エゴや判断・批判から自分を切り離し、3次元的な感情のままに反応(reaction)するのではなく、愛や歓びといった視点・意識から創造(creation)していくこと大切ですね。
スピリチュアルエネジーフラの踊りやワークでは、私達を育んでくれている大いなる存在、宇宙の愛・無条件の愛の素晴らしさ、偉大さを感じて思わず自然と頭をたれ、感謝を奉げてしまいます。
私達は、常に宇宙の愛の中で生かされているのですよね。唯、それに気づき、焦点を合わせていくことなのですよね。
スザンヌ・リー 2013年8月13日
意識と知覚 Despartando.meサイトより
CONSCIOUSNESS AND PERCEPTION
8-13-13
States of Consciousness and Perception
http://www.suzanneliephd.blogspot.co.uk/2013/08/consciousness-and-perception.html
私達の脳は電気を帯びており、ニューロンで満たされています。それぞれの細胞は樹状突起と軸索で繋がっています。私達が考えたり、感じたり、何かを思い出したりするたびにニューロンが働いています。ニューロンからニューロンへと小さな電気信号が高速で走ることにより、そのような作業が実行されるのです。一つ一つのニューロンの皮膜上のイオンが運ぶあらゆる電位によって、これらの信号が生成されるのです。
私達の身体知覚は全て肉体脳に記録されています。しかし、私達の肉体脳は3D現実というホログラムの一部です。一方、私達のマインドは私達をコズミック・マインド(宇宙マインド)と繋いでいて、3Dホログラムを超えて共鳴します。脳は地球の器の物理的オペレーション・システムであるのに対し、マインドはオペレーティング・システムを実行する電気です。この「電気」が私達の意識です。
マインド、つまり意識は私達を宇宙マインドに繋げようとして盛んに働きかけています。私達がうまく宇宙マインドと繋がってそこから機能できるかどうかは、私達の意識状態によって決まります。いま、私達は三次元オペレーション・システムから多次元オペレーション・システムへと移行するプロセスにいるので、私達の多次元意識に目覚めることが不可欠なのです。
私達の多次元意識は恐怖によって遮断され、無条件の愛によって起動します。無条件の愛はいかなる判断も下すことはありません。判断というのは意識を下げてしまう思考の形の主たるものです。判断というのは思考の形です。どこまでも恐怖に基づいている感情に思考が加わったものです。私達が何かを判断する時、そこには恐怖の残留物が潜んでいます。たとえ無意識の中に潜んでいようと、恐怖があるのです。
ですから、多次元意識を起動させるには、全ての判断を手放すことが不可欠です。私達の肉体意識は肉体感覚にしか繋がっていません。ですから、私達はホログラムの中で共鳴しているものしか知覚することができません。一方で、愛に基づいた感情-条件を伴わない愛-は私達のマインドを宇宙マインドと繋ぐのです。
私達の脳を司るマインド、つまり意識状態は、生存/恐怖か、創造/愛のどちらかの方向性を持っています。条件付きの愛は恐怖のあらわれですが、無条件の愛は恐怖の残余物を一切伴いません。私達は条件付きの愛しか知らないまま、肉体を持った人生のほとんどを過ごしてきました。条件付きの愛は「もしあなたが・・・してくれるなら、愛しましょう」とか、「もしあなたが・・・しないなら、愛しませんよ」というものです。
愛は報酬としてよく利用されてきました。もし私達が良い人間であれば(この良いというのは、皆さんの外側が決める価値)、私達は愛を受け取りました。もし悪い人間なら(これも外が決めたもの)、私達は愛を与えられませんでした。この条件付きの愛によって私達は3Dホログラムに閉じ込められました。恐怖の状態に置かれたのです。この恐怖はいかに小さくても、また無意識であっても、私達の意識を三次元の共鳴に下げてきたのです。そのため、私達の知覚は肉体の五感に制限されていました。
私達の多次元知覚を完全に起動させるためには、「十分に良い人間であるゲーム」からログ・アウトしなければなりません。この「ゲーム」は外の情報源から来たもので、私達は愛を受け取るのに十分に良い人間であるかどうか判断を下すゲームです。このゲームをログ・アウトする唯一の方法、それは私達自信を無条件に愛すること。自分を無条件に愛する方法を思い出しさえすれば、外の情報源の意見は3Dゲームの一部でしかなく、私達はもう3Dから解放されています。
つまり、私達はまだこのゲームをプレイすることを選択しているかもしれませんが、その結果に執着することはありません。その現実の中でもっと努力していこうとする態度がなくなります。なぜなら、そのゲームをまだプレイしているのは義務からではなく、自分が選んでプレイしていることがわかっているからです。いったん私達のマインドが宇宙マインドと繋がると、意識は多次元意識となり、3Dゲームは私達が参加する無数にある現実の中の一つでしかありません。
3Dゲームは中毒性が強いので、宇宙マインドと常に接触し続けることが賢明です。このゲームは十分に良い人間ではないという恐怖が少しでも潜んでいればそれを活性化させるので、強度の中毒性を持っているのです。無条件の愛の中ではすべての外的評価は幻想なのですが、もし意識をこの無条件の愛から脱落させてしまうと、無意識が舵をとり始めまる可能性があります。無意識が指揮をとれば、私達は傷ついた子供/エゴに支配されることになります。
ですから、3Dホログラムでプレイする間は私達の無意識は無条件の愛を常に必要としていることをいつも認識しておかねばなりません。言い換えると、3Dの器のマスターであり続けるためには、自分自身にいつも無条件の愛という燃料を注ぎ続けることが不可欠なのです。無条件に自分自身を愛すれば、私達は一瞬にして3Dゲームから解放されます。このゲームの中毒性は、私達が十分に良い人間ではないという考えを利用していますから。
したがって、いつであろうとゲームが指示してくることができたり、指示されるような人間になれたら、私達は十分に良い人間であるというわけです。これは外の判断によるのですが。時間というのも、3Dゲームの罠です。私達が今の中に生きている限り、判断の源となる過去は存在しません。未来は私達の永遠なる今の創造物です。
私たちの脳は今のなかに生きることは到底できません。ただし、私達の97%の多次元DNAが完全に起動されれば可能です。DNAが活性化の途上にある間は、常に時間の中に舞い戻ってしまうのでこれに挑戦し続けることになります。三次元脳は言います、「外の世界が要求することをしたり、要求している人間にならなかったり、要求されているものを持つことができなければ、自分は『十分に良い』人間ではないのだ」と。
3Dゲームの性質として「十分に良い」人間であることが主たる中毒性を持つのは、十分に良い人間ではないと思っているエゴに私達を閉じ込めてしまうからです。ですから、三次元的な判断中毒から身を守るために自分自身を無条件に愛し続ける、その流れを絶やさないことが不可欠です。
さらに、多次元的宇宙マインドへ繋がる確固とした架け橋を私達のマインドが築くと、私達は3Dホログラムの外に存在する高次元自己と強い繋がりを維持することができるようになります。宇宙マインドの観点から、私達は透視力(高次の視点)、透聴力(高次の聴力)、超感覚(高次の感覚)といった拡大知覚を使うことができるようになり、3Dマトリックスの制限を超越して共鳴する高次元現実を知覚することができるのです。
拡大知覚についてはこちらを参照ください(英語のみ)
http://www.multidimensions.com/CommPortal/commportal_arc2_step16_2.html
幻想を超越する次元上昇は始まっています。ですから、私達の高次知覚はより簡単に起動されます。もう一度言いますが、3Dゲームに中毒になっているから、三次元も含め、多次元知覚へと移行する能力は制限されるのです。
つまり、私達は物理界を無視する必要はありません。実際のところ、私達は3Dの器を身につけている限り、肉体を危険にさらしでもしない限りこの振動を無視することはできないのです。幸いなことに、練習を積めば私達は現実の高次振動を知覚することができます。高次振動は3Dゲームの幻想の中に現れてきています。
ただし、高次振動は意識的に低振動を知覚することができますが、低振動は高次振動を知覚することができません。例えば、私達の地球の器は岩を知覚することができますが、岩は私達を知覚することができません。私達の三次元知覚はこの岩のようなもので、多次元知覚を惑星の中にしっかりと固定しているのです。
幸い、惑星も多次元存在です。ですから彼女もまた私達と同じように高次振動の表現を持っています。したがって、私達が知覚を共鳴の高次振動へと広げていけば、惑星はその振動で待っていて私達がそこに住む準備は整っているのです。
全ての創造物は多次元的存在です。ただ、全ての創造物が物理領域の振動まで共鳴を下げたりはしません。二元性、密度、制限、分離、そのような経験はもう十分やりきった、そう感じた時点で宇宙マインドによるエネルギーの架け橋が知覚できるようになります。しかしもし私達のマインド(意識状態)が広がって多次元宇宙マインドと繋がることができれば、私達の知覚は物理界を超えて共鳴する現実の振動を取り込み始めます。
現実の高次振動が存在することが信じられないとき、または高次現実を知覚したりそこに行ったりできるほど自分は「良い人間ではない」と思うとき。それが最大の難関です。私達の脳はマインドの意識を制限してしまうのです。すると私達のマインドは宇宙マインドとの繋がりを失い、三次元を超越した世界は私達の知覚領域から外れてしまいます。
3Dゲームによる第一の洗脳、それはもし私達の肉体感覚で知覚できないものは現実ではない、という概念です。しかし、盲目の人が少し離れたところにいる人を見ることができないからといって、それは現実ではないということになりますか?聴覚障害の人に私達の声が聞こえないからといって、私達には声がないということになるでしょうか?実際のところ、こういった肉体知覚の一つを失うという挑戦課題を選んだ勇敢な人々は、全ての人にガイダンスをもたらしているのです。
知覚のうちの一つが機能していない場合、他の知覚感覚が増幅されます。同じように、私達は資力を透視力へ、聴力を透聴力へ、触覚/嗅覚/味覚を超感覚へと増幅させることができるのです。私達は多次元意識へと戻ることによって拡大した知覚をまた利用できるようになります。そうするためには瞑想、または高次の意識状態になれる何かをする必要があります。
いったん高次の意識状態に入れば、私達のマインドは宇宙マインドの高次振動と交流を始め、高次知覚と三次元脳が繋がります。3D脳が多次元宇宙マインドと繋がれば、私達は三次元への中毒を手放してゆき、身体の五感だけで知覚する習慣も手放してゆきます。
再び言いますが、私達の高次知覚は可能であること、それらを持っている十分に良い人間であることを信じる必要があります。そうすれば、脳、マインド、宇宙マインドは常に盛んに繋がった状態で維持することができます。このプロセスを、まずは自分を無条件に愛することから始めるのです。そして、もしまだ拡大した知覚ができなくとも-それでも自分を無条件に愛しましょう。
さらに、無条件の愛は無条件の許しと受容を生みだします。ですから、もし自分がまだ高次知覚をできなくとも、自分を無条件に許し、準備が整った時にその知覚はオンラインになるのだということを受け入れます。それまでの間、自分の意識を高次の意識状態に合わせ続けることに集中していればよいのです。
私達がベータ波の意識に共鳴している間は、脳の中は物理界の問題でいっぱいになります。この意識が重要となる「時」もあるでしょう。アルファ波の意識にいる時は、物理界の中でクリエイティブになり、マインドとの繋がりが中断する瞬間が起こってきます。
幸い、マインドをシータ波まで広げれば、私達はマインドの中で生き、人生の高次の視点から脳に指示を出している状態です。デルタ波かもっと上の意識にいる時、私達は宇宙マインドの中で生き、マインドと脳を現実の高次振動に向けて指示を出している状態です。
意識状態についてはこちらを参照ください(英語のみ):
http://www.multidimensions.com/Conscious/con_body_states.html
http://www.multidimensions.com/thevision/newsletter_091307.html
日々の生活の中で高次の意識状態を保つことに慣れてくれば、自分自身や世界を無条件に愛している感覚の中で生きることを思い出してゆきます。この観点から見ると、私達は一切の恐怖の感覚を超越しています。そうして多次元宇宙マインドと常に繋がった状態にいられるのです。
私達の宇宙マインドは、静かに、そして常にマインドを導き、脳にこう教えるように導くでしょう。三次元オペレーションシステムを手放し、多次元オペレーションシステムを受け取りなさい、と。幸い、銀河の中心からの高次の光が絶え間なく私達の97%DNAを活性化しているところです。多次元オペレーションシステムへの移行が加速され、それが脳の主要オペレーションシステムとなるまで活性化の加速は続きます。そうして、私達の脳、マインド、宇宙マインドは一つへと融合するのです。
私達は自分を愛することを思い出し、忍耐強くいなければなりません。私達は無数の人生を物理的器を身につけて過ごしてきましたから、物理プレーンを主要現実だと知覚する根強い習慣/中毒を持っています。しかし、高次知覚へ移行する人が増えていくにしたがい、その現実振動が「普通」のものとなるでしょう。ついには私達の広がった知覚が主要となり、3D知覚は無数になる知覚のうちで最低次振動という単なる選択肢となるのです。
翻訳:Rieko