☆ブログ筆者:現在のロシアの人々は「自国の歴史」が「1%の支配層」に
よって破壊されたことを知っている。
ロスチャイルド家に乗っ取られた「英国」は、筆者が常に指摘
しているように「1%の支配層の蜘蛛の巣」の中心国家。
「英国王室」が「蜘蛛の巣の中心」かも知れない。
英国王室は表に出るが、ロスチャイルド・シンジケートの構成
員と組織は複雑に入り組んでいて、われわれの目に容易には
捉えられないようにしている。
「チャーチル」、既報の副島氏の解説の「ヒトラー」も同様
に彼らのパペットである。
彼らの歴史には敵味方はない。双方に金を貸し付けて儲けを
得る「両建て作戦」。「愛する国なき国際主義者」。
日本でも、幕末はイギリスは倒幕派に、佐幕派にはフランスが
援助。その後ろには、英国ロスチャイルドと仏ロスチャイルド
がいた。ヤヌスJanus=前面を見る頭と後方を見る頭の二つを
持つローマの神。
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ーテロと破壊に打ち負かされたロシアー
「恐ろしいセクト、世界一恐ろしいセクトの中心人物とその恐ろしい
取り巻き連中は、ロシアの国家基盤である諸制度を粉々に砕く悪魔的
な力を発揮した。
ロシアは打ち負かされた。ロシアは打ち負かされねばならなかった。
ロシアは打ち負かされて死んだ」-
一九一九年一一年五月、ウィンストン・チャーチルは演説で、レーニンと
トロツキーに対する激しい憤り、そして彼らがキリスト教国ロシアに
もたらしたテロと破壊について語っている。
レーニンはロスチャイルド家の指図を受けて送り込まれた従者にすぎ
なかった。
皇帝(ロマノフ家)に対する彼らの敵意を底知れなかった。
ロスチャイルド家の悩みの種は、キリストを指導者として認知する
ヨーロッパ神聖同盟を形成しようとする動きだった。
ロスチャイルド家がその企てにどのように対処したかは、いくつか記録が
残されている。
それはユダヤ人作家A・ラポートの著書『ロマノフ朝の呪い(The Curse
of the Romanovs)』、ウィリアム・ランガー教授の論文、バセット著の
『ワーテルローの失われた果実(The Lost Fruit of Waterloo)』、
ミルナーの代理人ブルース・ロックハートの私的書簡などだ。
神聖同盟はオーストリア、プロセイン、ロシアといったキリスト教国版
「国際連盟」であり、イギリスやフランスをはじめ、全ヨーロッパ諸国が
加入するものと期待されていた。
<プロイセン王国は、ホーエンツォレルン家の君主が統治したヨーロッパの
王国。現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とし、首都は
ベルリンにあった。 プロイセンの語源となったプルーセンはドイツ騎士団に
征服され、1224年にドイツ騎士団国が作られた。ドイツ騎士団国は1525年に
プロシア公領ないしプロイセン公国となる。 ーウィキペディアーより>
諸国は、「唯一無二の真性な統治者、神聖な正義によるあらゆる力をもつ
唯一の存在、すなわち、われわれの神聖な神である救世主イエス・キリスト」
に同盟の誓いをたてた。
同盟の先導役は、その実現に邁進したアレクサンドル一世だった。
<アレクサンドル1世は、ロマノフ朝第10代ロシア皇帝、初代ポーランド立憲
王国国王、初代フィンランド大公。 皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョー
ドロヴナの第1皇子。父帝暗殺後に帝位を継承し、当初は自由主義的改革を
志向して開明的な政策をとったが、ナポレオン戦争を経て、治世後半は強権的
反動政治に転じた。 ーウィキペディアーより>
だがロスチャイルド家はすぐさま不快感をあらわにした。
ランガー教授はそれを次のように決めつけた。彼のご託宣は偏見に満ちて
いる。
「一八一五年九月二六日、アレクサンドル一世が作成した神聖同盟の同意書
がフランソワ一世、フルードリヒ・ウィリアム三世を筆頭に、イギリスの
摂政、ローマ教皇、トルコのスルタンを除くヨーロッパの全統治者によって
署名された。
それはキリスト教原則に立ち返るという無害な宣言であり、支配者たちの
課題や相互関係の指針となるものだった。
こうした曖昧で八方美人的な原則を、一世紀前にサンピエールの尊師が
提言した路線に沿った国際組織をつくる先駆けにしようとロシア皇帝は
考えていたのかもしれない。
この同意書の重要性は、その条項にあるのではなく、その後に人心を
惑わした四国同盟、なかでも宗教でカモフラージュして人民の自由を
奪う協定を結んだ東方の三国の反動的な政策にある」
偏見の第一は、神聖同盟は「宗教でカモフラージュ」などされていなかった
点だ。
だがロスチャイルド家はそうみていた。
ロスチャイルド家はイギリスの同盟への署名を全力で阻止した。
フランスでは、「教会と国家の分離」に努めて神聖同盟の解体を狙った。
この点についてはラポートの説を引用しておく。
「ヨーロッパの平和の再構築にアレクサンドル一世は大満足した。
アレクサンドルは悪徳の根源が国家の反宗教性にあるとみていた。
彼は民衆の心に宗教的熱情を呼び戻したかった。
そうしなければ、家長制の政権、清潔な家族生活、法と権威への服従
を取り戻せると思ったからだ。
しかし、支配者はこうした目標に実例やモデルを示さなければならない。
ヨーロッパの君主たちはキリスト教創始者の精神を掲げながら、帝国や
王国の支配者として使命を履行しなければならない。
そして、キリスト教が統治者と人民あるいは統治者同士の絆となるべき
である」(『ロマノフ朝の呪い』三三六頁)
<フランソワ1世は、ヴァロワ朝第9代のフランス王。シャルル5世の曾孫で
ルイ12世の従兄に当たるアングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイ
ア公フィリッポ2世の娘ルイーズ・ド・サヴォワとの間に生まれた。
ーウィキペディアーより>
< フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、プロイセン王。家庭においてはよい
父だったが、消極的な平和主義に固執し、ナポレオン・ボナパルトとの戦いに
敗れるという危機の時代にあっても改革を主導する能力と意欲を欠いていた。
しかしこの時代、プロイセンには文武ともに有能な人材が輩出し、近代化も
進んでいった。<ーウィキペディアーより>
『第三次世界大戦』
-最強アメリカ VS 不死鳥ロシア-
世界最終戦争は、「300人委員会」の規定路線
発行日:2005年5月5日 著者:ジョン・コールマン博士
監訳者:太田龍 成甲書房刊
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