goo blog サービス終了のお知らせ 

Il dado e' tratto -賽は投げられた-

「事は既に始まっているのだから、もはや断行するしかないのだということ。」
一瞬一瞬をそのつもりで生きてます。

やる気 -Yaruki-

2014-03-23 23:18:43 | ボクの日常
テストがひと段落し、全くモチベ―ションが上がらないdice-cheです。

今週の水曜の発表のために読まなければいけない本が、

まだ半分も読み終わっていないという、

かなりヤバ目な状況ですが、

ぜーんぜんやる気が起きません。

内容そのものが、まー面白くないというのもあるのですが、

文献読むのに疲れた、というのも本音。

アルファベットの羅列を見てると、睡魔がどこからともなく。。。

もームリ・・・。

と、たまには弱音を吐いておきます。

じゃないと、ボクがずーっと研究しているように思われそうなので(笑

実際は、怠けたくてしょうがないのです!←

正直、ここ数日、昼まで寝て、

午後、というか夕方から活動する日々が。

寝るのも深夜、というか早朝3時4時とか(笑

THE・昼夜逆転!笑

明日から、通常授業が始まるというのに、

このありさまは、ひどいすね。

なんとか、モチベーション+生活リズムをもとに戻さねば・・・。

戻せる自信、一切ありませんが( ̄▽ ̄;)


そんなこんなで、「やる気」を失っているわけですが。

        

お?「やる気」ってイタリア語でなんて言うんだ?

ってことで調べてみました。

和伊中事典(小学館)によると、、、

やる気
buona volontà, voglia di+ inf.

やる気を起こさせる 
incoraggiare [stimolare] qlcu.

やる気があるのかないのか?
Hai intenzione di farlo?

あの候補者はやる気十分だ。
Quel candidato è fortemente motivato.

だそうです。

ようは、「やる気」にあたる言葉はないと。

そもそも、「やる気」とは? 

広辞苑さんによると、、、

やるき【遣る気】
物事を積極的に進めようとする目的意識

なるほど。単純明快。

こういう簡単な単語ほど、外国語に訳しにくいんですよね。

意識、意図っていう観点からいえば、intenzioneはいいんでしょうね。

積極的に物事を進める=願望っていう見方をすれば、volontàでもいいんでしょうね。

あとはやはり文脈で使い分けるということになるのでしょうか。

うーん。

やっぱ翻訳って難しいですね。

外国語以上に、母国語の知識が必要。

広辞苑1冊手元に置くべきだろうか。。。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論文 -tesi-

2014-03-04 04:23:58 | ボクの日常
明日早く起きねばならぬというのに、

相変わらず、眠れないdice-cheでございます。

現在深夜4時前。

これを書き終えるころには、4時を過ぎているころでしょうか。。。笑

イタリアに来て早や8ヶ月。

大学院に通いだして6ヶ月。

卒業まで残されたのは、1年と6ヶ月。

そう考えるとなかなか早いですね。。。

先を考えれば考えるほど、時間に押しつぶされそうになるので、

今は、あまり深く考えたくはないのですが、

そうはいっても、ある程度の時間軸を頭の中に入れておかなければ、

やはり怖いですよね・・・。

つまりは、修論をぼちぼち考えないとな、

という危機感。

ヴェネツィアに来たのは、

ヴェネツィアの歴史を勉強したかったから。

大学の卒論もヴェネツィアの歴史について書きました。

筋は一応通ってはいる。はずですが。

ふと立ち止まって考えると、、、

ヴェネツィアの歴史を勉強するには、

もちろん、ヴェネツィアに実際に来るっていうのは、

間違いではないはず。

でも、「歴史」を勉強する、って、

一体、何!?

