久しぶりにとあるセラピーを受けてきた。
というのは、ストレスや鬱屈が溜まった私はそれを母親への暴力に表す様になっていたからだ。
暴力といっても殴る蹴る暴れるといったものでなく、ちょっと足が出るとかそういったものだ。頻繁にではなく、2、3度である。
初めて母へ手が出たのは一年位前。まだ精神的にもっと病的にどん底だった頃、母との口論の中で、私は悲しみと絶望のあまり思わず母に掴みかかっていた。お互い喚めき合いながら思いをぶつけあった。その後は思いのほか後腐れがなかった。まるで思春期の男子学生の殴り合いの喧嘩のような。思っていることを言い合えてだいぶ風通りも良くなった。だから、あの時の私達にはある意味必要な過程だったと思う。
しかしそれ以来、私はどうも味を占めてしまったようだった。いざとなれば私には殴る権利がある、と。ずっと私は良い子だったし我慢してきたのだからと。
その後、1、2度あまりに母が無理解だったり大人げのない時に、私は母を叩いた。
そうやって私は暴力を最後の隠し武器のように感じて過ごしてきたのだが、先日、母と歩いていた時にささいな口論になり、気付くと母を蹴っていた、街中で。しかも、今までは「私の苦しみを知ればいい!」と意識して暴力に及んでいたのだが、その時は無意識に足が出ていたことに私は自分で自分が恐ろしくなった。自分勝手にイライラして、怒りが沸騰して、「あ!」と思った時は足が出ていたのだ。
そもそもどんな理由があろうと暴力は良くない。意識していようが、無意識だろうが、暴力に訴えるなんて最低である。戦争と一緒じゃないか。暴力で解決するなんて。解決した気になるなんて。それに私はやっと気付いた。
今回連絡を取ったセラピストの方は、既に2回お世話になっている方でかなり信頼している。この先生のお陰で、私の一番のネックだった父親との関係性における傷やトラウマをかなりの部分まで解消していただいた。何人か他の方のセラピーを受けてそれなりに私の癒しの過程は進歩してきたとは思うが、この先生に出会ったからこそここまで来られた部分が大きい。「ここまで」というのは、今や私の心境は良い意味で「父なんてどうでもいい」という気持ちである。未だ父を避けているし、決して良い状況ではないかもしれないけれど、以前ほどには父への恐怖心に囚われなくなっている。父は父、私は私。そんな風に思っている。
そして、今なぜか私の気持ちの矛先は母に向かっている。父への恐怖心でいっぱいだった私の心は今母へのイライラ感で攻撃性を発揮し始めだしたのだ。これには自分でも驚いたとしかいいようがない。まさか自分が暴力を振るうような人間だったとは想像していなかった。
セラピストさんの所では、前半カウンセリング、後半実際的なセラピーといつもの流れだったのだが、カウンセリングの時に自分の気持ちを話しているうちに意外な展開になった。
母へのイライラ感は、「こんな風になったのは両親のせいだ」という恨みの気持ちがあるからだと言われ、両親に訴えたい事でどんな事が思い浮かぶか聞かれた時に、大学受験の時に進路を反対されてそれに抵抗出来なかった事、11歳の時に引越しして人生が大きく変わった事、等を挙げた。これらは元々自分でも自分のトラウマ的経験として意識に上がっている事だし、以前先生に話していたし、他のセラピストさんにもある程度対処してもらった事もある事柄だった。だからちょっと「別に今更…。自分では過去の事は仕方ないと思えているつもりだけどな」という気持ちだった。
しかし、11歳の引越しの話をした時に先生は目を閉じてリーディングをして下さって、「原爆みたいな、あるいは地震とか火山噴火とか、何か天災によって今までの環境から無理矢理別の環境へ行かざるを得なくて苦労した過去がある」という事をおっしゃった。以前他のセラピストに前世を見てもらった時は、納得できる部分があったが(例えば父と私はかつて貰われ子とその貰われ先のおじさんだったと聞いてだから父に恐怖心やよそよそしさを感じるのかとか、魔女狩りの様に磔にされて人々から攻撃された過去があると言われてだから私は人を信じられないのかなとか)、「天災からの避難民」とは全くもってピンとこなかった。先生に「戦争や天災の中で何か耳にすると特別な思いを感じる出来事はあるか」と聞かれても特別思い浮かぶものはなかった。
