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やはり、ライブ、だ。。、☆

2021-10-17 18:45:50 | ☆徒然blog…♪
ウクレレを弾きながら活動されている、九里みほさんの唄と朗読のライブを観に行ったよ。
この人、本職は役者さん。
あ、本職なんてどうでもいいか、歌うたいの時は歌うたいが本職だろう。

緊急事態宣言あけてからというもの、なにかに引っ張られるようにLIVEや展覧会に足を運んでいる気がするわ🤣
なかでも、昨晩のちいさなちいさな公演「月見る猫はウクレレを歌う」は、とびきりのひとときだった。

浅草にある土蔵を改造したギャラリースペースをもつ、カフェバー〜ギャラリーエフさん。



江戸末期、慶應年間に建てられたその土蔵は…戊辰戦争も、関東大震災も、東京の大空襲をも生き延びた貴重な文化遺産だ。



チャージを払って、少し待って通されたその土蔵。
腰をかがめないと入れないワタリをくぐって一歩なかにはいったらもう、そこは異空間。

ぽんとおかれた椅子と譜面台が、立派な舞台セットとなっている。

この体験…!
それはやっぱり、そう、体験、なのだ。。
これだけは、配信では伝わらない。

生の出し物の最大の魅力を、導入から体験させてもらったよ。

九里さんの新しいアルバムが発表になって、そこからの新しい(しかし聴き馴染みのある🤣)曲たちに混じって朗読されたのは…
逸見チエコさんという方の著書「看板にゃん猫」。

まさに会場となっている、ギャラリーエフさんの看板猫さんと、旅立たれたお店のおねえさん…そしてお店の物語も含めて、看板猫を担う猫さんたちと、そのお店のストーリーが短編でいくつも収められている。。

きゅーちゃん(九里みほさん)の唄が、いつもとはまた違った風景を届けてくれる。

いちじかんと少し。
ぼくはたっぷりとココロの旅をさせてもらった。
語っているのはきゅーちゃんで、目に見えるものは他になく、その物語と声、そしてウクレレの音色だけですすむステージ。
うたや物語を通して、
たくさんの自分の景色がオーバーラップしていった。

観たこともあったこともないひとたち、猫たちの物語が、自分の歩んできた風景に、重なり合っては消えてゆく。

そう、僕が舞台に求めるのは…まさしくこんな世界なのだ。。。

135年もの月日を重ね、激動の時代を見守り続けた土蔵の空気は…少しずつ、ちいさな真空の宇宙と化して行った。

感情に流されずに、しかし豊かに語るきゅーちゃんの声に、本物の俳優魂を感じたよ。
素晴らしいひとときだった。
またひとつ、おおきな考察材料にもなる舞台に遭遇することができた!


深い余韻の中、土蔵の2階に上がらせてもらうと…


さっききかせてもらったばかりの、このお店のおねえさんの物語の断片にであうことができた。。


最愛の猫に旅立たれたあと、
原発事故で戻れない区域に残された猫たちを救うためのボランティア活動に打ち込まれたという。。


…あの3.11のできごと。


表向き、直接の被害を被ったわけでもなく、近しい人を亡くしたわけでもないぼくが、この10年、ご縁をいただいた岩手県宮古市とそのまわりの地域の応援活動に携わらせてもらってきた、しかし、その中でいまだに消化しきれないでいる気持ちの拠り所を、ほんの少し安らぐ何かに、そこで出会えた気がした。

いつ手にしたのか…
錆びついた、福島の猫さんたちを応援する缶バッジ。

何がきっかけで
その人その人の人生と
こうした活動が交差してゆくのか

何がきっかけで
生きる意味を見出すことができるのか

そうだ、
あの震災の後…
ぼくは何の役にもたたない音楽なんぞに半生を費やしてきてしまった事実を
どう消化していいのかわからず、
途方もない無力感にかられていた。

ただ

ただ、

もういちど、
しかし、こうして生かされていることの意味を感じたかったのだ、
ただそれだけだったのだ。





…きゅーちゃんの舞台が、僕が考えるところの「透明な媒体」となって、その向こうの物語をみせてくれたのだ。


そうなんだよね。
音楽や舞台には、そんな力がある。

この夜の部には、
その本の作家である逸見チエコさんご本人もいらしていた。





少しお菓子をいただいて、
ギャラリーを出ると、雨が降っていた。

なんの予備知識もなく観にゆかせてもらった「月見る猫はウクレレを歌う」だったのだけれど、、
少し時空が変わったような感覚に見舞われた帰り道だったよ。。








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