っていう根本的な疑問が。

ヴェネツィア史を学ぶのであれば、

いろんな文献・書籍を読むことで、

通史を知ることはできるでしょう。


さらにはヴェネツィア史といえども、いろいろと分けられるわけで、

たとえば、政治史、法律史、文化史、建築史などなど・・・。

それらのどれに絞るか、なんてことを考えずに

ただ漠然と「歴史」っていうことしか念頭に置かなかったのは、

ちょっと甘かったかな、と若干反省。

じゃー実際に何がやりたいのか。

卒論は、ヴェネツィアの外交に焦点を当てました。

いわゆる外交史。

ま、そんな立派なものではありませんでしたが。。。

果たして、これをテーマとして続けてもいいものか、

そこが悩みどころです。

最近、いろいろと授業を受ける中で、

歴史学の主流は、「政治史」から「社会史」へと移っているらしく、

ま、最近といっても、ここ数十年っていうかなり大きな時間の中での変化ですが。

ようは、歴史上の偉大な人物に焦点を当てていた歴史から、

一般庶民の生活にその力点が移ってきているということらしいです。

この辺は、大学でしっかり歴史を学んでいる人からすれば、

「は?何を当たり前のことを。」

と思われるのでしょうが、

なにせ、歴史学は初学ですので・・・。

いや、まー高校の時に世界史はやりましたが、

学問としての「歴史」というのは、全然やっておりません・・・。

そんなぺーぺーが、恐れ多くも、

ヴェネツィア共和国の外交史について、うんぬん言おうとしているのは、

非常に気が引けるといえば、気が引ける。。。笑

ま、そんなことは言ってられないので、

頑張るしかないわけです。

(じゃー言うなと。。。)

この「外交史」は、どちらかといえば、「政治史」に近く、

現在の主流から外れているんですよ。きっと。

そこも自信はないですが。

というか、研究されつくしている分野なのかも。

その辺の分野研究もできていないわけで、

課題は山積であります。



ま、テーマが決まっていないといのも、問題ですが、

風のうわさで、

修論は100ページ書かなければいけない、らしいよ、

というのを聞き、

へ?

