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長〜い序文…☆

2024-05-17 10:24:32 | ☆徒然blog…♪

ワンマンレコ発の記録を書いておかなくちゃ、と思って書きはじめたのだけど…LIVEレポの前に書いておかなくてはならないことがありすぎて😂💧

長すぎる"序文"になっちゃったわ。。

 

うん、でもまーしかたない🤣💦

 

 

昨年の1月末にこはるさんが月へ旅立ってからと云うものなんとも消化できない想いともやもやとあたかも自分のことの様に感じられてしまうシンクロニシティ感覚とでもいおうかそんな想いに、ずっと苛まれてきたんだよね。。

 

そうあの時たしかに、ぼくも一度死んだのだと思う。そして誤解を恐れずに言うならば、あの時月へ旅立っていったのはもしかしたら本当ならぼくの方だったのかもしれない、そんなふうにさえ思えて仕方がなかったのだよね。。

 

 

この一年、何度かライブでも話して来たようにコハルさん自身とは、とくだんしょっちゅう顔を合わせていたわけではなくてね。ぼくの企画LIVEに出演してほしくて連絡するくらいのもんでさ。数打ってきたぼくのLIVE企画には、一番たくさん出てもらった部類のひとではあるのだけれどむしろ私生活や普段の人となりに関してはほとんど知らないままなのだよね、いまでもね😂💦

 

それでも、こんなふうに感じてしまうのはコハルさんという存在がぼくにとっては…2000年代正確には1990年代半ばから徐々に火がついて盛り上がっていったこの"ウクレレ"という小さな楽器をキーワードにした"ブーム"の黎明期を、文字通り"共に駆け抜けた"そんなふうに感じる、いわば戦友のような存在の筆頭であったからなのだよね。。

昨今のこのウクレレブームも、ジェイクシマブクロ氏の登場以前は、まだまだこれというスタイルが決定的にあったわけではなくてそれまでの絶対的な存在といえばなんといってもオータサン!そして、カアウクレーターボーイズのトロイ・フェルナンデスくらいだったんじゃない?ただ、彼らのスタイルはいくらか地味というか、マニアックな側面もありオープンに一般的な認知を得ていたかというと決してそういう状況でもなかったわけでね。。

また、当時は(これは今も変わらないいや、ここはサブカル感は薄れたか😂)ウクレレ、というキーワードで繋がってゆくコミュニティには、勝手な弾き方で自由な表現をして楽しんでいる人たちの、アンダーグラウンド文化のような側面もあって。。

 

その黎明期をぐんと先へ推し進めたのが、個人的な見解で言えばIWAOさんだったと思う。

彼はこのシーンの何歩も先を突っ走って、新しいウクレレ音楽の価値観と魅力を"創造"していた張本人だった。

が、それとて一般的に広まっていたかといえばそこまででもなくつまりこの時代は、さまざまなスタイルと価値観が乱立し始めていた、いい意味での"戦国時代"だった気がするね。

そして何より、自由なパワーにあふれていた。

この"ウクレレ"というキーワードの元にいったいこれからどんなムーヴメントが育まれてゆくのか!そんなワクワクと高揚感に満ちた時代だったのだと思う。

 

まさしく、気分はウッドストック、だったね

 

ウクレレのユニークな音色に彩られたオリジナルソングの需要はまさにこれから生まれてゆくと夢見ていたしこのムーヴメントの中から、それこそ紅白に登場するようなスターが出てゆくのだと思っていた。そして、その先頭にいると感じていたのが、コハルさんと当時ハナムーンさんが組んでいたユニット〜フロッグスリープ、だと思っていたのよね。。

2人のコンビネーションは素晴らしく、ハナムーンさんの歌声は天性のもので、コハルさんの紡ぐメロディと言葉は本当にセンスに溢れていて、どれだけ嫉妬したか😂そして、気が付いたら、もう大ファンになっていたんだよね。。

LIVEステージでは自分たちの曲しか演奏してなかったよ、当時のフロッグスリープってね。。

 

 

 

つまるところ、そうあの時代、コハルさんたちがやっていたこととぼくの目指していたものは他の誰がやっていたことよりも"近かった"んだよね。ウクレレソロではなく、歌モノのオリジナルの音楽ワールド。。。

 

 

 

そしてその後、さまざまな出来事が起こってゆくわけだけれどもぼくとコハルさんには大雑把な歩みの流れのようなものの、共通項も少なからずあってね。

 

今は消滅してしまった、2年に一度の、全国から応募をつのった音源審査の後のガチンコLIVE一発勝負"ジ・ウクレレコンテスト"での大賞受賞はいい例でぼくとコハルさんはこのコンテストで自作の歌モノの楽曲にウクレレで工夫を凝らしてアレンジし、総合優勝している唯一の例(正確には唯ニ、か😂)なのだけれど逆にそのことによって「大してウクレレうまくないのに(うっせーよ)超絶テクのソロイストたちを抑えて、楽しそうに歌って大賞取っちゃった」なーんて、あちこちで陰口を叩かれたりしたんだよねぼくらふたりとも。😂💦

ぼくはのちに直接「当時そうおもっていた」なーんて今をときめくスタープレーヤーらから直接言われたこともあるくらいでさー。アホらし。。

 

 

ぼくがそのコンテストに出場したのは2005年と2007年のことでこの頃はまだ先述したとおり戦国時代からJake時代(と、敢えて例えさせてもらう)への過渡期だったから、まだまだ「ふざなんなー!」的に逆境を逆手に取って各地を荒らしてゆくだけの気持ちのゆとりと反骨心もあったけれどコハルさんが優勝したのは2013時はジェイク氏のプレイに触発されたシーンの興隆〜成熟は最高潮に達していた頃でやはりぼくと同じような目に遭って揶揄されてしまったコハルさんは、当時とても悩んでいたとあとになって知ることになったのよね。。

この頃にはもう、ウクレレというキーワードのマーケットが確立されてきていて、当然おおかたのニーズというものも明確になってきていて言ってみればぼくらのやっていた"オリジナルソングでシェアを拡大しよう"という活動?方法論?のようなものは、シーンの需要とは合っていないということもぼくが自覚できてしまうくらいの時期だったからコハルさんの時の方がきっと反発や嫉妬騒動が明確で大きく、辛かったんじゃないかしらね。。。

 

ただ、ね。

ただ!だよ。

コハルさんの場合は、その後も快進撃は続いてハワイのコンペでのMVP受賞、そして、アルバム「旅にウクレレ」が、本番ハワイのナホクハノハノアワードにノミネートと、つまらん陰口を叩く連中の鼻をへし折るには十分すぎる大活躍だったのよね!

まー、ぼくとしてはほんとに胸のすく思いだったし、自分のことのように嬉しかったのをよぉく覚えてるわ。。

 

 

でもこれだけの偉業を成し遂げてきたにも関わらず、なのよね。。。

先にも書いた"ウクレレ音楽シーンのマーケット"が確立されてきたことによる需要の明確化、、、それはやはり"ウクレレそのもの"の需要であって、ぼくらが思い描いていたオリジナルソングの需要とはだいぶズレがあったということも確かだったのよね。

もちろん、説得力のある楽曲の存在が必要なのも確かなのだけれどなかなかコンサートの盛況とタイトル獲得の実績が伴わないというかね、そんな状況に、コハルさんは自作曲をメインに活動していたから葛藤があったことは、ぼくにも伝わってきていたのよね。。

 

まだまだ、いろんなことあるんだけどもさでも、これだけとっても、コハルさんという人がぼくのやりたいと思っていたようなやり方で快進撃を続けていってくれて、ほんとうに頼もしい道標のようになってくれていた存在だったということは十分伝わるのではないかしら。。

そして、同じような葛藤をしてきたことも。。

 

 

 

こうしてコハルさんが快進撃を続けていた、2010年代中頃、この時期ぼくはといえば、もうシーンの表通り?を睨むことをやめてしまっていて東日本大震災の応援活動と、そこに端を発した出会いからまたひとつ、まったく違ったステージでの表現方法?に生きがいを与えてもらっていた時期になっていてね。00年代とは、お互いずいぶん距離のある活動をしていた時期になるんだけれどね。。

 

 

そうこうしているうちに、未曾有のコロナ禍に突入ぼくはそれこそ、2022夏に、おそらく当時の自身の全てを賭けて臨んだ"百年奏"公演を、こともあろうかぼく自身がコロナに罹っての中止・延期とそこに端を発したウクレレ教室での不手際もろもろで、ズタボロになるわけだけれどもコハルさんはコロナ禍、いったいどんな想いだったのかしらね。

そんな中で配信LIVEなどで発表された、コハルさん最後の(ぼくの知ってる限りでは)オリジナル曲"新呼吸"からはその明るい曲調とは裏腹に、少なからず当時の心情が読み取れるようでギュッと心を締め付けられるような気持ちになるんだけどさ。

 

最後に話をしたのは、その年、2022の秋恒例の阿佐ヶ谷ジャズストリートでぼくが任されていた唯一?のウクレレ企画会場に出演してほしい、と連絡した返事を、珍しく電話でくれた時だった。ぼくはそれこそ藁をも掴みたい気持ちでなんとかたっていただけの、ちょうどそんな時期だったんだけどね。。

まさにその時まで、これまたお互いにウクレレ教室に関わる難しく厳しい問題に直面してるなんてことは、知る由もなかったんだけどさ。

 

 

こはるさん、旅立つ前の数年は、ライブでも有名なカバー曲を多く歌うようになっていたけれどそれにはちゃんと理由があったんだよ。

先にも書いた、葛藤ののちの選択だったはずなのよね。あるいは生み出すことに苦労をしていたのかもしれないね。

ぼくはコハルさんのオリジナル曲が大好きで、ぼくの企画に出てもらう時は「自分の歌をうたってちょーだい!それが唯一にして最大のお願い!」といって、出てもらっていたんだよね。。

 

 

とりとめがなくなってきたわ。

 

 

あのとき、連絡もらった電話で、ほかになにか話せることはなかったのかしら。。

 

 

その後、突然プツっと途切れてしまったコハルさんの記憶をどうにもこうにも消化することができず、ここまできてしまったんだよ。

たぶん、そう書いても伝わりにくいことだと思う。とくだん親友とかそういうわけでもなく、恋愛感情を抱いていたわけでもない。ましてや、家族のような存在であったわけでもない。。。

では、そこになぜ?そこまで入れ込んでいるように"見える"のかきっと不思議に思ってる人も多いはず。

実際よくそう言われるんだよね。

 

CDをきちんとレコーディングして作ることだってそれだけで、ウン十万かかってるわけだからさ。ほとんど自作の曲しかレコーディングしてこなかったこのぼくが、だ🤣

 

あともう一つ、フロッグスリープというユニットのストーリーの終焉という大きなキーワードがあるのだけれど、、、そこはもう、書くのはやめとこう、ぼくが語ることのできる話ではないからね。。

 

 

 

ぼくの話に変わるけれども、ぼくはといえば先にも書いたように、コロナ禍での疲弊と、公演の中止延期、そしてその百年奏公演に注ぎ込んだすべての後の燃え尽き状態そして自身がコロナに罹ったことから吹き出したウクレレ教室での大きなトラブルなどがいっぺんに吹き出して東京に出てきた最初の年に陥った鬱状態以来の精神的などん底なんとか這いつくばって生きていた2022の後半。

 

その年の暮れ、ひっそりと導かれるようにして旅した久高島で見た海はあれはもう、たしかに彼岸の風景だったといまでもそう思っている。

 

「このさきは、もう、あっちの世界か

 

もう、全部やり尽くした気がしていた。

さんざんぱらまわりに迷惑をかけまくって、やりたい放題やって。

何度も何度も東北に足を運んであれは当時、バスの仕事をしながらの、本当に度を越した命懸けの日々だったけれどもすこしくらいは、ひと様に喜んでもらえるようなことも、やらせていただけた。。

あとは、じゃあいったい、なにを?

たくさん曲も作ったし、

それこそ、振り返ってみたら憧れのアーティストに並ぶくらい!音楽アルバムも作り続けてきた。。。

このアルバムの数は誇ることができるよ😂✨

その全てが自分の意思であり、魂のかけらでありその時その時の、生きた証の曲たちなんだから!

そして、空想の舞台での話だけどさ!100年という時間を飛び越え、その音楽と物語を編み上げてみせた"百年奏"を終えたその時やり尽くしてしまった気が、したんだよね。。

たしかに、やり尽くしたよ。

今振り返ってみても。

あの次にさ、いったい何がある?

そう思うわ。😂💦

 

 

そして下降して行く気力のまま、ゆらゆらと年を越し、ひと月が過ぎようとしていた頃コハルさんが帰っていったと、報せを受けたんだよ。

 

 

その時、真っ先に思ったのは

 

 

「なぜ?いま旅立つのはぼくの方だったんじゃないのか

 

 

これが、ね。

このなっがぁーーーい日記の冒頭に書いたことに繋がってゆく想いだったわけ。。。

 

 

 

だけれども、だ。

どうにもこうにもこうして、ぼくは生きている、まだ生かされている。。

なんだか訳のわからない涙が出て出て、もう仕方なかったよ。。

なんなんだこれは。

たくさん

たくさん考え込んだよ。

でも、

辿り着く事実はといえば

こはるさんはもう肉体を離れぼくはまだ、こうしてまだこの世界に"生かされている"ということだけ。。。

 

そうか、

そうだ。

ならば、

歌わなければ。

 

少なくとも、

コハルさんが命を削ってそれが苦しみだったり喜びだったりきっと悲喜交々しかしこうして同じ時代をきっと、おおかれすくなかれ、同じようなことを感じながら走ったであろう、ぼくの知る"シンガーソングライターとしての"彼女が綴った人生の心の物語の数々を、喜びや悲しみを、生きた証を、まだまだ歌いたかったであろうその分を、残されているぼくは、歌わなければ

 

規模の大小はあれ、同じような境遇と場面にたくさん出会ってきたおそらく、このウクレレのシーンの界隈では、誰よりもやってきていたことが近かった戦友として

そうでなければ、報われないじゃないか。コハルさんがその先に見ていた景色はきっとぼくがぼんやりみていた景色と同じようなモノだったと、はっきりと何者かが伝えてくれているのだから。

 

そしてそうだ!

こうして歌、歌が残されているじゃないか!

ただの音符ではなく、他の誰かの曲でもない。

私小説のような、小さなストーリーを描いた素敵なオリジナルソングたちが。

こんな素晴らしいことってある?

自分で綴りあげた歌が、ことばが、想いが、残っているのだよ。。。

これはさ。

アーティスト

創造した作品が残るのは、

シンガーソングライターの特権さ。。。

 

 

歌が残っている

これって、なんてすごいことなんだろう!

ぼくもね、もうここまで30年とかつづけてきてやっと、そんなふうにも思えるようになったんだよ。

 

 

そんな想いが、いままたこうして、這い上がるきっかけにもう一度ステージにぼくを向かわせてくれるきっかけにその最初の灯火となっていったくれたんだよね。。。

 

 

だから。

だからぼくはこうして、

コハルさんのうたを歌い、

録音して、

レコードを作り、

LIVEステージを作り上げたんだよ。

 

今回コハルトリビュートアルバムを思い切りいいものに仕上げることができてさ、レコ発LIVEたくさんの方に観てもらえて、ほんの少しだけどね、ぼくの中の気持ちも昇華するこができた、そんな気持ちもしてるの。。

 

ぼくは音楽を作り上げる側からコハルさんを見てきたから、やっぱり音そのもので昇華してゆく以外の方法は、ないのよね。

ゆっても、完全に今スッキリしましたっ!ってわけでもないのだけれどさ😂✨

 

 

 

ながーい日記のようなつぶやきのようなモノになっちゃったけれども。。

 

 

さぁ。

これから次は、何を作ろっか!

どんなレコードを作ろう?

どんな公演を打とうか!

 

あ。

こんななにか、独白ぽく書いたけれど心配はいりませんから😂💦

もう彼岸をぼんやり眺めているわけではないからね!

ポマードくんの言葉を借りるならばこの人間世界に、未だ見ぬ異物を作り上げて、放り込むんだよ

これからはきっと、コハルさんの歌たちも一緒に、ね。

 



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