作者がいるんだね。読んでいるよ、さぁ若紫よ、出ておいで。褒めてあげたいね」というお言葉をかけていただいた、という場面です。
式部さんの思いは、「あなた様は、源氏の君のおつもりかしら。とてもとても…。 そんな方はいらっしゃらないのですよ、この世には。理想ですもの」と、冷たく黙って御簾の向こうに座っていたのです。こういう沈黙って、どちらにとっても怖い時間でしょうが、式部さんは作家の目で見てたんですね、きっと。
このエピソードはよく話題にされ、公任に対しての紫式部の識見等、後世の評価はなかなか高く、さすがの公任もかたなし、と言われています。
それはそうですけれど、主家のコンパニオンでもある女房としたら、これでは務まりませんね。お歴々には、少納言さんみたいに、発止! と受け止めなくては。主家の評判にかかわります。