っていう状態にも陥ってます。

その真偽は定かではなく、

怖すぎて、その辺の確認をまだしていないという(笑

卒論は、題目、参考文献、そして大量の引用(笑)を入れても、

36ページ・・・。

もちろん、修論はイタリア語で書かなきゃいけないわけで、、、

ハハハ。

もう笑うしかないですね。

いやー、これはもう考えないでおこう。

うん。そうしよう。

とりあえず今は、テーマ。

そして、少しずつ文献を探していこう。

あと、1年半。

早ぇーなー。。。

がんばろ。。。




あ、やはり、

4時過ぎました。。。

起きれるかな。

コッチもがんばろ。。。

bye( ̄▽ ̄)ノ
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言の葉-lingua-

2014-02-28 01:23:15 | ボクの日常
最近、授業でイタリア語の方言、

いや、むしろ各地でことなるイタリア語の地方バリエーションについて学ぶ機会があり、

ホントにこの言語は不思議だなと思うこのごろでございます。

ま、以前からこのイタリア語の「地方バリエーション」というのには関心があるのですが、

ようは、ご当地キティちゃんみたいなもので、

さまざまな州・県・町々にいたるまで、「ご当地イタリア語」的なものが存在するわけです。

別に、隣の町がご当地イタリア語作ってるから、うちも作ろう!とかではなく、

歴史的に見て、こうならざるを得なかったというのが実情です。

イタリアが国として統一されたのは、1861年。

そう、まだ150年しか経っていない幼い国なわけです。

かたや、我が国日本は、神代の時代より万世一系の天皇家を掲げ持つふる~い国というわけですが、

明治維新が1868年。

ま、近代化の道を歩みだしたのは、互いに同じ時期というわけです。

それは置いておいて、

では、統一前のイタリアはどういう状況だったのか、というと、

群雄割拠、外国支配、教皇国家。

という状況。

すなわち、北イタリアには一つ一つの都市が、国家としての体裁をもつ「都市国家」が生まれ、

南イタリアは、スペイン・フランスなどの外国勢力の支配を受け、

ローマを中心とする中部イタリアは、教皇が自らの領土として治めていた、

という、荒れに荒れた時代が長く続いていたわけです。

言語的にみれば、もともとイタリア半島はローマ人たちが地中海帝国を築く礎となった土地、

つまりラテン語が使われていた場所なのは間違いありませんね。

しかし、イタリア半島には、ローマ人たちだけが住んでいたわけではなく、

各地に先住民族がすんでおり、その土着言語が基層となり、

その上にラテン語という共通の層が築かれたのです。

したがって、土着言語がラテン語に影響し、またその逆も起こり、

いわゆるラテン語の方言的なものが生まれたようです。

そのラテン語の崩れが、中世の時代、俗語として民衆の間で使われており、

その中でもトスカーナ語で作品を作った、ダンテ・ペトラルカ・ボッカッチョの3大詩人の使った言葉をもとに、

イタリア語の基礎となるものが生まれました。

現代イタリア語は、18-9世紀、マンゾーニの登場で完成したと言われています。

実際、彼は、祖国イタリアが共通の言語を持つべきだと強く思っていたようです。

こうしてイタリア語は誕生し、学校でも教えられるようになりますが、

現実的に、半島全体に広まるのは、ラジオ・テレビの発明を待つことになります。

そこではじめて、正しい発音・正しい文法によるイタリア語が国民に発信されたのです。

では、それまではどうしていたのか、

もちろん、正しい発音・正しい文法は学校で教えられましたが、

それに地域的なアクセントという薄いベールが標準イタリア語を覆い、

地域イタリア語として普段使われていたのです。

まぁ、メディアによって正しい発音が放送されたからと言って、

半島全体がそれにならったかといえば、そうはなりませんでした。

日本を考えてみても明らかなように思います。

アナウンサーのきれいな日本語を日本中どこでも話されているか、といえば、まずありえないですよね。。。

イタリアもしかりで、むしろ、イタリアの場合は、さらに、

テレビのアナウンサーですら、もはや標準イタリア語の発音訓練を受けず、

地方アクセントを残したまま放送するようになります。

イタリアの国営放送Raiは、ローマを拠点としているので、ローマアクセント付。

一方、ミラノを本拠とするMediasetのRete4はミラノアクセント有り。

というありさま。

というより、イタリア人は地方アクセントで話すことに対して、何も臆することがありません。(ホントに。。。)

むしろ自分たちのアクセントが一番だと思ってます。

これは、「カンパネリズモ」(郷土愛主義)ともつながりますが、

ようは、おらが村が一番だぁ、というのがどの町、どんな小さな集落でも、持っているのです。

こうして、イタリア半島どこをみても、「標準イタリア語」を話している地域はなく、

どこも、「地域イタリア語」と「方言」を話しているところしかないというのが現状です。



ん?「地域イタリア語」=「方言」じゃないのか、と思われた方、なかなか鋭いです。

日本なら、関西イントネーションの日本語を関西弁、つまり、方言としてみなします。

が、イタリアの場合、

「地域イタリア語」というのは、「標準イタリア語」に各地域のアクセントなんかのベールをかけられたもの、

「方言」というのは、ラテン語から俗語と変化し、その俗語が現代まで綿々と生き続けているものを差します。

つまり、

イタリアの言語構造は、

<標準イタリア語>
 |
<地域イタリア語>
 | 
<方言>

という三層構造になっているわけです。

まさにボクが今授業を受けている先生曰く、

一切の地域アクセントを持たないイタリア語は存在しない、と。

イタリア人の口から出てくるイタリア語は、

その人の出身地のアクセントが付されたうえで発音されるのだ。

だから、我々外国人が、多少発音がおかしくとも心配する必要はない!

(と、断言してくれるのですが、いやっ、それは違うんじゃねーか??っていう感じもしなくはない・・・笑)

まぁ、これだけ地方バリエーションが豊富だと、

なかなかに面白いです。

実際、イタリア語の授業でも、「地域イタリア語」に関する内容は、どこかしらで入ってきます。

それは、その地域的な特徴を知らないと、聞き取れない可能性も出てくるからです・・・。

そこまで違えば、もはや方言なんじゃねーか!?と思われるでしょうが、いや、あくまで「イタリア語」なんです・・・。

残念。。。





ま、そんな感じで、以外に知られていない、イタリア語の歴史について、

長々と書いてしまいました。。。

ホントは、別のことを書こうと思っていたのに。

ま、また次の機会にでも。

書く前にいろいろと考えてから書くのですが、

結局、書きながら、考え、考えながら、書くので、

気づくと全然違う方向に進んでいることが多々あります。

ダメですね~笑

もっと最初に筋をバンッって通して、肉付けするようにしないと。。。

まだ文章なので、見返しながら修正できますけど、

これが、発表とか議論になると、もう悲惨です(笑

(実際に失敗談多数あり。。。笑)

結論が最初と逆になりそうに、、、なんてのはしょっちゅう。。。

もっと、論理的に考えれるようになりたいな、と思うdice-cheでした。

ん~この締め方も、最初考えていたのとは違うような。。。

ま、今日はもういいや。

それでは。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道-strada-

2014-02-26 01:58:06 | ボクの日常
2日連続で投稿するのは、いったいいつ振りでしょう。

これといってやることもなく(いや、やるべきことは山ほどあるのですが)

