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brain construction

個人的脳内アウトプット記録

落涙Speed

2007-09-26 12:42:09 | movie
『ミス・ポター』を見た。

久々に出会う良質で優しい物語だった。
登場人物にも物語にも優しい愛があり、イギリスの湖水地方の美しい自然も堪能できる、本当に素敵な作品だった。

レニー・ゼルウィガーを好きかどうかで好みは分かれるかもしれないけれど、私は彼女を好きだ。

一見ポンヤリとしてて、そして声とかしゃべり方も可愛いぶってる感じもするし、苦手な人もいるかもしれないけれど、私は彼女はすごく努力家なのだろうと想像する。女優という職業に良い意味のプライドを持ってストリクトに取り組む知性的な人であるように感じる。
『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズも、コメディだからあんまり評価されにくいかもしれないけど、あんな風に一見くだらない展開(特にパート2。特に!)でも笑わせられて、憎めない主人公と作品に作り上げることができたのは彼女の努力(肉体的にもしゃべり方とか表現的にも)あってのものだと思う。
『シカゴ』の彼女も全然違うけど又キュートだったし(あんなポンヤリした感じなのにすらっとスリムに体型を整えてゼタ・ジョーンズさんとのダンスも見事だった)、『ホワイト・オランダー』の彼女も私の中に印象深く残っている。

今回のベアトリクス・ポターを演じた彼女も本当に素晴らしかった。

で、私は映画が始まってものの数分でなぜか涙を流していた。

それは、ポターがダメもとで自分の絵を出版社へ持ち込んだシーンで。
初めて自分の作品が出版されることになったというシーンで。

作品を見てもあまり好感触ではない出版社の人々にポターは半分諦めた様子で帰ろうとするのだが、僅少ではあるものの出版するという答えをもらい、ポターはついに自分の作品が形になる喜びを味わう。

多分このシーンで泣いた人はほとんどいないかと思う。。
なぜ私が泣いたかは、多分、私自身『表現』とか『自立』とかいう事をずっと追い求めてきていて、私もいつか私だけの表現を形にしたいと願っているからだと思う。
そんな私の心が、レニー演じるポターの感情に共鳴して感動してしまったのだと思う。

こんなに速攻で泣いてしまったのは、寺島しのぶさんの『ヴァイブレータ』以来の速さである。
『ヴァイブレータ』でも、冒頭のコンビニのシーンで泣いていた。
主人公が白ワインを物色しながら頭の中に鳴り響く自分の声とやりとりをしているシーンで無性に泣けてきてしまった。

レニーも寺島さんも、齢十分に大人で、一通りの年月を生きてきて、色々な事が人生を過ぎてゆき、生きることって多分苦いんだなぁと、だいたい色々わかってしまった年代にいる女性。
二人とも一般的に言う美人ではない。でも、二人とも生き様を女優という表現に見事に昇華している本当に素敵な女性だと私は思う。

そんな彼女達が演じたからこそ、ポターでも、ヴァイブレータでも、彼女達の感情がすごく伝わってきて、私は泣けてきてしまったのかもしれない。

ほとんど映画の流れとは関係ない話ばかりしているけど(いつものことだけど…)、あらすじはレビューでいくらでもわかるし、実際作品を見ればわかること。それよりも、映画を見た後に、物語の流れを語る以上に作品から色々刺激を受け、語りたい事が自分の中で豊かに膨らんでいく余韻を味あわせてもらえる時、私は本当にうれしいなぁと思う。
そんな作品が、私にとっての良い作品の定義かなと思う。

そうだ、もう一つ。
ユアン・マクレガーも素敵だった。
ほとんど出演作を見ていなくてほぼ興味のない俳優さんだったけど、ポターの初めての理解者であるノーマン・ウォーンを繊細に優しく演じていてとても良かった。

