『ミス・ポター』を見た。
久々に出会う良質で優しい物語だった。
登場人物にも物語にも優しい愛があり、イギリスの湖水地方の美しい自然も堪能できる、本当に素敵な作品だった。
レニー・ゼルウィガーを好きかどうかで好みは分かれるかもしれないけれど、私は彼女を好きだ。
一見ポンヤリとしてて、そして声とかしゃべり方も可愛いぶってる感じもするし、苦手な人もいるかもしれないけれど、私は彼女はすごく努力家なのだろうと想像する。女優という職業に良い意味のプライドを持ってストリクトに取り組む知性的な人であるように感じる。
『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズも、コメディだからあんまり評価されにくいかもしれないけど、あんな風に一見くだらない展開(特にパート2。特に!)でも笑わせられて、憎めない主人公と作品に作り上げることができたのは彼女の努力(肉体的にもしゃべり方とか表現的にも)あってのものだと思う。
『シカゴ』の彼女も全然違うけど又キュートだったし(あんなポンヤリした感じなのにすらっとスリムに体型を整えてゼタ・ジョーンズさんとのダンスも見事だった)、『ホワイト・オランダー』の彼女も私の中に印象深く残っている。
今回のベアトリクス・ポターを演じた彼女も本当に素晴らしかった。
で、私は映画が始まってものの数分でなぜか涙を流していた。
それは、ポターがダメもとで自分の絵を出版社へ持ち込んだシーンで。
初めて自分の作品が出版されることになったというシーンで。
作品を見てもあまり好感触ではない出版社の人々にポターは半分諦めた様子で帰ろうとするのだが、僅少ではあるものの出版するという答えをもらい、ポターはついに自分の作品が形になる喜びを味わう。
多分このシーンで泣いた人はほとんどいないかと思う。。
なぜ私が泣いたかは、多分、私自身『表現』とか『自立』とかいう事をずっと追い求めてきていて、私もいつか私だけの表現を形にしたいと願っているからだと思う。
そんな私の心が、レニー演じるポターの感情に共鳴して感動してしまったのだと思う。
こんなに速攻で泣いてしまったのは、寺島しのぶさんの『ヴァイブレータ』以来の速さである。
『ヴァイブレータ』でも、冒頭のコンビニのシーンで泣いていた。
主人公が白ワインを物色しながら頭の中に鳴り響く自分の声とやりとりをしているシーンで無性に泣けてきてしまった。
レニーも寺島さんも、齢十分に大人で、一通りの年月を生きてきて、色々な事が人生を過ぎてゆき、生きることって多分苦いんだなぁと、だいたい色々わかってしまった年代にいる女性。
二人とも一般的に言う美人ではない。でも、二人とも生き様を女優という表現に見事に昇華している本当に素敵な女性だと私は思う。
そんな彼女達が演じたからこそ、ポターでも、ヴァイブレータでも、彼女達の感情がすごく伝わってきて、私は泣けてきてしまったのかもしれない。
ほとんど映画の流れとは関係ない話ばかりしているけど(いつものことだけど…)、あらすじはレビューでいくらでもわかるし、実際作品を見ればわかること。それよりも、映画を見た後に、物語の流れを語る以上に作品から色々刺激を受け、語りたい事が自分の中で豊かに膨らんでいく余韻を味あわせてもらえる時、私は本当にうれしいなぁと思う。
そんな作品が、私にとっての良い作品の定義かなと思う。
そうだ、もう一つ。
ユアン・マクレガーも素敵だった。
ほとんど出演作を見ていなくてほぼ興味のない俳優さんだったけど、ポターの初めての理解者であるノーマン・ウォーンを繊細に優しく演じていてとても良かった。
ポターにとってのノーマンの様に、人は誰かに自分の事を理解してもらえた時、何ものにも代えられない幸せを感じられるのだと思った。
久々に出会う良質で優しい物語だった。
登場人物にも物語にも優しい愛があり、イギリスの湖水地方の美しい自然も堪能できる、本当に素敵な作品だった。
レニー・ゼルウィガーを好きかどうかで好みは分かれるかもしれないけれど、私は彼女を好きだ。
一見ポンヤリとしてて、そして声とかしゃべり方も可愛いぶってる感じもするし、苦手な人もいるかもしれないけれど、私は彼女はすごく努力家なのだろうと想像する。女優という職業に良い意味のプライドを持ってストリクトに取り組む知性的な人であるように感じる。
『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズも、コメディだからあんまり評価されにくいかもしれないけど、あんな風に一見くだらない展開(特にパート2。特に!)でも笑わせられて、憎めない主人公と作品に作り上げることができたのは彼女の努力(肉体的にもしゃべり方とか表現的にも)あってのものだと思う。
『シカゴ』の彼女も全然違うけど又キュートだったし(あんなポンヤリした感じなのにすらっとスリムに体型を整えてゼタ・ジョーンズさんとのダンスも見事だった)、『ホワイト・オランダー』の彼女も私の中に印象深く残っている。
今回のベアトリクス・ポターを演じた彼女も本当に素晴らしかった。
で、私は映画が始まってものの数分でなぜか涙を流していた。
それは、ポターがダメもとで自分の絵を出版社へ持ち込んだシーンで。
初めて自分の作品が出版されることになったというシーンで。
作品を見てもあまり好感触ではない出版社の人々にポターは半分諦めた様子で帰ろうとするのだが、僅少ではあるものの出版するという答えをもらい、ポターはついに自分の作品が形になる喜びを味わう。
多分このシーンで泣いた人はほとんどいないかと思う。。
なぜ私が泣いたかは、多分、私自身『表現』とか『自立』とかいう事をずっと追い求めてきていて、私もいつか私だけの表現を形にしたいと願っているからだと思う。
そんな私の心が、レニー演じるポターの感情に共鳴して感動してしまったのだと思う。
こんなに速攻で泣いてしまったのは、寺島しのぶさんの『ヴァイブレータ』以来の速さである。
『ヴァイブレータ』でも、冒頭のコンビニのシーンで泣いていた。
主人公が白ワインを物色しながら頭の中に鳴り響く自分の声とやりとりをしているシーンで無性に泣けてきてしまった。
レニーも寺島さんも、齢十分に大人で、一通りの年月を生きてきて、色々な事が人生を過ぎてゆき、生きることって多分苦いんだなぁと、だいたい色々わかってしまった年代にいる女性。
二人とも一般的に言う美人ではない。でも、二人とも生き様を女優という表現に見事に昇華している本当に素敵な女性だと私は思う。
そんな彼女達が演じたからこそ、ポターでも、ヴァイブレータでも、彼女達の感情がすごく伝わってきて、私は泣けてきてしまったのかもしれない。
ほとんど映画の流れとは関係ない話ばかりしているけど(いつものことだけど…)、あらすじはレビューでいくらでもわかるし、実際作品を見ればわかること。それよりも、映画を見た後に、物語の流れを語る以上に作品から色々刺激を受け、語りたい事が自分の中で豊かに膨らんでいく余韻を味あわせてもらえる時、私は本当にうれしいなぁと思う。
そんな作品が、私にとっての良い作品の定義かなと思う。
そうだ、もう一つ。
ユアン・マクレガーも素敵だった。
ほとんど出演作を見ていなくてほぼ興味のない俳優さんだったけど、ポターの初めての理解者であるノーマン・ウォーンを繊細に優しく演じていてとても良かった。
ポターにとってのノーマンの様に、人は誰かに自分の事を理解してもらえた時、何ものにも代えられない幸せを感じられるのだと思った。