完全に目が冴えてしまい(現在、深夜2時)

今日もまた投稿しているわけです。

大学生のとき、いつもこんな生活してたな、

としみじみ思い出します。

今も、変わらずです(笑


さてさて、

現在、ボクはイタリアにて武者修行中の身であることは、

前回の投稿でもお書きしました。

日々、学ぶことがあり、

むしろありすぎて、吸収が追い付いていないくらいです。

毎日が刺激的、とまではいきませんが、

身の回りには、常に新たな発見が転がっています。

先日、ひょんなことから、

筆を持つ機会があり、

せっかくなので、ということで、

一筆書いてみました。

筆なんぞ、中学の書道の時間以来ですので、

かなり緊張しましたが、

精神を落ち着つけて、一文字に集中するというのは、

なかなかに気持ちがいいものです。

というわけで、書いた文字が、こちら。



「みち」です。

特に深い意味もなく選んだのですが、

よーく考えると、

この「道」に含まれる意味合いは、なかなか深いな、と。

もちろん、物理的な道、道路、通り、を表すのですが、

ここはひとつ、広辞苑を引いてみましょう。


みち【道・路・途・径】

①人や車などが往来するための所。通行する所。道路。通路。
②目的地に至る途中。
③みちのり。距離。
④(転じて)人が考えたり行ったりする事柄の条理。道理。
⑤特に、儒教・仏教などの特定の教義。
⑥道理をわきまえること。分別。
⑦てだて。手法。手段。
⑧方面。分野。そのむき。
⑨足場。踏台。

まさに書「道」のように、

筆を扱う術(手段)としての「道」であり、

精神面(道理・分別)を鍛えるための「道」であり、

文字というものを芸術の域までに押し上げる分野としての「道」。

日本には、この「道」がつくものを挙げだすときりがありませんね。


イタリアにやって来たのは、イタリア語のスペシャリストになるため。

そう。イタリア語という「道」を極めるべく、

この地にやってきたわけです。

だからこそ、この文字、この心構えを忘れずに、

頑張っていけたらな、と考えているわけです。

学問に王「道」なし。

しかし

千里の「道」も一歩から。

そして

すべての「道」はローマに通ず。

自分が今進んでいる道は、間違いなく自分が思い描く理想像につながっていると信じて、

ただひたすらに歩んでいくだけなのでしょう。

きっとまっすぐで平坦な「道」ではないはず。

起伏が激しく、時には、行ったり来たりを繰り返す曲がりくねった「道」かもしれない。

でも、それが、自分の生き方であり、己の「道」なのである。

そう信じて、頑張ろう。

ただひたすら前進あるのみ。



ってことで、そんなことを深夜に考え出したdice-cheでした。

おしまい。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ripresa-再開-

2014-02-25 03:50:35 | ボクの日常
かなり久しぶりに書きます。

前回の投稿は何と、2年前。。。

若干、というか、かなり放置をしてしまいました。

前回の投稿では、ボクはまだ学生でした。

ちょうど最後のモラトリアムを謳歌(はできてないか。。。)しようとしてる最中。

そんなときもあったな、としみじみ思い出しました。


というわけで、なんだかんだで社会人2年目に突入し、

というか、もうすぐ3年目??

