Looking for the DIAMOND at FLEA market  “がらくた市のダイヤモンド”

FLEA CORRECTLY, NOT FREE,
INTRODUCE OLD OR USED GOODS.

『第三次世界大戦』-最強アメリカ VS 不死鳥ロシア- 世界最終戦争は、「1%の支配層」の既定路線 #9

2022-04-19 13:35:40 | WWⅢ
ーロスチャイルドのための悪魔のゲーム②ー

ー続きー

証拠がある・・・

シフがキリスト教国ロシアの打倒のためにトロツキーに二〇〇〇万ドル
を供与したのは紛れもない事実であり、すでに述べたとおり、シフは
ロスチャイルド家の代理人だった。

ロスチャイルド家の歴史をひもとくと、ふたりは巨万の富を築き、
その果実を政治目標達成のために使うのは厭わず、努力の結果、
驚くべき成功を収めたことが示されている。

ロスチャイルド家が諸国の国家や政府に驚くべき力を保有し、行使する
ということは次のように実証されている。

「ドイツ皇帝は、開戦可能かどうか見きわめるためにロスチャイルドに
 相談しなければならなかった。
 もうひとりのロスチャイルドが打倒ナポレオンの重荷をすべて担って
 いた」
 (スチュアート・ホールデン博士『愛国者(The Patriot)』1925年)

「ジョージア(コーカサス)での反乱はロスチャイルド家の仕事だった」
 (ユダヤ系雑誌「ユマニテ(Humanite)1924年9月号)

「ロスチャイルド家は戦争を始めることも阻止することも意のままだ。
 彼らの言葉は帝国をつくることも壊すことも意のままだった」
 (1923年12月3日付け「シカゴ・イブニング」紙)

「アルフォンソ・ロスチャイルドは、もしフランス国王に選ばれたならば、
 ドイツへのフランスの賠償金をそっくり肩代わりするのを承諾した」
 (「副官新聞(Journal d'un Officerd' Ordonnance by Comte d'Herrison)
  エリソン伯爵の寄稿)

「1914年7月3日、ロイド・ジョージは討論を開いてもらうためにイギリス
 内閣の最終意志決定会議の場にロスチャイルド卿を招いた。
 首相はロスチャイルド家のために悪魔のようなゲームを演じたが、彼は
 つねにロスチャイルド家の道具でしかなかった。
 もしイギリスが素直にロシアとフランスに味方すると宣言したならば、
 戦争(第一次世界大戦)はおそらく起こらなかっただろう。
 というのも、ドイツ皇帝が、ベスマン・ホルウィッグ・ロスチャイルド、
 ラーテナウ、バリン、ダーンベリーといった10人の取り巻きユダヤ人に
 逆らってまで開戦を許可することなど不可能だったからだ。

 1770年以降、政治や経済に関わるあらゆる出来事の裏には
 ロスチャイルド家の存在があった。

 彼らの名を語らない作家、教師、講演者、政治家は間抜け、偽善者、
 犯罪を知らない人と見なされたにちがいない」
 (シュレブ・スピリドビッチ伯爵『暴かれた歴史』)

「1871年2月、フリーメーソン、ブブリコフ等、ロスチャイルド家の手先が
 ロシアに渡り、ペトログラード行きの食糧輸送列車を停めて民衆の反乱を
 煽った」(同右)

「ロスチャイルド家の詳細を含んだ記録は1871年、パリ・コミューンの期間
 に故意に焼却された。
 ロスチャイルド家がコミューンの資金を支えていたからだ」
 (1905年3月27日付け「自由発言(Le Libre Parole)紙)

「1911年2月15日、シフ社は1832年にロシアと締結した通商条約の更新拒否
 をタフト大統領に迫った。
 大統領が断るとシフは握手を拒み、『これで戦争になる』と言い放った。
 ルーシンスキー、ストルイピン首相が殺害され、世界大戦が続いた」
 (チェレブ・スピリドビッチ伯爵『大惨事に向けてー危険と対処法
  (Towards Disasters : Dangers and Remedies)』)

ー続くー

『第三次世界大戦』
 -最強アメリカ VS 不死鳥ロシア- 
  世界最終戦争は、「300人委員会」の規定路線
発行日:2005年5月5日 著者:ジョン・コールマン博士
監訳者:太田龍 成甲書房刊



プーチンの「1%の支配層」への強烈なパンチ!

