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brain construction

個人的脳内アウトプット記録

逆上がりして変化無し

2007-05-15 13:12:30 | hypnotherapy,etc
オステオパシーに通いだしてかれこれ7回目。
いつもの様に左肩と左側頭部の頭痛と尾てい骨に治療を施してもらい、最後にストレス解放の治療をしてもらう。

オステオパシーでは、原因不明の痛みが通常1、2回目でみるみる改善したりするらしいのだが、私は5回目まで全然変化が無かった。
全く変化なしというか、改善の兆候はなかったということで逆に、最初に治療を受けてから坐骨の痛みが現れだした。

12歳の時、後ろに物があると気づかずにしゃがんでしまい、思い切り尾てい骨を強打してから、デスクワークが続いたり重い物を持ち続けたり寒くなったりすると腰痛に悩まされるようになった。映画を見るのも約2時間座っていることがきつかったり、海外旅行で飛行機に乗るのも本当にきつい。
だから元々尾てい骨に問題はあったのだが、慢性的に悩ませ続けられている左肩の凝りと頭痛に比べれば我慢できるものだった。
それがオステオパシーをしてもらってから痛みが強くなって立っていてもジリジリと痛むようになってしまった。

「治るどころか余計痛いところが増えたじゃないか!」と怒りたくもなるが、それは治療の効果が現れているのだという。
例えば肩凝りで通院したら足首が痛み出したとかいうのは本当は足首にも元々何かあったが、肩凝りの痛みが強過ぎて今まで感じることができなかったということで、痛い箇所が変わったり増えたりするのは、今までの痛み以外の身体の他の箇所へ神経が感じるようになったともいえ、効果が出ている兆候で良い事なのらしい。

「そういうものなのか…」と半信半疑ながら、私にしてはかなり忍耐強く今まで通院した方だと思う。
私は何事においても結果を焦りすぎる傾向があって、つい焦って自滅するパターンが多かった。
不信感も強いし、自分で不安を大きくしているようなところもある。
そんな私の様子を見た妹に「ダメもと精神で気長に継続することが時には大切だと思うよ。」とアドバイスされ、自分でもその通りだなぁと少しは考え方を見直そうと思っているのだ。

そうしたら前々回から前回の治療の間に、ふと気づくと左肩の凝りが今までにないくらいに軽くなっていることに気づいた。
十年以上の年期の入った痛みで、朝起きたときから夜眠るときまで一日中ずっと凝っていて365日痛くない日はないのだ。爽やかにすっきりと目を覚ませたのはいつのことだったか、思い出せない。
完治とはいかないが、肩を回しても変な音がしないし本当にかなり肩が軽くなったのだ。頭痛もだいぶ軽くなっていた。
ほとんど諦めていたのに、ここまで変わることができるんだなぁと驚いた。

しかし、喜びの日は2週間ともたなかった。。また以前の状態に逆戻りしてしまった。
左肩の凝り、頭痛、尾てい骨の痛み、私の3大プロブレムはあっけなく復活してしまった。

左肩の一瞬の解放感は、前々回の治療で初めて本格的に「ストレス解放」治療をしてから得られたものだった。
どんなことをするかというと、ただ先生に頭を抱きかかえられながら診療台に横たわらせられるだけ。
この「ストレス解放」をすると人によって泣く人や眠ってしまう人笑い出す人、いろいろあるらしいのだが、私の場合は「一体この先いつまで通院すれば治るのだろう」「私はこんなところで何しているのだろう」などと疑いながら思考しているような感じだった。時折、小学生の時の友達の顔やニューヨークに居た頃に出会った人の顔、両親の顔などが浮んできた。
普通何かのセラピーで解放行為をすると泣いてスッキリできるようなイメージがあったから、特にすっきりもせず大きな変化がないのはなんか「つまんない…」と思った。せめて爆睡でもできてすっきりしたかったのに。。

しかし、今回の「ストレス解放」治療では、始めからほとんど何も考えずに治療の波に身を任せることができたような感じだった。
横たわらせられてすぐ、鉄棒の逆上がりをした時のように、頭や目の方に血がどんどん上がってきてドクドクしている感覚があった。そんなことは初めてだった。すごくだるくて眠ってしまいそうになりながら、途中である人のことが浮び少し涙が出そうになった。意外な人の顔だった。ずっとネックになっている(と自分で思っている)人ではなかった。