っていう感じで生きております。

社会人とはいえ、それは外見の問題で、

実際は、学生に逆戻りという、うれしくもあり、つらくもあるのが、現状であります。

現在は、日本を離れ、遠く異国の地にて武者修行中。

いつか憧れのスペシャリストになるべく、

日々、精進を積んでおるわけです。

ま、実態は、そうカッコいいものではなく、、、

毎日が、挫折→復活の繰り返しなのですが。。。


前回の投稿では、卒論でヒーヒー言ってました。

文字通り、ヒーヒー言ってたような気もします(笑

そして、そのうち、修論でヒーヒー言うことになろうとは。。。

ヒーヒーどころか息もできなくなるんじゃないかと、

今から恐怖しかございません。。。

とはいうものの、大学4年間(実質6年間)イタリア語を学んでき、

1年間、東京でも勉学を細々とつづけ、

現在、まさにその言語に浸った状態で生活をするほど、

言語学にスポットを当ててやってまいりましたが。

ここにきて、勉強のスポットを、歴史学という新たなフィールドに移しました。

そもそも「歴史」というものへの関心は、幼い時から強くあったわけですが、

ここにきて、「学問」として、「歴史」を学べるという喜びは、なかなかなものです。

それと同時に、いままで「学問」として学んできたイタリア語は、新たな学問を学ぶための「ツール」となりました。

これまでやってきたことが、現在の下地になっていると考えると、

今までの苦しみも無駄ではなかったのかなと。

実際、「『学問』としてのイタリア語から『ツール』としてのイタリア語へ」は、

社会人になるにあたって、自分の中でキーフレーズとなりました。

それが、まさに今実践されているというのは、

あまり実感には湧きませんが、

まさしくそうなのだなと、これを書いていて思いつつあります。

「歴史を勉強したかった」とはいえ、いや、まー卒論を歴史をテーマに書いたとはいえ、、、

いきなり院レベルから初修学問をやるのは、

なかなかの作業です。

と、始める前から分かっていたものの、何とかなるか、

といういつもどおりのマイペースさが打ち勝ってしまい、

現在に至っております。

正直なところ、基礎知識がない分、わからない話のほうが多いですが、

それでも、「歴史」を学んでいるんだな、という実感は、そう悪くはないです。

これから、修論のテーマなんかも考えつつ、勉強を進めねばならぬわけではありますが、

まー、せっかくの機会をいただいたので、

自分がやりたいこと、

今までやってこなかったこと、

あまり気は乗らなかったが、この際チャレンジしてみたいこと、

などなど、

自分を新たなステージに持ち上げるための、

準備期間にできればと考えております。

おそらく、全てがそう簡単なことではないでしょう。

苦しいこともあると思います。

悩むときは悩み、

落ち込むときは落ち込み、

楽し時は、心の底から笑う。

そうやって、のらりくらりと壁を越えていければなと、

なんとなーく考えてるしだいです。

ま、今は、一日一日を大事にして生活する、それだけを念頭において

頑張ろうと思います。

なぜなら、すでに事は始まっているのだから。

そう、心にはいつも、あの言葉。

「賽は投げられた」

初心忘れるべからず。

今ある自分を夢見ていた「自分」が抱いていた想い。

それを今一度大事にしたい。

そう考えている、dice-cheでした。

では、また、近いうちに。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ordinario -日常-

2012-02-13 00:37:09 | ボクの日常
去年の年末に書いて以来、またまた放置してました。

ま、いつものことではあるんですがね。

もう。2月ですね。

いや、まぁ~2月半ばなんですけどね。

とりあえず、年末にわーわー騒いでた卒論は、

無事提出しました。

提出して、教授との試問もなんとか終了したわけです。

そして、授業も全て終わったわけです。

そう。学生生活が、ほぼ終了状態でございます。

完全に宙ぶらりん状態なり!

あとは、4月までの空いた時間を

いかに有意義に過ごすか!この一事に限るわけでござる。。。

ま、それが難しいんやがね。

とりあえず、来週グアムに行ってきます。

それから、九州行ったり、広島行ったり、

国内をふらーっと行こうなどと考えているわけです。

心配なのは、お金がもってくれるかどうか。。。





それにしても、学生最後といわれると、

やりたいことが次から次へと湧いて出てくるわけです。

なんで、もっと早く気付かんかったんやろか。

ま、過去、そんな余裕を持って生活できた覚えはないんですけどね(笑


いや~読みたい本がありすぎて、

追いつきません。

ローマ人の物語も、まだ21巻で止まったまま。。。

しかも、塩野さん、その続編をすでに書き上げちゃってるし・・・。

かといって、本棚がいっぱいすぎて、

もう、置く場所ほとんどないんですけどね。

最近では、床に本が積みあがってます(笑

これから、引越ししようとしてるのに、

荷物がどんどん増えてるわけです。

確実にオトンに怒られるな。。。

この本たちは、東京に持っていくべきなのか。

実家に置いとくべきなのか。

ま、東京に持っていっても読むわけではないんやけどね。

ボクの知識そのものなのでね。

身近にいて欲しいといえば、いて欲しい。

ってか、東京にも1年しかいないわけですがね。



まぁーそんな感じで、

平凡な日々が続いてるわけです。

残り少ない平凡な日々を謳歌しよう。

そぉーしよぉぉぉーー!!



