
浅草へ行ってきました。
年明け三が日という最も私が苦手とする人混み満載の初詣、観光スポット中の観光スポットへ行ってきました。
なんで浅草かというと、テレビの影響です。(^^;
『久保みねヒャダこじらせナイト』という番組が個人的に大好きで、正月スペシャルで久保さんと能町さんがゲッターズ飯田さんがおすすめする今年の良い場所へぶらり旅をしていてその場所が浅草でした。正確には飯田さんが薦めていたのは今年は大日如来をお参りすると良いらしく、その一つとして浅草にある成就院を紹介していて、行ってみようかなと思ったのでした。笑
番組でも言っていたけどすごく個人的な住宅の佇まいで華々しさも荘厳さもなく、地元の方が大事にしている地元に密着した場所のように見えました。
本殿?みたいな所も閉まっていたし、行ったはいいけどどこをお参りしていいか、、、でも立った姿の仏様(これが大日如来だと思ったのですがもしかしたら本当の仏様は中で祭られているのかもしれません、帰宅後調べたら座ってる姿が大日如来のようだったので。でも、番組で見たのは私が見た仏像だった記憶もあるのでよしとします。)の前へ。
京都でも奈良でもどこでも、仏像はやっぱりなんだか分からないけど見ると心に訴えるものがあります。
だからとにもかくにも行ったことは一年の始まりとして良いのではと満足でした。

入り口を撮影させていただきました。本物は訪れてみて下さい。(^^)

いやー、年中混み合っているのでしょうけど、ほんと人でいっぱいでした。勇気を出して最前線の仲見世通りも歩いてみました。(^^;
しかも浅草寺から逆走して駅の方へ向かったのでお寺へ向かう人がメインストリームの所を歩くのは非常に困難。人。人。人。ちょっとずつ何とか進んで、少しだけ世間の多数の人々のお正月に紛れてみました。笑
今までの私なら、絶対行かない。
だけど、色々あって、今年は多分この10年位で本当に久々に(いや、物心ついてからもしかしたら初めてかも)初詣を元旦に行ってみたり、いつも初日を避けて2日が恒例だったのですが、自分が大勢の人が虚弱体質と敏感体質なのは自覚していてどんな時でも私にとってどこかへ出かける行為は普通の一般的な人の少なくとも10倍は疲労することで、これは諦めてる。それを理由に極力避けていました。
だけどなんとなく元旦に独りで行ってみようと思って頑張りました。
場所はいつも通り明治神宮だけど。
思ったよりはそんなに2日と大差なくて大丈夫だった。
独りで、本当は寂しくてならないけど、でも自由で、明治神宮の澄み渡った空気を自由に歩いて一年の始まりの行事を終えた清々しさで満たされました。
そして引いたおみくじが、『峯』でした。
これは、このブログを書いた最初の頃の多分2008年くらい?の時も書き記してたんだけど、その時と全っっったく全く同じお言葉でした。。。(^^;笑
もう、回り回ってまた一番最初に戻ったとしかいいようがない感じ。スタート地点に戻ってしまいました。。。泣 (^^;
あれから信じられないくらい色んな事がありました。あの頃は想像もしなかった事をたくさん経験しました。
生まれてきて良かったって思えた事、こんなにネガティブだけど実は夢だって叶ったものもあったのでした。私は幸せ者です。
でも、やっぱり私はまだまだやらなければならないことがある。
もっともっともっともーーーーーーっと自分を愛さなければ。取り繕った嘘の虚像の自分ではなく、人の目を気にした自分でなく、誰かと比べた自分でなく、魂のままの私を。
心には忘れようにも忘れられない人。まだ無理。でも忘れるべきならいつか忘れられる。
自分の心を一番大切にしながら、ゆっくり自分と今度こそちゃんと向き合おうと思っています。

唐突に空気を変えますが(^^; 番組で出てた店があったので思わず写真撮りました。
謎深い看板。屋号と名字なのだそうです。
テレビで見た場所とか生で見るとなんか嬉しくなるものですよね。笑
最近、この超絶引きこもり人間の私が、この正月休みでも、いくらでも引きこもれる、今までなら絶対そうなってた。そんな日々を、毎日外へ出かけています。今日の突然浅草もそう。これは私にとってはすごいことなのです。
外へ一歩で良いから毎日行く。世間に出る。そして、誰かと一言でも言葉を交わす。年末から正月にかけて、今のところ持続中です。これほんと私にはすごいことなんだって!!!(>_<)(^^;
神社のアルバイトの方とか、お店の店員さんとか、見知らぬ人と初めての人と話す。
リハビリの一環です。できる限りでやっていきたい。人間に慣れないと。人見知りだし、精神が敏感すぎて人と関わることが私には死ぬ程難しいことではあるけれど、いつまでそうやって自分の殻に籠もっていてもしょうがない。少しは自分を奮い立たせて努力しないといけません。

商店街の隙間から何度か見えたスカイツリー。
こういうのだって、外出しなければ目に出来ない。笑顔になりました。(^^)
これからも様々な景色、誰か、世界、見られるだけこの目でこの手で触れていきたいです。
そういう喜びってどんなに人が苦手でもやっぱり人に生まれてきたことの一番の喜びなんじゃないかなぁと思います。