死と再生と復活。
信頼している先生の書いた新作の本に書かれていたことです。
今までのすり込まれた価値観やそれによって否定してきた間違っていると思うしかなかった自分の真の在り方を、
取り戻すためには生きながらにして一度死ぬような過程が必要であったりする。
尊厳を取り戻す。
私にも正にそう思えることが起きていて合点がいったのでした。
関西遠征する時はいつも京都を深夜バスの降車地にしていました。
京都が土地として好きだったし、京都は彼の活動地であって思い入れがあったから。
とにかく感じていたかったし離れたくなかった。大好きだからです。
だけど今回なぜか分からないけど降車地を奈良にしました。
京都に飽きていたということもあるんだろうけど、そして京都をどんどん嫌いになっていて、嫌だと思っている自分もいたんだけどどうして奈良なのか。分かりません。でも惹かれるように選択していた。
京都の時も、他の場所でも、とにかくお金に余裕がないので基本的には散歩して歩き回っていつも時間をなんとかやっとこ潰す。
今回もそのつもりではあったけど、本当に精神的にクタクタで疲弊しきっていて、気分が辛くてやる気が起きなくて、
なにともなくただ歩いて気づけば朝7時から12時くらいまで5時間歩き続けていました。
散歩に慣れてるとは言えさすがに5時間(^^; 脚が棒で腰も膝も痛い。24時間テレビの人が最後に引きずりながら歩く気持ちが分かりました。
お腹もぺこぺこだったのでラーメン屋へ行ったのですが人気店で行列がすごく1時間待ってまた脚が限界になって、にも関わらずびっくりするくらいめちゃくちゃ美味しくなかった。(>_<)(^^;
今までもなんでこんなことしているんだろうバカみたいって何度も思ったけど、この奈良は一番無為でした。
こんなに心も肉体もお財布もボロボロになって、しかも一個も楽しくない。喜びがない。悲しみだけ。
だけど、先生の著作を読んでピンときました。
奈良でのただ歩き続けた5時間は私にとっての生きながらにして一度死んだ経験だったのかもしれないと。
雨の降る中寒くて寂しくて絶望していてでも好きで、でも寂しくて、悔しい。
辛いよ!足痛いよ!(>_<)悔しいよ。
もう疲れた。涙
だけどこれが再生し復活する為の過程だったのかと思ったら本当に気持ちが救われる思いでした。
それ位強烈なことが必要だった。そこまで自分を傷つけて、心を痛めつけてきたのです。
幸せになりたかったから命をかけて頑張ってきたけど、あまりに自分の命を犠牲にし過ぎました。それは自分の価値に自信がなかったからだけれど。
自分の努力が足りないと思った。我慢して許し捧げるのが愛だと思いました。
そして強すぎる自分の感性はさじ加減をして周りの様子に合わせなければ。普通に生きなければ。大人として。人として。
もうそんな生き方はやめる。
この本で「自己犠牲はすればするほど報われない」と言っていて。
その通りでした。いつか変わると希望を夢見てきたけれど。私が嫌がることばかり。そんなに私が嫌なら嫌だと言えばいいのにノーとは言わない。
人には受け取れるだけの愛の分量があるそうです。
受け取れない、受け取る気がない、受け取りたくない人に独り善がりに愛を渡そうとするのは無理があるしやっぱり自分本位なことですよね。
大切な人です。
だけど、もうやめます。
遠くで応援する。私も私のやり方でもう一度なんのために生きているのか考えてみます。
ラーメン屋に行く時の降りた駅が『京終』(きょうばて)だったんです!
京(きょう)、ばて(終て)って。。。
偶然食べログで調べて適当に決めただけなんですよ? 必然にうぅぅわ!と驚くしかありませんでした。(^^;
私の卒業にたどり着いた地。
京都とさよならします。
そして復活してみせます。
信頼している先生の書いた新作の本に書かれていたことです。
今までのすり込まれた価値観やそれによって否定してきた間違っていると思うしかなかった自分の真の在り方を、
取り戻すためには生きながらにして一度死ぬような過程が必要であったりする。
尊厳を取り戻す。
私にも正にそう思えることが起きていて合点がいったのでした。
関西遠征する時はいつも京都を深夜バスの降車地にしていました。
京都が土地として好きだったし、京都は彼の活動地であって思い入れがあったから。
とにかく感じていたかったし離れたくなかった。大好きだからです。
だけど今回なぜか分からないけど降車地を奈良にしました。
京都に飽きていたということもあるんだろうけど、そして京都をどんどん嫌いになっていて、嫌だと思っている自分もいたんだけどどうして奈良なのか。分かりません。でも惹かれるように選択していた。
京都の時も、他の場所でも、とにかくお金に余裕がないので基本的には散歩して歩き回っていつも時間をなんとかやっとこ潰す。
今回もそのつもりではあったけど、本当に精神的にクタクタで疲弊しきっていて、気分が辛くてやる気が起きなくて、
なにともなくただ歩いて気づけば朝7時から12時くらいまで5時間歩き続けていました。
散歩に慣れてるとは言えさすがに5時間(^^; 脚が棒で腰も膝も痛い。24時間テレビの人が最後に引きずりながら歩く気持ちが分かりました。
お腹もぺこぺこだったのでラーメン屋へ行ったのですが人気店で行列がすごく1時間待ってまた脚が限界になって、にも関わらずびっくりするくらいめちゃくちゃ美味しくなかった。(>_<)(^^;
今までもなんでこんなことしているんだろうバカみたいって何度も思ったけど、この奈良は一番無為でした。
こんなに心も肉体もお財布もボロボロになって、しかも一個も楽しくない。喜びがない。悲しみだけ。
だけど、先生の著作を読んでピンときました。
奈良でのただ歩き続けた5時間は私にとっての生きながらにして一度死んだ経験だったのかもしれないと。
雨の降る中寒くて寂しくて絶望していてでも好きで、でも寂しくて、悔しい。
辛いよ!足痛いよ!(>_<)悔しいよ。
もう疲れた。涙
だけどこれが再生し復活する為の過程だったのかと思ったら本当に気持ちが救われる思いでした。
それ位強烈なことが必要だった。そこまで自分を傷つけて、心を痛めつけてきたのです。
幸せになりたかったから命をかけて頑張ってきたけど、あまりに自分の命を犠牲にし過ぎました。それは自分の価値に自信がなかったからだけれど。
自分の努力が足りないと思った。我慢して許し捧げるのが愛だと思いました。
そして強すぎる自分の感性はさじ加減をして周りの様子に合わせなければ。普通に生きなければ。大人として。人として。
もうそんな生き方はやめる。
この本で「自己犠牲はすればするほど報われない」と言っていて。
その通りでした。いつか変わると希望を夢見てきたけれど。私が嫌がることばかり。そんなに私が嫌なら嫌だと言えばいいのにノーとは言わない。
人には受け取れるだけの愛の分量があるそうです。
受け取れない、受け取る気がない、受け取りたくない人に独り善がりに愛を渡そうとするのは無理があるしやっぱり自分本位なことですよね。
大切な人です。
だけど、もうやめます。
遠くで応援する。私も私のやり方でもう一度なんのために生きているのか考えてみます。
ラーメン屋に行く時の降りた駅が『京終』(きょうばて)だったんです!
京(きょう)、ばて(終て)って。。。
偶然食べログで調べて適当に決めただけなんですよ? 必然にうぅぅわ!と驚くしかありませんでした。(^^;
私の卒業にたどり着いた地。
京都とさよならします。
そして復活してみせます。