(了)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fine dell'anno -年の瀬-

2011-12-31 23:07:19 | ボクの日常

さてみなさん。

2011年も終わりますね。

今年はいろんなことがありました。

いろんなことがありすぎたので、特に振り返りません(笑

ただ、今年は特に充実した1年だったのは

間違いありません。

今まで全く見えなかった

将来に続くレールが、

やっと姿を現してくれたからです。

長々と学生をやってまいりましたが、

やっと社会へ羽ばたきます。

いやホントに長かった。

来年は、

今年とは比にならんほど

アホみたいに忙しくなると思いますが。

頑張りたいとおもいまする。

 

 

思えば、一昨年の今頃、

ヴェネツィアにいました。

新たな年を始めて異国の地で迎えました。

そして、その国が、

ボクが一生付き合っていく国となりました。

これはもう、

運命です。

ボクがどんなに逃れようとしても

逃れられない。

それぐらいつよい絆で結ばれたものだと思います。

いや、そうでなくともそう信じたいと思います。

それぐらいの出会いでした。

今後、これだけ自分の人生を左右するような

出会いがどれだけあるでしょうか。

それを考えるのもワクワクしますが、

それだけ重要なものに出会えたことに、

自分自身びっくりしつつも、

うれしい気持ちでいっぱいです。

ボクは、何があっても諦めません。

往生際は悪い方です(笑

なのでみなさん。

来年もよろしくお願いしますっ!!!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Inverno -冬-

2011-12-14 22:53:45 | ボクの日常

お久しぶりでございます。みなさん。

気付けばもう冬ですね。

前回の記事は、8月の末でした。。。

放置しすぎもハンパないです。

暑くて熱かった夏も終わりを告げ、

真冬に向かってまっしぐらですね。

むしろ真冬なのではないかと思ってしまうぐらいで。

でも、まだ今年の初雪は目にしてないのでね。

毎年、初雪だけは楽しく見ることができます。

その後は、にっくき雪だちとどう過ごそうかということしか頭にないわけなのです。

 

そんなこんなで。

もう年末なわけですね。

おそらくゆっくり過ごせる最後の年末なのではないか。

と、思っていたのですが。

どーやら、今年もゆっくり過ごせそうはないですね。

卒業論文をいかに仕上げるか。

コレに必死になってると思います。

ま、卒業がかかっておりますからね。

現在も必死に、文献を読み解いているわけです。

ちなみに、テーマは、

「ヴェネツィア共和国の対外政策」

なのです。

ひじょーに、仰々しい感じですが。

具体的には、

1500年代の歴史についてみてるわけです。

この時代は、イタリア半島が荒れた時期でして、

ヨーロッパ中の大国が、

イタリアに攻め入ってきたわけなんです。

そんな中、ヴェネツィア共和国という、比較的小さな国が、

いかにして生き残ったのか、

それを研究しようというのです(人事・・・。)。

さらにさらに具体的に言えば、

「カンブレー同盟戦争」という、一連の戦争を研究しようとしてます。

というか、必死に研究してます。

ま、ウチの大学というか、学部というか、語科のルールで、

欧文文献を少しでも読まなければならない、

ということですので、

必死にイタリア語の文献とにらめっこしてるわけです。

ま、ただのイタリア語ならいいんですけどね、

たまたま選んだ本が、

パドヴァ方言かつ16世紀の古い文章という、

ダブルパンチを食らってるわけです。

いやはや、終わるのかどうかも不安になってきました。

そして、来週、ゼミの最終発表。

それを終えれば、

あとは、ひたすら文章に起こすのみ。

はぁー。

新年ぐらいはゆっくりと過ごしたいとこです。

 

ま、そんな感じの毎日です。

みなさん、元気ですかー??笑

FINE

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節電する=ridurre il consumo di elettricita'

2011-07-27 23:35:23 | ボクの日常

どーも、かなりお久しぶりのdice-cheでございます。

前回の日記が、4月でして。。。

現在、7月末という。。。

かなり放置してしまったワケです。

 

まーこの3ヶ月いろいろありました。

いろいろありすぎて書くの若干メンドクサイんですけど(笑

(↑じゃー書くなっていう感じではありますが)

でも、やっぱ書くのメンドクサイんで、やめときます。

とりあえず。

東京に来ました。

節電対策真っ盛りの東京に。

ってか、地下鉄の駅は、

節電のせいで暑いのか、

それとももともと暑いのか。

むわっとしたあの蒸し暑さが嫌です。

アレ、どうにかなりませんか?