ポターにとってのノーマンの様に、人は誰かに自分の事を理解してもらえた時、何ものにも代えられない幸せを感じられるのだと思った。




私を放さないで

2007-09-18 11:55:55 | movie


『ブラック・スネーク・モーン』を見た。

「セックス依存症の女を初老の男が鎖で縛って更生させようとする」というストーリーに興味を引かれない人がいるだろうか。

コンセプトがまず上手いと思う。観客を呼ぶ誘い文句としてインパクト大。
でも製作者は単にエロ方面で引っかかってくる客も当然念頭(覚悟?)に入れなければいけない。

でも正直に告白しよう。私もそのクチだ。。

でも言い分を言わせて欲しい。
私の場合、セックスシーンそのものに興味津々と言うよりは、「依存症」と「更生」というワードに、より興味を引かれた。

私も一応大人の人間なので、セクシュアルな好奇心は人並みにある。
でも単に刺激的な映像で煽ろうとしてくる作品は最低だと思う。
そういうものを見たい人を否定しないが、有害な作品であると思う。

良い子ぶるつもりはないが私にとってはセックスはあくまで人間の感情や内面の延長線上にあるものとしていつも感じている。
ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の『ショートバス』で表現されている様に。

セクシュアルな題材に感情を吹き込むには、まず脚本の良さ。
そして演じる役者さんにかかってくると思う。

そう、依存症の女を演じるのはクリスティーナ・リッチ。
彼女の名前を見て、もう私の中では絶対この作品を見ようと決めていた。

『バッファロー'66』の彼女は本当に魅力的だった。
そして、『モンスター』での彼女は主人公のレズビアンの恋人という役柄を印象的に演じていた。

だから、彼女が演じるならきっと面白い作品になるだろうと思って劇場に足を運んだのだが、思った以上に良かった。

「セックス依存」と「鎖で監禁」という誘い文句(^^;に、誘われて良かったと思った。
一見風俗の暖簾をくぐったら、厳しくも優しいおやじさんが待っていて、家族の味に感動してしまった(例えがアホでごめんなさい…(^^;)ような、想像以上に良質な人間ドラマが描かれた作品だった。
予想外に涙が止まらなくて、泣けて仕方なかった。。

家族って人間の根本で人生で最も大切にすべきものだけど、そこに不全を抱えているとしたら…
特に親子の関係性に問題がある場合、子供は本当に苦しむ。
その影響力は甚大過ぎるほど甚大。

家族で負った傷は家族の中で解決できればそれが一番いいけれど、そして家族にこそ傷を認めてほしいと、負わされた側は死に物狂いで家族からの真の「愛」というものを求めようともがくものだけれど、それが逆に、家族だからこそ歪んでしまったり余計傷を大きくしてしまう結果ともなり得る。

その結果の虚無感。自暴自棄。絶望。
例えようもない気持ちだ。

でも、この作品は血の繋がった者だけが家族であるわけではないと教えてくれる。
他人であっても、そこに心と愛があれば、絶望から人は這い上がれる。
そして、最後に這い上がるのは、自分自身でしかない。

クリスティーナ演じる女・レイが、サミュエル・L・ジャクソン演じる農夫ラザロスに「私を放さないで」と言うシーンがある。
二人はきっと家族になったのかな、と思った。心から信頼できる家族に。
心の絆で結ばれ、お互いの人生を一歩踏み出す。強く。

ちなみに、音楽も素晴らしくて。味わい深いブルースギターとメロディーに魅了されてついサントラを買ってしまった。

レイの口ずさむ「アム・ゴナ・レット・イット・シャイン(小さな光を輝かせよう)」という歌がまた泣ける。
絶望に打ちのめされそうでも、自分の中にある光を、輝かせよう。そうやって苦しくても人は生きていくしかない。
そんなメッセージにグッときてしまった。

曇り空の隙間からこぼれる光

2007-09-09 13:32:54 | movie


『明るい瞳』という映画を見た。

『トランシルヴァニア』を見た時の予告編で見てすごく気になっていた作品だった。

路上に突然ひっくり返る。
飲食店で隙を見て隣の客のタルトをバクっと盗み食い。
女性の髪を後ろからいきなり引っ張る。

エキセントリックな主人公の行動。

そして、のんびりと自然の中で入浴をする。煙草をくゆらせながら。

なんとなく、個性の強い主人公が色々と問題を起こしながら恋をしたり激しく自分を吐露したり…というような私の好きなフランス映画のテイスト(ベアトリス・ダルやロマーヌ・ボーランジェ系)に浸れる作品かなとイメージしていた。
その上で自分の居場所を見出して、観客にも癒しを与えてくれるような。

