かなり久しぶりに書きます。
前回の投稿は何と、2年前。。。
若干、というか、かなり放置をしてしまいました。
前回の投稿では、ボクはまだ学生でした。
ちょうど最後のモラトリアムを謳歌(はできてないか。。。)しようとしてる最中。
そんなときもあったな、としみじみ思い出しました。
というわけで、なんだかんだで社会人2年目に突入し、
というか、もうすぐ3年目??
っていう感じで生きております。
社会人とはいえ、それは外見の問題で、
実際は、学生に逆戻りという、うれしくもあり、つらくもあるのが、現状であります。
現在は、日本を離れ、遠く異国の地にて武者修行中。
いつか憧れのスペシャリストになるべく、
日々、精進を積んでおるわけです。
ま、実態は、そうカッコいいものではなく、、、
毎日が、挫折→復活の繰り返しなのですが。。。
前回の投稿では、卒論でヒーヒー言ってました。
文字通り、ヒーヒー言ってたような気もします(笑
そして、そのうち、修論でヒーヒー言うことになろうとは。。。
ヒーヒーどころか息もできなくなるんじゃないかと、
今から恐怖しかございません。。。
とはいうものの、大学4年間(実質6年間)イタリア語を学んでき、
1年間、東京でも勉学を細々とつづけ、
現在、まさにその言語に浸った状態で生活をするほど、
言語学にスポットを当ててやってまいりましたが。
ここにきて、勉強のスポットを、歴史学という新たなフィールドに移しました。
そもそも「歴史」というものへの関心は、幼い時から強くあったわけですが、
ここにきて、「学問」として、「歴史」を学べるという喜びは、なかなかなものです。
それと同時に、いままで「学問」として学んできたイタリア語は、新たな学問を学ぶための「ツール」となりました。
これまでやってきたことが、現在の下地になっていると考えると、
今までの苦しみも無駄ではなかったのかなと。
実際、「『学問』としてのイタリア語から『ツール』としてのイタリア語へ」は、
社会人になるにあたって、自分の中でキーフレーズとなりました。
それが、まさに今実践されているというのは、
あまり実感には湧きませんが、
まさしくそうなのだなと、これを書いていて思いつつあります。
「歴史を勉強したかった」とはいえ、いや、まー卒論を歴史をテーマに書いたとはいえ、、、
いきなり院レベルから初修学問をやるのは、
なかなかの作業です。
と、始める前から分かっていたものの、何とかなるか、
といういつもどおりのマイペースさが打ち勝ってしまい、
現在に至っております。
正直なところ、基礎知識がない分、わからない話のほうが多いですが、
それでも、「歴史」を学んでいるんだな、という実感は、そう悪くはないです。
これから、修論のテーマなんかも考えつつ、勉強を進めねばならぬわけではありますが、
まー、せっかくの機会をいただいたので、
自分がやりたいこと、
今までやってこなかったこと、
あまり気は乗らなかったが、この際チャレンジしてみたいこと、
などなど、
自分を新たなステージに持ち上げるための、
準備期間にできればと考えております。
おそらく、全てがそう簡単なことではないでしょう。
苦しいこともあると思います。
悩むときは悩み、
落ち込むときは落ち込み、
楽し時は、心の底から笑う。
そうやって、のらりくらりと壁を越えていければなと、
なんとなーく考えてるしだいです。
ま、今は、一日一日を大事にして生活する、それだけを念頭において
頑張ろうと思います。
なぜなら、すでに事は始まっているのだから。
そう、心にはいつも、あの言葉。
「賽は投げられた」
初心忘れるべからず。
今ある自分を夢見ていた「自分」が抱いていた想い。
それを今一度大事にしたい。
そう考えている、dice-cheでした。
では、また、近いうちに。
前回の投稿は何と、2年前。。。
若干、というか、かなり放置をしてしまいました。
前回の投稿では、ボクはまだ学生でした。
ちょうど最後のモラトリアムを謳歌(はできてないか。。。)しようとしてる最中。
そんなときもあったな、としみじみ思い出しました。
というわけで、なんだかんだで社会人2年目に突入し、
というか、もうすぐ3年目??
っていう感じで生きております。
社会人とはいえ、それは外見の問題で、
実際は、学生に逆戻りという、うれしくもあり、つらくもあるのが、現状であります。
現在は、日本を離れ、遠く異国の地にて武者修行中。
いつか憧れのスペシャリストになるべく、
日々、精進を積んでおるわけです。
ま、実態は、そうカッコいいものではなく、、、
毎日が、挫折→復活の繰り返しなのですが。。。
前回の投稿では、卒論でヒーヒー言ってました。
文字通り、ヒーヒー言ってたような気もします(笑
そして、そのうち、修論でヒーヒー言うことになろうとは。。。
ヒーヒーどころか息もできなくなるんじゃないかと、
今から恐怖しかございません。。。
とはいうものの、大学4年間(実質6年間)イタリア語を学んでき、
1年間、東京でも勉学を細々とつづけ、
現在、まさにその言語に浸った状態で生活をするほど、
言語学にスポットを当ててやってまいりましたが。
ここにきて、勉強のスポットを、歴史学という新たなフィールドに移しました。
そもそも「歴史」というものへの関心は、幼い時から強くあったわけですが、
ここにきて、「学問」として、「歴史」を学べるという喜びは、なかなかなものです。
それと同時に、いままで「学問」として学んできたイタリア語は、新たな学問を学ぶための「ツール」となりました。
これまでやってきたことが、現在の下地になっていると考えると、
今までの苦しみも無駄ではなかったのかなと。
実際、「『学問』としてのイタリア語から『ツール』としてのイタリア語へ」は、
社会人になるにあたって、自分の中でキーフレーズとなりました。
それが、まさに今実践されているというのは、
あまり実感には湧きませんが、
まさしくそうなのだなと、これを書いていて思いつつあります。
「歴史を勉強したかった」とはいえ、いや、まー卒論を歴史をテーマに書いたとはいえ、、、
いきなり院レベルから初修学問をやるのは、
なかなかの作業です。
と、始める前から分かっていたものの、何とかなるか、
といういつもどおりのマイペースさが打ち勝ってしまい、
現在に至っております。
正直なところ、基礎知識がない分、わからない話のほうが多いですが、
それでも、「歴史」を学んでいるんだな、という実感は、そう悪くはないです。
これから、修論のテーマなんかも考えつつ、勉強を進めねばならぬわけではありますが、
まー、せっかくの機会をいただいたので、
自分がやりたいこと、
今までやってこなかったこと、
あまり気は乗らなかったが、この際チャレンジしてみたいこと、
などなど、
自分を新たなステージに持ち上げるための、
準備期間にできればと考えております。
おそらく、全てがそう簡単なことではないでしょう。
苦しいこともあると思います。
悩むときは悩み、
落ち込むときは落ち込み、
楽し時は、心の底から笑う。
そうやって、のらりくらりと壁を越えていければなと、
なんとなーく考えてるしだいです。
ま、今は、一日一日を大事にして生活する、それだけを念頭において
頑張ろうと思います。
なぜなら、すでに事は始まっているのだから。
そう、心にはいつも、あの言葉。
「賽は投げられた」
初心忘れるべからず。
今ある自分を夢見ていた「自分」が抱いていた想い。
それを今一度大事にしたい。
そう考えている、dice-cheでした。
では、また、近いうちに。
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