しかし、11歳の時の引越しの時の気持ちや状況を改めて話しているうちに、先生のおっしゃる様にそれはまるで環境がガラッと変えられた経験だったと改めて思い知った。「急に親に"引っ越すよ"と言われて"そうなんだ"と従ったけど、六年生になったら鼓笛隊の小太鼓のパートをやるはずだったのに、そのオーディションも合格して楽しみにしていたのに出来なかった。元の家の目の前に新しく出来た中学校へ通うのも楽しみにしていたのに叶わなかった。仲良しの友達とも離れなきゃならなかった」という当時の状況を話しながら、「なんかブルドーザーでワッといきなり掬い上げられてドサッと別の場所へ落とされた感じ」、「小5の時の自分とその後の引っ越した後の自分では、突然バサッと壁で分断されたみたいな感じがする」という言葉を自分で話していて、『分断』という言葉がすごくしっくりきたのが不思議だった。
すると先生は、「自分ではどうしようもできないコントロール不可能な力によって人生を翻弄された過去の流れと同じですよね」とおっしゃって、私は11歳の時「引っ越すよ」と言われた時の何となく呆然とした感覚を少し思い出していた。
「自分ではどうしようもできない事」
それを聞いて、何となく世界や自分の人生を薄っすらとした虚しさが覆っていった感覚を思い出していた。
それと同時に、そう言えば、引越しに限らず、自分の努力や能力ではなく自分ではどうにもならない事情によって希望を打ち砕かれた経験がいくつかあった事も思い出した。今も引きずっている恋の事もそうだった。
そう思ったら、涙が出てしまった。
先生は、「○○さん(私)はその11歳の時にきっと絶望してしまったのですよね」とおっしゃって、私は改めて「すごく虚しい気持ちになりました」と口にして、自分は今まで何事においても達成できたことがなくて、ずっと虚しかったんだよなぁと
いう感情をしみじみ思い返した。
今まで何も達成した事がないというと、そんなのは自分次第で、自分の努力ややる気が足りなかったとももちろん思うが、多分、私はそのやる気や本気を出したくても既に心が絶望に覆われていた事による虚しさで、「どうせ自分の夢は叶えられない」という虚無感と、そこから「私は何の価値もない」という自己否定感にまで覆いつくされていたのかもしれないと感じた。
「○○さんも言われた様に、引越しの時の『分断』された感覚や傷を癒す事が今日のキーワードですね」と先生はおっしゃって、後半のセラピーに入った。
先生は私の肩に手を置きながら、過去生から続く分断されたことからの絶望感、傷を癒したり、エネルギーを入れて整えて下さったりした。その時改めてまたリーディングをしてくれて、「同じ国の中で分断され、同じ国同士で敵対し、家族や親戚や親しかった人達と二度と会えなかった。その中で女性として生まれたあなたは男の様に力に訴えて反抗することも出来ずにただひたすら我慢するしかなかった。新しい環境にも馴染めず苦労した。女性としての人生も味わうことができなかった」と言っていたのが、「同じ国の中で」と聞いてまるで東西ドイツの様でちょっと鳥肌が立った。私の大好きな映画『ヘドウィグアンドアングリーインチ』を彷彿とさせたから。あるいはロシアの下の方の国の内戦とか?とも思ったり。「私が避難してた国はドイツ?ドイツに天災なんてあったかな?でも分断なんてまるで東西ドイツみたい。でも東西ドイツってつい最近のことじゃん」などと色々思ったけど先生は「さっきの天災の過去生とはまた別の過去生で、カウンセリングの時に出たのと同じ過去生は出ない」「世界の歴史は戦乱の歴史でもありますしね」とおっしゃって、私の避難民の過去は一度ではなかった事にちょっとびっくり…。私は分断され翻弄される人生をリベンジしたくて生まれてきているのかもしれないのだった。
その後、今の人生の中で、豊かな実りある人生を歩める様に、「豊穣の女神・アバンダンティア」のセッションというものを施して下さった。その時に興味深かったのが先生の口から「気に入った絵筆があれば、その子を可愛がってあげなさい。ペンがあるならそれを大切に。後は自分の魂を絵筆やペンに載せるだけでいい」というメッセージが届けられた。両親とのトラウマとは別に、芸術活動や表現者として生きる為の突破口もいつも相談していて、この言葉はまた意外な指針となりそうだった。もう無理に作品を世に出そうとかいった焦りはあまりないが、趣味や心の解放としてやはり表現作業は私にはとても必要なものなので、楽しんで表現できる人になりたいという夢はなくしたくない。「気に入った絵筆」というのは、なんだかとても初心に帰れそうな気がする。何の欲もプレッシャーもない、楽しいからひたすら絵を描いていた子供の頃のように、まずは自分が可愛いなと思う絵筆やペンを買う。レコードのジャケ買いの様に、ヴィジュアルからちょっと入る。そして、気分が上がる、楽しくなるような道具を使って、誰の為でもなく自分の為に楽しく描く。そこからまた始めようと思う。