ポスター写真の淡いピンク、主人公が木漏れ日の森の中で入浴をしている浴槽のグリーン、アートワークの可愛いさからもちょっと変わり者の主人公が自分発見をするお洒落っぽいキュートなフレンチムービーかと一見思わされる。

物語はそんな第一印象を裏切る。

まず主人公の女性は思ったよりもとても地味で。
少なくとも”フレンチムービー”と日本人が称する場合の作品からイメージされるお洒落感はゼロ。
主人公の奇行も見ていて居たたまれなくなってくる。

もし主人公に少しでも「可愛い」という印象があるならば、もしくははっきりと見て取れる「若い娘」(リュディヴィーヌ・サニエみたいに)であれば、奇行は破天荒な主人公の魅力を倍増させるものとなるだろう。
しかし、そういう映画的なスパイスは一切無い。
この主人公は知的な顔つきなのだが人を惹きつけるような華やかさはなく、正真正銘の大人で、一張羅の赤いカーディガンと丈の短いワンピースから覗く裸足の脚がいろいろな意味で痛い。

ストーリーもこの主人公の印象の様に地味だ。
だから上述の私の様な期待をしているとそれは空振りになる。

自分と他人とのコミュニケーション不全をもっと映画的華やかさのあるインパクトを持って表現することだってできるし、病的な心を持った主人公なら、もっとエモーショナルな場面を演出しようと思えばいくらでもできるだろう。
しかし多少起伏はあるものの、派手で魅力的な出来事は無い。

この作品は、飾り立てようという欲が無い。

多分、主人公を大人に設定したことも大きいように思う。

自分と他人との違和感から心に生まれたものをロマンチックに昇華できる程この映画の主人公は若くはない。

あるのは曇天の様に続く重苦しい現実。
もやもやとした苛立ちが抜け穴もなく漂う。
淡々と時間が過ぎていく。



この作品に魔法は無い。胸のすくようなカタルシスも無い。
しかし、なぜだか、エンドロールで私は涙が止まらなかった。

生きることは息苦しさだと感じている人にこそ、静かに寄り添う作品のように思う。

希望の光というほどあたたかく大きな光ではない。
それは曇り空の中に薄く射す日の光のように淡く僅かかもしれない。
でもそういう僅かなものを信じたい気持ちになった。


トランシルヴァニア

2007-08-16 11:21:54 | movie


トニー・ガトリフ監督の『トランシルヴァニア』を見た。
猛暑が燃え盛る土曜の朝、大汗かきながら。
楽しみにしていた作品だったので、がんばって初日に行った。
満員とまではいかないが、かなり人が集まっていた。

私はアーシア・アルジェントのファンで、彼女を見たくて行った。
アーシアから目が離せないのだ。ただの奔放な強い女性というだけでなく、自分で監督したりする才能にも憧れる。
実は一度生の彼女を見ていて、作品や雑誌で見る激しい動の印象とは違う、理知的でむしろ静を感じさせる雰囲気に驚いて、ますます好きになってしまった。



アーシアが愛する男を捜してロマの国を旅する、後は予備知識を入れなかった。

まず、音楽が良い。
ロマの民俗音楽。
特に冒頭はふんだんに音楽が現れて、まるで音楽も一つの登場人物のよう。

アーシア演じるジンガリナが酒場で酔いと悲しみの中踊り狂う。
絶望の中姿を消すジンガリーナを捜す友人達、そこにはロマの人々のお祭りがジンガリナの心を荒れ狂う悲しみと裏腹に祝祭のように激しく鳴り響く。
酒場で憂さ晴らしをしたジンガリナと友人が帰る道をいつまでもいつまでも着いてくる男達のヴァイオリン。

音楽が生命を持っていた。
そしてロマの人々と音楽は、人生と同じ意味を持っているように感じた。
よく踊り、よく歌い、よく笑う。
だからきっとロマの人々は人生をよく生きているんじゃないか。
「いいじゃないか。楽しもう。」と。