2022-04-19 12:40:43 | 支配層・国際主義者

☆ブログ筆者:「1%の支配層」が経営する「一民間企業」である世界中の

       「中央銀行カルテル」を破壊するプーチンの戦略。
       日本は「日銀」、アメリカは「FRB」。すべて基本は民間
       経営(日本政府は日銀の一部の株式は保有するが)。
       創業者のロスチャイルドは「国家の権力はいらない」、
       「中央銀行の経営権を持てればそれがベスト」と言った。

       プーチンは、敵の弱みを知った上での今回の行動。
       最近のリビアで石油生産停止などで、次は資源国の強みを
       生かした「1%の支配層」の牙城のひとつである「石油産業」
       の破壊に動くか?

+++++++++++++++++++++++++++

経済制裁に屈しないプーチン氏、銀行制度崩壊の「試みは失敗した」

…物価上昇は認める

【読売新聞 2022/04/19】

***************************
ロシア大統領府によると、プーチン大統領は18日、ウクライナ侵攻を受けて
米欧や日本が相次いで科した対露経済制裁について、
「市場にパニックを起こして銀行制度を崩壊させ、
 物資不足も招こうとする試みは失敗した」
と述べ、制裁に屈しない姿勢を強調した。

経済政策を協議するオンライン形式の閣議で演説した。


『第三次世界大戦』-最強アメリカ VS 不死鳥ロシア- 世界最終戦争は、「1%の支配層」の既定路線 #8

2022-04-19 06:42:36 | WWⅢ
ーロスチャイルドのための悪魔のゲーム①ー

神聖同盟はあきらかにロスチャイルド家の計画に敵対していた。

ラポートの説もシュレブ・スピドビッチ伯爵の書物もそう明示している。

伯爵は一八一五年当時から、ロシアとロマノフ家の命運はロスチャイルド家
に握られていると確信していた。

マニング枢機卿はこう述べた。
「支配者層のあらゆる信念を根絶する、
 そしてヨーロッパのあらゆる政府を打倒する
 という明確な目的のためにひとつの組織がつくられた」
枢機卿は、最初の犠牲者は「フランス革命」中のフランスであり、
ロシアが次の犠牲者であると信じていた。

ディズレーリがロシアについて真実を語らなかったこと、
さらには、ボルシェビキ革命がロスチャイルド家にそそのかれ、
ジェイコブ・シフやJ・Pモルガンの銀行、
そしてアルフレッド・ミルナー卿によって
資金援助されていたことの証拠がある。
ー続くー

『第三次世界大戦』
 -最強アメリカ VS 不死鳥ロシア- 
  世界最終戦争は、「300人委員会」の規定路線
発行日:2005年5月5日 著者:ジョン・コールマン博士
監訳者:太田龍 成甲書房刊

<初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリは、
 イギリスの政治家、小説家、貴族。 ユダヤ人でありながら保守党内で
 上層部に上り詰めることに成功し、ダービー伯爵退任後に代わって
 保守党首となり、2期にわたって首相を務めた。
  ーウィキペディア -より>

☆ブログ筆者:「1%の支配層」の重要人物:アルフレッド・ミルナー。
       「1%の支配層」の蜘蛛の巣の中心機関=「円卓会議」は
       ミルナーが創始者のひとり。
       wikipediaが何故か「秘密結社」として紹介している。

★初代ミルナー子爵アルフレッド・ミルナー
 (英: Alfred Milner, 1st Viscount Milner、1854年3月23日 - 1925年5月13日)
 は、イギリスの政治家。
 ガーター勲章勲爵士(KG)、バス勲章ナイト・グランド・クロス勲爵士
 (GCB)、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス勲爵士
 (GCMG)、枢密顧問官(PC)。 -wikipedia-

