
「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」を見た。
大森監督と安藤サクラちゃんが興味を引かれたポイント。
大森監督前作の「ゲルマニウムの夜」は原作ありきで、今回はオリジナルのようだ。
だからか、「ゲルマニウム」ほど物語を覚えていないということはなかったけれど、手触りは似ていた。
「ゲルマニウム」の印象は、最後の方の広田レオナさん演じるシスターが馬小屋にいた昼間?真っ白な背景、真っ白な太陽光、それまでがタイトルでいうだけありダークで夜の印象が続いた中で表れた白、コントラストがあった分余計印象にあるのかもしれない。あの不思議な画面。でも、今でも時折なぜか思い出すのです。まるでシュールレアリスムの絵画のよう。
あとはたしか主人公が誰かの口に石をほおばらせた状態で殴り続けるという残虐極まりない暴力シーン。。><
あとは。。ぶっちゃけて大森南朋さんからの流れも否定できない。今は昔ほど熱烈じゃないけど、やっぱり「ヴァイブレータ」の大森さんは卑怯です。今でも気になる俳優さんだし、私などがどうこう言うまでもなく、あれはあくまできっかけであり、今や大森さんは俳優として存在感や演技が素晴らしい貴重な俳優さんで。
そしてお父さんも結構好き。。とにかく大森家の面々は私を惹き付ける。
前作「ゲルマニウム」は、嫌いではないんだけど、量産される映画よりは断然好きなんだけど、でも正直よく分からなかった。。でもまだ先を見てみたい大森監督だった。
この「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」、タイトルが素晴らしい。
なにはともあれタイトルはグッド。スタートダッシュ、掴みはO.K。(偉そうに)
でも、内容は、ちょっといろいろ言いたいことがもやもやと。。。
ネタバレすみません
結局、これは3人の国を作るとか、3人の国へ行く、逃げる、とかいう話ではないのですね。。
多分、タイトル、「ケンタとジュンと」「カヨちゃん」の間に「、」を入れるべき結果なように思う。
ケンタとジュンはお互いがお互いしか最終的には居なくて、二人だけで絶望してしまった。
カヨちゃんは、彼女の望んだことではないけれど、彼女はきっとジュンと居たかったし、ジュンと居られるならケンタがおまけ(^^;でくっついていようとよくて、とにかく二人とまだまだ、きっと永遠に居たかったと思うけど、結果的には独り置き去りにされた。
どういう意図なんだろ。。。大森監督。
カヨちゃんは独りでも自分の王国を作れる存在として描いたのだろうか。
それは、カヨちゃんという個性の持ちうる王国でもあり、あるいは、女性だから、女性性の底力、男性では持ち得ない強さを描きたかったのだろうか。
でも、期待通り、期待以上に、安藤サクラさんは良かった。
なんなんだろう彼女のすごさは。どこからあの演技や野性味が出てきているのか。
劇中の設定で言われるまでもなく、私が今まで見たサクラちゃんの中で断トツにブス(^^;
ブスなのに、えもいわれぬ魅力がある。目が離せないのだ。いや、たまに直視できない時も。。(ごめんなさい、サクラちゃん)見ているこちらが見てはいけないものを見てしまったような気持ちにさせられるというか。でも、日本中探して誰が、観客にこんな風に思わせる女優がいるというのだろう。サクラちゃんの他にいないと思う。
婉曲に「個性的」という表現で表せる女優さんはたくさんいる。「ファニー」とか。それは世界中にたくさんいる。私はそんな女優さんがやはりどちらかというと好きだ。
でも、「個性的」をツッ飛ばしてもう、「ブス」とずばり一言で言い切りたくなる女優は日本どころか世界にもそれほどいないと思う。
でもここでいう「ブス」は、いわゆる美人や可愛いとは容姿上言えないけれど、味わいがあるとか愛嬌があるとか、でも才能はあるとか、性格が素敵とか、そんな後付けや言い訳などむしろ邪魔!!そんな言い訳つけて「ブス」という言葉を汚すな!!と言いたくなるような、むしろ最上級の賛辞の言葉として、安藤サクラさんに捧げたいのです。
劇中、さんざんな扱われようされたカヨちゃんは結構長いこと物語から姿を消す。
その時間の物足りなさと言ったら。。
そして、ある時カヨちゃんは突如また登場。私は不細工ちゃんな野良猫が1ヶ月くらい姿を消して、「死んじゃったのかな」と心配になったところでひょっこりまた姿を見せてくれた時のような(^^;)喜びを感じました。見たかったよ~(”会いたかった”じゃないところが、、、私も劇中の男達と同じひどいカヨちゃんへの扱いをしているような。。)カヨちゃん!
でも、ずっと「愛されたい」ばっかり言っていたカヨちゃんが、「ジュンを愛しているって気づいたの」と、「愛している」と口にしたシーンでは胸がぎゅっとなった。
それから、また全然違う話になるけれど、もう一つ、ケンタ達が兄の収容されている網走の刑務所に着いて、ケンタが兄との対面を果たした場面。
もうどう見ても何も見えていない、何も感じていない、希望などあるはずもない、かといって自暴自棄とも違う、そんなのはとうの昔に通り過ぎて、もう無機質な存在となっている兄が、弟ケンタの「お兄ちゃんのした事、おれ分かるよ。」と、世界中が全員兄を悪だ罪だと言ったとしても(もちろん事実としてそういうことをした)、弟は彼の気持ちを理解すると言ってくれて、たった一人でも理解者がいることの救済、
その言葉を聞いた刹那だけ、兄の目に柔らかい光が浮かんで、きっと、涙まではいかないけれど、ずっと無機質に成り果てていた兄に人間としての温度が一瞬戻った瞬間があって、私はこの演技に鳥肌が立った。
その後、ちょっと解釈がいろいろに分かれる感じなんだけど、結局兄は弟を突き放す。弟はこの時ついに絶望の果てに追いやられてしまう。多分、どんな状態になっても家族への愛って消えなくて、唯一の肉親・家族である弟に、自分のことなどに関わらないで、弟だけは幸せに生きて欲しいと思った兄の兄心だったのではないかと私は理解したんだけれど。。
でも、その気持ちは届かず、むしろ弟は兄に道を示して欲しかった。
それが叶わず、ただ拒絶された感覚だけが増大して、唯一の肉親を失ったケンタは、血は繋がらないけれど、今の彼の唯一の家族とも言えるジュンとのなだれ込むような自暴自棄の流れへ向かってしまう。
というか、これはケンタの性格の問題だと思うんだけど、むしろジュンの方が絶望するケンタに今まで以上に寄り添いだしたような気がした。ケンタはむしろ一匹でもいいタイプ。今書きながら思ったけど、ジュンっていじらしいなぁ。。
これは、パンフも読まず、インタビューなども読まず、勝手に書いているので、思い込みや思い違いもあると思うけれど、なんか、全体的には今の私の気分とは合わなかった。
私はやっぱりどんな芸術作品でも、希望を見たいと思うから。内容はどうあれ、暗くても、悲しくても、最後は絶対に希望を見たい。光を見たい。と思う。
でも、見て良かったと思う。大森監督の次回作も是非期待しています。