ロマの人々の顔も素晴らしい。
味わいのあるロマの人の顔やそのあり方生活のさまを見ているだけでグッとくるものがあった。
私達日本人とは全く違っているから。

きっとロマをルーツに持つ監督だからこそこんな風に活き活きと描けるのだろう。
そして監督の人柄も温かみのある人なんだろうと想像する。



アーシアは激しくてほんとうに唯一無二の存在感。

やっと男を捜し当て彼と再会できた時のアーシアの顔は、本当に恋する乙女そのもので、うれしそうで魂の喜びが痛々しいほどに伝わってきて、私の目にも涙がにじんだ。
しかし次の瞬間、それは幻となり、冷たい現実を知らされる。彼の拒絶。
全身全霊の思いが打ち砕かれて、気も狂わんばかりの絶望感。

このシーンを見るだけでも私は映画館に足を運んでよかったと思う。
アーシアの表現力というか、強さと脆さを併せ持つアーシアという人の魅力。
本当に素晴らしいと思う。


前半の愛の旅、そしてそれは早々に終わる。
絶望のあまり悪魔と成り果てるほどに荒れ狂う。

でもその愛の旅が終わった時に始まった次の旅の中で、解かれて、野蛮なまでに純粋な魂が現れて、大らかなロマの大地のように広々と放たれて活き活きとロマの生活を送るようになってゆく。

ジンガリナなのか、アーシアなのか…でもアーシアにしか表現できないものであることは確か。

一緒に行動するようになる男・チャンガロの作る男の食彩真っ青の適当料理「トマトと玉ねぎの叩き潰し」(^^;)、それを寒空の下美味しそうにほおばる。

旅を続ける二人、チャンガロの手もジンガリナの顔も泥っぽくて、何日洗ってないのかなぁなんてふと日本の都会に住む私は思ってしまうんだけど(^^;)、「そういえば2週間洗ってないわ」と言うジンガリナ、「いい匂いだ」というチャンガロ。
このシーンも、何だか感動してしまった。

終わりから再生へ、魂の旅を終える頃、アーシアの(ジンガリナの、なんだけど…)顔つきは本当に穏やかに、「おさまった」というか「着地した」という感じがして神々しい。

特別

2007-07-30 11:41:04 | movie
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』を見て、友達と話したこと。

"女の子なら誰でも「特別でありたい」という感覚がある"

『腑抜けども』の主人公・澄伽は私以外の誰が「女優になる」ものか、という位の妄念からくる「特別」感が暴走している。
私は澄伽のこの気持ちをどちらかというと、いやどちらかどころではなくかなり理解できる。

私の考える「特別」でありたい思いは、アーティスティックな分野で表現する人でありたいという意味での特別願望だ。

見るからに個性的(あるいは個性的と言われたいと顔に書いてある私の様なタイプも含めて)な人、芸術肌のアート志向の強い人が抱く感覚だと思っていた。

でもその友達が「女の子なら誰でも」そんな気持ちがあるんじゃないかと言ったことに私は意表を突かれた思いがした。

多分多くの人はそういう志向よりも単純に楽に生きたいとか裕福な生活を送りたいとかいうことの方をナチュラルに求めるのだろうと思う。
多くの人は出世や名誉、或いは学校や職場で仲間との交流における楽しみ、恋人や幸せな結婚、といったことに価値を感じ、そしてそんな風に一生を終えることにあまり疑問を持たないだろうと思われる。

でも、幸せな結婚を夢見る女の子も神経衰弱ギリギリのアーティスト願望を持った女の子も、皆一様に「私にはきっと他の人とは違う特別なものがあるはず」という潜在意識があるなんて。
「あぁ、誰でも思うものなんだ。」と、私は自分が抱き続けてきた思いがそれこそさして特別「ではない」ということに夢から覚めたような思いになった。自負と自己陶酔感が打ち砕かれた思いと、肩の力が抜けてしまった脱力感。ちょっとホッともした。