★円卓会議(ラウンド・テーブル)とは、1891年に、イギリス(大英帝国)
 と南アフリカにかけて結成された、秘密結社である。

 大英帝国の植民地主義を引き継ぎ、現在の国際政治に多大な影響力を与えて
 いる(=世界を支配している)とされる。

 円卓会議ムーヴメントは 、 英国とその自治植民地の間のより緊密な連合
 を促進する組織協会として1909年に設立された。

 歴史

 円卓会議(ラウンド・テーブル)の強みは、その匿名性にある……
 彼らとは戦わなくてはならない……
 その歴史は悪意に満ちている。よくもこんなことができるものだ。
 — ファビアン・ウェア

 創始者グループは、セシル・ローズおよびアルフレッド・ミルナーと、
 ロスチャイルド卿、アスター卿、バルフォア卿、グレイ卿、イッシャー卿、
 らである。

 アルフレッド・ミルナーは、ミルナー幼稚園(ミルナー・キンダー
 ガーデン)を組織した。

 セシル・ローズの死後は、アルフレッド・ミルナーが後を継いだ。
 円卓会議グループは、優秀な人材を、育成あるいは取り込んでいった。

 円卓会議ムーヴメントは、ミルナー卿の幼稚園から発展。 
 彼らは、アングロサクソン会議にちなんで名付けられた「The Moot
 (ムート)」と呼ばれる会議を開催した。
 この運動は、ウェールズにあるアングルシー卿の邸宅であるプラス
 ニューディッドの会合で、9月4〜6日の週末に始まり 組織の枠組みは
 ライオネル・カーティスによって考案されたが、全体的な考えは
 ミルナー卿によるもの。
  南アフリカの元統治者フィリップ・カーが組織の秘書になる。

 この他円卓会議グループが発展して、
 以下の組織・制度・会議が設立された。

 1902年には、セシル・ローズの遺産により、ローズ奨学金が設立された。

 1919年には、イギリスに王立国際問題研究所(RIIA、通称チャタム
 ハウス)が設立された。
 創設者はミルナー幼稚園出身のライオネル・カーティスである。

 1921年には、エドワード・マンデル・ハウスによって、
 アメリカに外交問題評議会(CFR)が設立された。
 CFRはアメリカをイギリスの影響下に置き続けるための組織である。

 1925年には、太平洋問題調査会(IPR)が設立された。
 IPRはRIIAの下部組織であった。
 IPRはロックフェラー財団とカーネギー財団が資金を提供していた。

 1945年には、ローズ奨学金を真似て、フルブライト奨学金が設立された。

 1954年には、ビルダーバーグ会議が開催された。

 1962年には、戦略国際問題研究所(CSIS)が設立された。
 CSISはイエズス会系組織だがCFRの影響下にある。

 1973年には、日米欧三極委員会が設立された。
 ーウイキペディアよりー

☆ブログ筆者:1%の支配層の組織名が満載であり、その組織を構成する
       メンバーの名を見れば、世界が誰によってコントロール
       されているかが分かるだろう。そして日本もその傘下に
       いることも分かるだろう。
       近代のコントロール・システムの出発点は「英国」に巣くう
       「輩たち」。

       フェビアン・ウェア:陸軍少将サー・フェビアン・アーサー・
       ゴウルストーン・ウェア 
       (Major General Sir Fabian Arthur Goulstone Ware)
       1869年 6 月17日に ブリストルのクリフトンで生まれ,1949年
       4月29日に死亡。
       帝国戦争墓委員会の創設者、後半生をその活動に捧げた。

<ヘンリー・エドワード・マニング(1808年7月15日– 1892年1月14日)は
ローマカトリック教会の英国の前哨兵であり、1865年から1892年に亡くなるまでウェストミンスターの2番目の大司教でした。ーウイキペディアよりー>