治療終了後、ものすごく眠くてぼんやりとした足取りで家路に着き、すぐに床についてしまった。
朝目覚めて、だるさはだいぶ無くなったが頭が痛くて、左肩も腰も痛いままだ。
もう少し通院して様子を見てみようと思う。






同化

2007-05-12 12:58:53 | hypnotherapy,etc
昨日はヒプノセラピーのセッションに行ってきた。

始めに、前回の時から今までの間に起こった事何か感じた事を話す。
はじめてセッションした時も相当どん底だと思ったが、今回は更にもっとひどい状況で、一体人はどこまで落ちることができるのだろうと情けなくなってくる。
あまりに他人と話していなかったので、口がもつれてどうやって口を動かせば人と話ができるのかもわからなくなる始末。
おまけに、またしても母親と朝から口論になり、結局いつもの様に私の死に物狂いの言葉は理解してはもらえず、不毛な気持ちだけが二人の間にまた積もっただけで、私はもう手も足も出ない絶望感に覆われていた。

しかし、少しずつ話すうちに、自分なりに調子を取り戻してきて、その場にいる自分と周りの空間がなじんでくるようになった。

「母親に、自分の思い描く理想のお母さんのように変わってほしい。お母さんが変わってくれないと自分は変われない。あるいは、一緒に変わってほしい。」
と思っているのは、今の私が母と自分を「同化」してしまっている、自分と母とを切り離して物事を考えるようにする必要がある」

「アイデンティティの構築は、両親や友達など他人との関係の中で少しずつ築かれ、最終的には他人とは切り離して自分自身で「自分」をとらえられるようになっていく。」

「アイデンティティの始まりは両親との関係で築かれるから、両親との関係はもちろん大切だけれど、そこに問題があったとしても必ずしもその欠落を修復しなくてもアイデンティティを獲得することは可能。」

「アイデンティティの根本を両親との関係性以外で得る方法は、「地球や宇宙としっかりと繋がる(グラウンディングする)こと。」

「親子関係で問題を抱える人はだいたい母娘でセッションを受けたいと言って一緒に受けたがるが、あまり薦められない。かえって混乱するだけ。」

「だから必ずしも両親に固執しなくてもいいということ。」

いつも先生の言葉から発見させられる。今回は「同化」が私にとってキーワードになったような気がする。

又、両親との関係をどうにか修繕しなければと躍起になっていた私にとって、両親との不毛な戦いで傷つき続けるのはそろそろ本当におしまいにした方がよいと気づかせてもらった。

この1、2年の間、カウンセリングに母と一緒に行ってもらったり、相談事だってほとんどしたことないのに必死に両親と向き合い今まで抑えていた思いを伝え、生まれて初めて馬鹿みたいに泣き喚いたり大声を上げて口論をしたりしてきた。
カウンセリングでは、第三者に間に立ってもらって自分の気持ちを吐き出すことで、母に今までどれだけ苦しかったかという事実を知らしめ、あわよくばカウンセラーに母を諭させ、母に反省を促させたかったという思いがあった。
そして、私だけでなく母も「一緒に」変わってほしいと思った。
しかし、母は責められているとしか思えないみたいで、先生の言う様に「混乱」するばかりに見えた。
両親に反抗したり喧嘩したりしたのは、私にとっては決死のことで本当に居心地の悪い行動だったけど、お互いぶつかることこそ私達家族にずっと欠落していた大事な行為だと信じていた。しかし思うように現実はなかなか改善していかなくて、絶望していた。

でも、私は私のできることをできる限りにやったのだ。
その功績を自分自身で認めてあげないと。そして、次なるステップへ進む勇気をそろそろ持つべき時期なのだろう。

人が人を変えることは多分、できない。
自分が変わること。そこから、何かが始まるはずだ。
自分が変わることも、それこそなかなか簡単にはいかないのだけれど。

最後に先生は、「お母さんは変わらないわ、多分。。でも、深層心理の中でこれからの気持ちの方向性を整理してあげることは可能です。」と言って退行催眠を施してくれた。
私はそこで4歳から6歳頃の自分になり、その私ができなかったことをさせてあげて、最後に現在の自分と小さい自分と、母の魂を融合させてゴールドとエメラルドグリーンとブルーの綺麗なリボンにした。
このリボンはこれから自分の胸に大事にしまっておこうと思う。