ではアートや表現の分野ではないところでいう「特別な何か」って何なのだろうか。

他の誰でもなく自分を求められること。

『腑抜けども』の澄伽も女優への執着と同じような強烈さで義兄の気持ちを自分だけに独占しようと執着する。
「お兄ちゃんは私を必要だって言ったでしょ。裏切らないで。約束を守って。」

「特別でありたい」という気持ちは「必要だと言われたい」という気持ち。
なのかもしれない。

女優としての特別さ、誰かに必要だと言われる特別さ、両方の特別さを求めている澄伽のキャラクターは二重の意味でも私の心にも確実に住んでいる女の子だと思わされる。
私も誰かに必要だと言ってもらいたい気持ちが強くあるから。その満たされなさを考えると泣きたいくらい絶望的になる。

又、家族って強烈だ。
有無を言わさず同じ船に乗り込まされるのが家族。恨んでも嘆いても。逃れられない。家族の繋がりは切ろうとしても切れないし、どんなに対立しても怒りや憎しみを感じても、家族は繋がり続ける。
でも家族だからこそ分かり合える部分もあるし、どんなブザマでも最後まで関わってくれる(関わらなければならない)のは家族。

姉・澄伽を題材にホラー漫画を描く妹の「やっぱお姉ちゃんは最高に面白いよ」という言葉、馬鹿にしているのか賞賛しているのか、意味はいろいろに取れるけど深いと思う。私は少なからず愛を感じた。

8/25

2007-07-26 21:29:03 | movie
ついに正式に『ショートバス』の公開日が8月25日に決まった。
楽しみだ。
何回見ようかな。

9月22日からは『ヘドウィグ』のベネフィットアルバム『ウィグ・イン・ア・ボックス』の製作過程を追ったドキュメンタリームービー『ヴォイス・オブ・ヘドウィグ』も公開される。

http://www.uplink.co.jp/voiceofhedwig

楽しみだ。
ほんと何回行こうかな。

INLAND EMPIRE

2007-07-25 11:51:58 | movie


デヴィッド・リンチ監督の新作『インランド・エンパイア』を観た。

初日に行ったが、長蛇の列というのを久々に見た。映画館からあふれていた。

私はリンチ監督のファンではなかったし、きちんと作品を見たのはこれが初めてだと思う。(『マルホランド・ドライブ』も一応見たけどDVDだったから)

内容は素直に、「よくわからなかった」。
映画を見て、よく理解できなかった時につい見栄を張ってわかったふりをしたくなるが、これほど胸を張って「全然わかりませんでした!」と笑顔で言いたくなる作品は他に絶対ないだろう。



ストーリーは一応「ある作品で再起をかけようとする女優がだんだん現実と虚構の区別がつかなくなってゆく」というものだが、ストーリーはあってないようなもの。そこには「難解な」ストーリーすらもない。ストーリーらしきものはあるけど、そこに意味を見出すこと、何かを読み解こうとすることは意味がないように思う。
つじつま合わせなんて現実世界だけで十分なんだから。

でも、余韻は最高。
余韻に満足感のある作品は映画として成功だと思う。

映像と音楽も最高。



TV画面を見ながら只管涙を流しているロスト・ガール。
ブラウン管の色彩が反射したその泣き顔はずっとずっと見ていたいほど。
娼婦たちのシーンも面白い。
顔。顔。顔。ビッチな顔の群れに差し込まれるローラ・ダーン演じる女優の疲労した顔。それぞれが美しい。

見終わった後はちょっとグッタリしたけど、なんだかもう1回見たくなってきている。リンチ監督の中毒性に囚われてしまったみたいだ。

Severin

2007-07-06 11:36:46 | movie


Severin(セブリン)。

映画『SHORTBUS』の登場人物。

SM女王として生きる女の子。

『SHORTBUS』に出てくるキャラクターは、全員どこか自分と似ている部分があって感情移入する。
似ているし、でも似ていない。私もこういう風に行動できたら、と羨望の気持ちも湧く。

そんな中で、このセブリンはモロタイプなのです。。
顔も態度も服装も。
文字通り女王タイプでアーティスト。

女王と言っても男をかしずかせるのが私の言う女王タイプでは全然なくて、
自分の世界を持ちその事に関しては全くブレていない唯我独尊の女王。
人に嫌われようと好かれようと関係なく振る舞い、それ故周りの人とぶつかるけどぶつかりながら何かを生み出す人。

人となかなかぶつかれない私は、セブリンみたいな強さに盲執的に憧れてしまう。

でも、セブリンも正確に言えば人とぶつかるのを恐れている。

SMで鞭を振るったり、無礼な言動をして人を不快にしたり、表面上アグレッシブだけど、向こうから自分の中に入ってこられることに関しては臆病なのではないだろうか。
攻撃は最大の守りだとでもいうように、
双方向であるべき人との関わりに対して一方的な攻撃性でしか関われていない。

彼女は自分の城を地中深くに築き固く固く自分を守っている。
彼女の部屋は日光も入らないようなカプセルホテル並の小さなスペース。
しかし、中はものすごく可愛い。ロマンチックな色調のグッズで飾られてセンスもいい。
私は彼女の部屋のシーンがすごく好きだった。
まるで本当の彼女を象徴しているかのようだったから。
強く見えるけど本当は小さな女の子のような弱さ脆さがある女性のように思われた。

顔も性格も立ち居振る舞いも似てないけど、私の中にセブリンと似ている部分を強く感じる。
私の場合、セブリンのような一方向的な関わりですらも危うくて、年々自分の中に閉じこもりどんどん自分の殻が厚くなっているけれど。

私は彼女の孤独が痛いほどよくわかった。

誰かと群れたいわけではないけど。

自分の世界でいくら安心できても心の中の空虚な思いは決して癒されるわけではないから。

誰か、一人でいいから心からの話を、警戒を解いて話を、したいと思うのだ。誰かの心と繋がりたい、と。

『SHORTBUS』のチラシが新しくなり、コピーも変わった。

「みんな誰かとつながっている あなたは一人じゃない」

近年の私は、数少ない人間関係の手綱を自ら切って、自ら自分を孤独へ追い込んできたようなものだったけれど、今少しずつ、また誰かと話がしたい、誰かと繋がりたいという思いが再び小さく灯り始めている。

昨晩は、母も含めて本当にお世話になっていて数少ない私を信じて下さっている方と食事をしたのだが、その日の朝は人と会うプレッシャーで押しつぶされそうになった。けど、蓋を開ければ美味しい食事とお酒でとてもリフレッシュすることができた。
こんな私にも関わってくれようとする人がいる。本当にありがたいと思った。

本当は心から繋がりたい人は一人だけしかいない。そこだけに執着する自分をなかなか断ち切ることができない。
そこはもうしょうがないから、あるがまま、放っておくしかないだろう。
でも、人は人と触れ合ってしか成長しない。いくら一人で勉強したり考えても独りよがりでしかないのだ。
だから、決して自分自身で人との関わりを諦めてはいけないんだと、思う。

『ヘドウィグ』もその時の私に本当にいろいろなことを教えてくれたけど、
『SHORTBUS』は、あれからまたいろいろ経験して悩んだ今の自分に、またかけがえのない様々なことを学ばせてくれたように思う。

Mr.Lonely

2007-07-02 12:39:44 | movie


公開がものすごく待ち遠しい作品が現れた。

『KIDS』『ガンモ』のハーモニー・コリンの新作『Mister Lonely』。

http://www.twitchfilm.net/archives/009172.html

自分を社会に適合させるためにマイケル・ジャクソンとして(!)生きる男がマリリン・モンローとして生きる女と出会って、アイスランドにあるコミューンに行くという話だそうだ。

書店で立ち読みした雑誌でこの情報を知ったのだが、このあらすじを聞いただけで私はあまりに興奮して引っくり返りそうになった。
なんて面白そうな話なんだ!!!!!