先生のセッションが終わって、最初は母親に対する感情で相談に来たのに、終わった時には正直それはどうでもいい気分になっていた。両親への恨みや愛情や諸々の感情はほとんど消散しつつあるのを感じる。
大人になってからの反抗期と自分と向き合い続けたこの数年間。
やっとこの段階まで来られた。
自分の人生を楽しみたい。
自分という花を実り豊かに咲かせたい。
高熱に苦しんで、目が覚めた朝、まだ頭は朦朧とするけど、お水が美味しい。
そんな風に淡々と自分の体を自分の体として感じられる感覚を久しぶりに感じている。
淡々と、思う。生きてみたいと。
最後に、もし私の様に精神的に苦しんでいる人、苦しみの真っ只中でもがいている人がいるなら、絶対にその苦しみは、無駄じゃない。
完全解決なんてないし、苦しい気持ちはいつもあるし、死ぬ寸前に「楽しかった」と思えればいいなんて僅かな願いすらも叶わないかもしれないのが人生なのかもしれないけど、どうかもがいてほしいと願います。あきらめないで、希望を持って、とか思いません。もがいてほしい。もがいた分、絶対今とは違う場所へ行けます。行きたい場所とは限らないかもしれないけれど…(^^;
そして私を辛抱強くあきらめずに助けてくれた人、いろいろなセラピーあっての今の私だけれど、自分の苦しみを一つ一つ理解する手助けの一つとして、実際的にかなり効果的だった今回もお世話になったセラピストさんに興味のある人がもしいらっしゃったらおっしゃって下さい。HPをお伝えします。
「言った人だけ教えますよ~」なんてどんだけ上から目線なんだ、だし、別にそのセラピストさんの回し者でもないけれど(^^;、 単純に、苦しい人の少しでも助けになればと思います。
私ももがき続けようと思う。いろいろな予想もしなかった場所へ行こうと思う。
みなさん、どこかで会えたらうれしいです。
というのは、ストレスや鬱屈が溜まった私はそれを母親への暴力に表す様になっていたからだ。
暴力といっても殴る蹴る暴れるといったものでなく、ちょっと足が出るとかそういったものだ。頻繁にではなく、2、3度である。
初めて母へ手が出たのは一年位前。まだ精神的にもっと病的にどん底だった頃、母との口論の中で、私は悲しみと絶望のあまり思わず母に掴みかかっていた。お互い喚めき合いながら思いをぶつけあった。その後は思いのほか後腐れがなかった。まるで思春期の男子学生の殴り合いの喧嘩のような。思っていることを言い合えてだいぶ風通りも良くなった。だから、あの時の私達にはある意味必要な過程だったと思う。
しかしそれ以来、私はどうも味を占めてしまったようだった。いざとなれば私には殴る権利がある、と。ずっと私は良い子だったし我慢してきたのだからと。
その後、1、2度あまりに母が無理解だったり大人げのない時に、私は母を叩いた。
そうやって私は暴力を最後の隠し武器のように感じて過ごしてきたのだが、先日、母と歩いていた時にささいな口論になり、気付くと母を蹴っていた、街中で。しかも、今までは「私の苦しみを知ればいい!」と意識して暴力に及んでいたのだが、その時は無意識に足が出ていたことに私は自分で自分が恐ろしくなった。自分勝手にイライラして、怒りが沸騰して、「あ!」と思った時は足が出ていたのだ。
そもそもどんな理由があろうと暴力は良くない。意識していようが、無意識だろうが、暴力に訴えるなんて最低である。戦争と一緒じゃないか。暴力で解決するなんて。解決した気になるなんて。それに私はやっと気付いた。
今回連絡を取ったセラピストの方は、既に2回お世話になっている方でかなり信頼している。この先生のお陰で、私の一番のネックだった父親との関係性における傷やトラウマをかなりの部分まで解消していただいた。何人か他の方のセラピーを受けてそれなりに私の癒しの過程は進歩してきたとは思うが、この先生に出会ったからこそここまで来られた部分が大きい。「ここまで」というのは、今や私の心境は良い意味で「父なんてどうでもいい」という気持ちである。未だ父を避けているし、決して良い状況ではないかもしれないけれど、以前ほどには父への恐怖心に囚われなくなっている。父は父、私は私。そんな風に思っている。