ま、どーでもいいですね。

とりあえず、今日は都庁の試験を受けてきました。

最終面接だったわけですけども。

いわゆる、あれが圧迫面接なのか。。。

いや、なんか違う気もするけど。

でも、なんか、、、凹みぎみです。

前半、あんなにイタリア留学に食いついてきたのに・・・。

後半、都庁の政策で攻められるとは。

ま、そこまで準備しなかったボクが悪いのですけどね。

でも、まぁー。

自分を出し切った、、、、つもりやし。

いっか。

それよりも、

本番は明日からなのですっ!

3ヶ月前の日記でも同じことを書いとるんやけど。

やっぱり、

「賽は投げられた」ですよ。

まさに最終決戦の火蓋が切って落とされたワケです。

もーね。

やるしかないです。

やりまくるしかないです。

何が不安か、って、

全部不安なわけですが。

今更言ってもしゃーない。

ただ、外国語面接の対策が不十分すぎて笑えるのが、

若干恐怖です。

とりあえず。

受験動機とかをちゃんと言えるようにします。

はい。そうします。

いつもどおりの取り留めのない日記なのは、許してください。。。

はー。

早く全部終わって欲しい。

早く解放されたいよー!!(>_<)

 

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決心。-il mio deciso-

2011-04-25 23:11:26 | ボクの日常

4月も終わりそうですね。

ご無沙汰でございます。

dice-cheでつ。。。

 

とうとう、最後の模試もすべて消化し終えました。

本番まで、2ヶ月きりました。

今更というか、

やっと、というか、

危機感に包まれてます。

というか、不安感ですね。

自分の出来なささは、

ある程度覚悟してたんですがね。

ま、実際にそれが具現化すると、

やっぱり、ドヨ~ンとなってしまうわけです。

そんなこと、よく考えりゃ分かる話ではありますがね。

 

って、そんなこといっても、

不安が消えるわけじゃなし、

ましてや、知識が増えるわけでは全くない。

これほど、無駄な時間はないわけで。

じゃー日記なんか書いとんなよ!っていう感じでございますが。

それでも、

書かないとね。

心のなかにためるのも限界があるってのは、

経験上、身にしみておりまする。

じゃないと、

たぶん発狂してしまう。

下手すると「虎」になってしまうかもしれない。

(↑ま、分かる人はおらんだろうな)

 

 

 

そんな感じで少し、思いのたけを吐露してみました。

全くスッキリしませんが。

合格者の方からも、

「不安は最後まで消えない」っていうお言葉をいただいております。

その通りですよね。

合格するか、しないか。

それが分かるまで、不安は消えないだろう。

むしろ、合格したとしても、

その後の生活に不安を抱くのは、確実である。

間違いない。

いかに、「不安」さんとうまく付き合うか。

難しいですね。

 

そういえば、この間、

ほんまでっかTVで、武田先生やったかな、

人は、やるべきことが複数あると、

気が病むらしい。。。

だから、4月に新生活スタートしたばっかり人の中に、

ドロップアウトしがちな人が多いらしい。

一つ一つ解決していくのが、いいらしい。

つまり、2個以上の課題を

同時には、解決できないわけです。

 

だから、今は、目の前の試験に全てをそそぐわけです。

でも、それだけ考えてたら、

生活ができないわけです。

だから、不安感が大きくなるわけです。

 

あ・・・。

結局、同じとこに戻ってきたな。。。

 

ま、そういうことです。

 

とりあえず、この1ヶ月半、

いかに過ごすかで、

勝負が決まる。

吸収できることは、

すべて吸い上げる。

常に戦闘モードで。

ピリピリ行こうと思う。

もう立ち止まる時間はない。

あとは、走り抜けるだけ。

まさに。

Il dado e' tratto。

「賽は投げられた」

ま、1年前にすでに、投げられてたはずやけどね。

ココに来て、そのことをひしひしと感じる。

そういうことです。

がんばります。

うん。めっちゃがんばるかんね!

 

「オレのこの手が真っ赤に燃える!勝利を掴めと轟き叫ぶ!」

必殺ゴッドフィンガーを打つ気で!!(byドモン・カッシュ)

 

以上。

Comments (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする