goo blog サービス終了のお知らせ 

Il dado e' tratto -賽は投げられた-

「事は既に始まっているのだから、もはや断行するしかないのだということ。」
一瞬一瞬をそのつもりで生きてます。

ripresa-再開-

2014-02-25 03:50:35 | ボクの日常
かなり久しぶりに書きます。

前回の投稿は何と、2年前。。。

若干、というか、かなり放置をしてしまいました。

前回の投稿では、ボクはまだ学生でした。

ちょうど最後のモラトリアムを謳歌(はできてないか。。。)しようとしてる最中。

そんなときもあったな、としみじみ思い出しました。


というわけで、なんだかんだで社会人2年目に突入し、

というか、もうすぐ3年目??

っていう感じで生きております。

社会人とはいえ、それは外見の問題で、

実際は、学生に逆戻りという、うれしくもあり、つらくもあるのが、現状であります。

現在は、日本を離れ、遠く異国の地にて武者修行中。

いつか憧れのスペシャリストになるべく、

日々、精進を積んでおるわけです。

ま、実態は、そうカッコいいものではなく、、、

毎日が、挫折→復活の繰り返しなのですが。。。


前回の投稿では、卒論でヒーヒー言ってました。

文字通り、ヒーヒー言ってたような気もします(笑

そして、そのうち、修論でヒーヒー言うことになろうとは。。。

ヒーヒーどころか息もできなくなるんじゃないかと、

今から恐怖しかございません。。。

とはいうものの、大学4年間(実質6年間)イタリア語を学んでき、

1年間、東京でも勉学を細々とつづけ、

現在、まさにその言語に浸った状態で生活をするほど、

言語学にスポットを当ててやってまいりましたが。

ここにきて、勉強のスポットを、歴史学という新たなフィールドに移しました。

そもそも「歴史」というものへの関心は、幼い時から強くあったわけですが、

ここにきて、「学問」として、「歴史」を学べるという喜びは、なかなかなものです。

それと同時に、いままで「学問」として学んできたイタリア語は、新たな学問を学ぶための「ツール」となりました。

これまでやってきたことが、現在の下地になっていると考えると、

今までの苦しみも無駄ではなかったのかなと。

実際、「『学問』としてのイタリア語から『ツール』としてのイタリア語へ」は、

社会人になるにあたって、自分の中でキーフレーズとなりました。

それが、まさに今実践されているというのは、

あまり実感には湧きませんが、

まさしくそうなのだなと、これを書いていて思いつつあります。

「歴史を勉強したかった」とはいえ、いや、まー卒論を歴史をテーマに書いたとはいえ、、、

いきなり院レベルから初修学問をやるのは、

なかなかの作業です。

と、始める前から分かっていたものの、何とかなるか、

といういつもどおりのマイペースさが打ち勝ってしまい、

現在に至っております。

正直なところ、基礎知識がない分、わからない話のほうが多いですが、

それでも、「歴史」を学んでいるんだな、という実感は、そう悪くはないです。

これから、修論のテーマなんかも考えつつ、勉強を進めねばならぬわけではありますが、

まー、せっかくの機会をいただいたので、

自分がやりたいこと、

今までやってこなかったこと、

あまり気は乗らなかったが、この際チャレンジしてみたいこと、

などなど、

自分を新たなステージに持ち上げるための、

準備期間にできればと考えております。

おそらく、全てがそう簡単なことではないでしょう。

苦しいこともあると思います。

悩むときは悩み、

落ち込むときは落ち込み、

楽し時は、心の底から笑う。

そうやって、のらりくらりと壁を越えていければなと、

なんとなーく考えてるしだいです。

ま、今は、一日一日を大事にして生活する、それだけを念頭において

頑張ろうと思います。

なぜなら、すでに事は始まっているのだから。

そう、心にはいつも、あの言葉。

「賽は投げられた」

初心忘れるべからず。

今ある自分を夢見ていた「自分」が抱いていた想い。

それを今一度大事にしたい。

そう考えている、dice-cheでした。

では、また、近いうちに。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ordinario -日常- | TOP | 道-strada- »
最新の画像もっと見る

post a comment

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

Recent Entries | ボクの日常