そして、今なぜか私の気持ちの矛先は母に向かっている。父への恐怖心でいっぱいだった私の心は今母へのイライラ感で攻撃性を発揮し始めだしたのだ。これには自分でも驚いたとしかいいようがない。まさか自分が暴力を振るうような人間だったとは想像していなかった。
セラピストさんの所では、前半カウンセリング、後半実際的なセラピーといつもの流れだったのだが、カウンセリングの時に自分の気持ちを話しているうちに意外な展開になった。
母へのイライラ感は、「こんな風になったのは両親のせいだ」という恨みの気持ちがあるからだと言われ、両親に訴えたい事でどんな事が思い浮かぶか聞かれた時に、大学受験の時に進路を反対されてそれに抵抗出来なかった事、11歳の時に引越しして人生が大きく変わった事、等を挙げた。これらは元々自分でも自分のトラウマ的経験として意識に上がっている事だし、以前先生に話していたし、他のセラピストさんにもある程度対処してもらった事もある事柄だった。だからちょっと「別に今更…。自分では過去の事は仕方ないと思えているつもりだけどな」という気持ちだった。
しかし、11歳の引越しの話をした時に先生は目を閉じてリーディングをして下さって、「原爆みたいな、あるいは地震とか火山噴火とか、何か天災によって今までの環境から無理矢理別の環境へ行かざるを得なくて苦労した過去がある」という事をおっしゃった。以前他のセラピストに前世を見てもらった時は、納得できる部分があったが(例えば父と私はかつて貰われ子とその貰われ先のおじさんだったと聞いてだから父に恐怖心やよそよそしさを感じるのかとか、魔女狩りの様に磔にされて人々から攻撃された過去があると言われてだから私は人を信じられないのかなとか)、「天災からの避難民」とは全くもってピンとこなかった。先生に「戦争や天災の中で何か耳にすると特別な思いを感じる出来事はあるか」と聞かれても特別思い浮かぶものはなかった。
しかし、11歳の時の引越しの時の気持ちや状況を改めて話しているうちに、先生のおっしゃる様にそれはまるで環境がガラッと変えられた経験だったと改めて思い知った。「急に親に"引っ越すよ"と言われて"そうなんだ"と従ったけど、六年生になったら鼓笛隊の小太鼓のパートをやるはずだったのに、そのオーディションも合格して楽しみにしていたのに出来なかった。元の家の目の前に新しく出来た中学校へ通うのも楽しみにしていたのに叶わなかった。仲良しの友達とも離れなきゃならなかった」という当時の状況を話しながら、「なんかブルドーザーでワッといきなり掬い上げられてドサッと別の場所へ落とされた感じ」、「小5の時の自分とその後の引っ越した後の自分では、突然バサッと壁で分断されたみたいな感じがする」という言葉を自分で話していて、『分断』という言葉がすごくしっくりきたのが不思議だった。
すると先生は、「自分ではどうしようもできないコントロール不可能な力によって人生を翻弄された過去の流れと同じですよね」とおっしゃって、私は11歳の時「引っ越すよ」と言われた時の何となく呆然とした感覚を少し思い出していた。
「自分ではどうしようもできない事」
それを聞いて、何となく世界や自分の人生を薄っすらとした虚しさが覆っていった感覚を思い出していた。
それと同時に、そう言えば、引越しに限らず、自分の努力や能力ではなく自分ではどうにもならない事情によって希望を打ち砕かれた経験がいくつかあった事も思い出した。今も引きずっている恋の事もそうだった。
そう思ったら、涙が出てしまった。
先生は、「○○さん(私)はその11歳の時にきっと絶望してしまったのですよね」とおっしゃって、私は改めて「すごく虚しい気持ちになりました」と口にして、自分は今まで何事においても達成できたことがなくて、ずっと虚しかったんだよなぁと
いう感情をしみじみ思い返した。
今まで何も達成した事がないというと、そんなのは自分次第で、自分の努力ややる気が足りなかったとももちろん思うが、多分、私はそのやる気や本気を出したくても既に心が絶望に覆われていた事による虚しさで、「どうせ自分の夢は叶えられない」という虚無感と、そこから「私は何の価値もない」という自己否定感にまで覆いつくされていたのかもしれないと感じた。
「○○さんも言われた様に、引越しの時の『分断』された感覚や傷を癒す事が今日のキーワードですね」と先生はおっしゃって、後半のセラピーに入った。
先生は私の肩に手を置きながら、過去生から続く分断されたことからの絶望感、傷を癒したり、エネルギーを入れて整えて下さったりした。その時改めてまたリーディングをしてくれて、「同じ国の中で分断され、同じ国同士で敵対し、家族や親戚や親しかった人達と二度と会えなかった。その中で女性として生まれたあなたは男の様に力に訴えて反抗することも出来ずにただひたすら我慢するしかなかった。新しい環境にも馴染めず苦労した。女性としての人生も味わうことができなかった」と言っていたのが、「同じ国の中で」と聞いてまるで東西ドイツの様でちょっと鳥肌が立った。私の大好きな映画『ヘドウィグアンドアングリーインチ』を彷彿とさせたから。あるいはロシアの下の方の国の内戦とか?とも思ったり。「私が避難してた国はドイツ?ドイツに天災なんてあったかな?でも分断なんてまるで東西ドイツみたい。でも東西ドイツってつい最近のことじゃん」などと色々思ったけど先生は「さっきの天災の過去生とはまた別の過去生で、カウンセリングの時に出たのと同じ過去生は出ない」「世界の歴史は戦乱の歴史でもありますしね」とおっしゃって、私の避難民の過去は一度ではなかった事にちょっとびっくり…。私は分断され翻弄される人生をリベンジしたくて生まれてきているのかもしれないのだった。
その後、今の人生の中で、豊かな実りある人生を歩める様に、「豊穣の女神・アバンダンティア」のセッションというものを施して下さった。その時に興味深かったのが先生の口から「気に入った絵筆があれば、その子を可愛がってあげなさい。ペンがあるならそれを大切に。後は自分の魂を絵筆やペンに載せるだけでいい」というメッセージが届けられた。両親とのトラウマとは別に、芸術活動や表現者として生きる為の突破口もいつも相談していて、この言葉はまた意外な指針となりそうだった。もう無理に作品を世に出そうとかいった焦りはあまりないが、趣味や心の解放としてやはり表現作業は私にはとても必要なものなので、楽しんで表現できる人になりたいという夢はなくしたくない。「気に入った絵筆」というのは、なんだかとても初心に帰れそうな気がする。何の欲もプレッシャーもない、楽しいからひたすら絵を描いていた子供の頃のように、まずは自分が可愛いなと思う絵筆やペンを買う。レコードのジャケ買いの様に、ヴィジュアルからちょっと入る。そして、気分が上がる、楽しくなるような道具を使って、誰の為でもなく自分の為に楽しく描く。そこからまた始めようと思う。
先生のセッションが終わって、最初は母親に対する感情で相談に来たのに、終わった時には正直それはどうでもいい気分になっていた。両親への恨みや愛情や諸々の感情はほとんど消散しつつあるのを感じる。
大人になってからの反抗期と自分と向き合い続けたこの数年間。
やっとこの段階まで来られた。
自分の人生を楽しみたい。
自分という花を実り豊かに咲かせたい。
高熱に苦しんで、目が覚めた朝、まだ頭は朦朧とするけど、お水が美味しい。
そんな風に淡々と自分の体を自分の体として感じられる感覚を久しぶりに感じている。
淡々と、思う。生きてみたいと。
最後に、もし私の様に精神的に苦しんでいる人、苦しみの真っ只中でもがいている人がいるなら、絶対にその苦しみは、無駄じゃない。
完全解決なんてないし、苦しい気持ちはいつもあるし、死ぬ寸前に「楽しかった」と思えればいいなんて僅かな願いすらも叶わないかもしれないのが人生なのかもしれないけど、どうかもがいてほしいと願います。あきらめないで、希望を持って、とか思いません。もがいてほしい。もがいた分、絶対今とは違う場所へ行けます。行きたい場所とは限らないかもしれないけれど…(^^;
そして私を辛抱強くあきらめずに助けてくれた人、いろいろなセラピーあっての今の私だけれど、自分の苦しみを一つ一つ理解する手助けの一つとして、実際的にかなり効果的だった今回もお世話になったセラピストさんに興味のある人がもしいらっしゃったらおっしゃって下さい。HPをお伝えします。
「言った人だけ教えますよ~」なんてどんだけ上から目線なんだ、だし、別にそのセラピストさんの回し者でもないけれど(^^;、 単純に、苦しい人の少しでも助けになればと思います。
私ももがき続けようと思う。いろいろな予想もしなかった場所へ行こうと思う。
みなさん、どこかで会えたらうれしいです。