人によっては「パイレーツ・オブ・カリビアン」とか、「スパイダーマン」とかのあらすじや予告編などの映像を見ると「うわぁー面白そう!楽しみ!」と思うのだろうけど、私はやはりこういう少し道をはずしてるような匂いのする作品にどうしても心が惹かれる。

ちなみに、マイケルとして生きている男をディエゴ・ルナ、マリリンとして生きている女をサマンサ・モートンが演じ、その女の夫のチャーリー・チャップリンとして生きる男をドニ・ラヴァンが演じるんだそうだ。
わーーーー!!めちゃめちゃ面白そうじゃないか!!!!!

こういう作品がどんどん出てくるので、私はまだまだ生きていたい気がするなぁと思わされる。
でも期待の抱きすぎは禁物だけど。。映画は期待し過ぎると見終わった時それより良かったと思えることは100%ない。公開前に情報を入れ過ぎてもだめ。

…でもやっぱり期待膨らむなぁ。
私はハーモニー・コリンの大ファンではないし、作品ももしかしたら苦手かもしれない。
でも独自のセンスを持っていて表現しているところに興味がある。動向の気になるアーティストだ。
一時期大好きだったクロエ・セヴィニーと恋人同士だったというのも私にとっては大きい。今はもう完全に道は別れているということらしいけれど。
(でも今もハーモニーのHPにクロエのHPがLINKされているのが何だかジンとくる)

日本公開は来年らしいので、あんまり期待せずに楽しみにしていよう。



I wanna get on the"SHORTBUS"

2007-06-08 21:01:03 | movie


映画『ショートバス』を見ました。
これは私が愛してやまない『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督の待望の新作です。
http://shortbus.jp/

セックスと愛を描いた作品で、作品中に出てくるセックスは全て本番であるということで公開前からかなりの話題となっています。

ヘドウィグを撮ったジョンだから、私はジョンを人として信じているので、単に扇動することを目的として本番にしたとは思っていなかったのですが、それでもかなりきわどいシーンが多いだろうことはわかっていたので多かれ少なかれ構える気持ちがありました。


でも、見終わってみて想像していたよりライトな感触であったことに心地よい驚きがありました。
性描写満載であるにも関わらず全く不快でなく、むしろ見ていると健気さを感じてくるのです。抱き締めたくなってくる。

「怖がらないで。期待しなくてもいい。楽しんで。」
私達の先入観や壁をそっと開いて心に入ってきてくれます。
そして、あたたかい気持ちが胸に広がっていきました。そのあたたかさは今も私の胸に広がり続けています。

この感じは私が初めてヘドウィグの映画を見た時と同じだ!ということに気づきました。
ヘドウィグを見た時も、想像を良い意味で裏切られて思いのほかとても爽やかな読後感がありました。そして、じんわりとあたたかいものが広がっていました。

ジョンが「ヘドウィグでは音楽がそうであったように、ショートバスの中では言語としてセックスを表現したかった」と言っていた様に、登場人物達が抱える思いがセックスを通じて強く伝わってきます。
セックスが彼ら一人一人の言葉となって、もがき、語り、叫び、寄り添いあい、別れていく様は本当に素晴らしかったです。
他にはないとても特別な、とてつもなく美しい作品だと思いました。

私はほとんど自分のリレーションシップについては諦めています。
誰かと心から繋がりたいと本当は死ぬほど思っているけれど、たぶん難しいと自分でわかっている。
でも、「ショートバス」は私に、いつか誰かと繋がりたいと素直に思わせてくれ、小さな希望の灯を私の心に灯してくれました。

ヘドウィグのファンだからであってもそうでなくても、ただの興味本位であっても構わないから、とにかく多くの人に見て感じてほしい作品です。

ちなみに、私は公開(8月下旬予定)したらリピート確実ですが、一度はうちの母親と行くつもりです。。(みなさん全員におすすめはしませんが、私は家族と見ることも非常に人生に効果的だと思います!
先日来日したジョンと主演のスックィン・リーさんがトークイベントで「好きな人との初デートに見たらいい、もし「ショートバス」を好きでないようなら二度目のデートはない、そんなリトマス試験紙的にも使える」とも言っていました。(^^; )

ジョンの言う様に見終わる頃にはセックスのことなど忘れています。これほど愛について勇敢に美しく描いた作品は他にないと思います。