元細胞生物研究者の日記

某病院に勤務する医師です。以前は細胞やマウスを相手に仕事をしていましたが、現在は医療に携わっています。

月田教授の自伝記

2006-02-25 | Weblog
昨年12月に膵臓癌で他界された月田承一郎教授が亡くなる直前に執筆された本が出版されました。
「小さな小さなクローディン発見物語」という本です。さっそく購入して読みました。
タイトジャンクションの研究にブレークスルーをもたらした月田承一郎という研究者の歩みが記されています。
私は月田教授という研究者は順調に成果を上げていった方だと思っていましたが、改めて彼の研究人生を振り返らせてもらうと、やはりいくつかの壁にぶち当たることがあったようです。しかし、月田教授と仲間たちは努力とエレガントな工夫で見事にその壁を打ち破り研究を進展させています。

私は仕事上で壁にぶち当たるとすぐに壁のない方向へ逃げることが多かったように思います。もう30歳をとっくに越えて、何を今更という感じですが、やはり、時には仕事上の障害を打ち破ることの大切さを改めて、月田教授から教えていただいたような気がします。

クローディンの発見という「大きな」足あとをサイエンスの世界に残した月田教授、著書やホームページを通して私に仕事に対する心構えを教えてくれた月田教授に
「ありがとうございました。」
と、改めてお礼を申し上げたいと思います。

梅毒の歴史

2006-02-11 | Weblog
梅毒というのはSTD(sexually transmitted diseases; 性行為感染症)のひとつです。抗生物質ができてから患者数は激減しましたが、皮膚をはじめとして、様々な臓器に病変を作る重要な疾患です。

梅毒は紀元前15000から3000年前くらいから存在したそうです。しかし、全世界に爆発的に流行したきっかけはコロンブスの新大陸発見(1492年)です。この航海時にスペイン人の航海士がハイチの人々から感染し、ヨーロッパに持ち帰りました。コロンブス自身も梅毒性大動脈炎で死亡したと報告されているそうです。
その後、すぐにヨーロッパ全土に拡大しました。梅毒は空前の関心事になっていて、フランスではナポリ病、ロシアではポーランド病、イタリアではフランス病と呼んでいました。これはこの病気をライバルの国の名前で呼んだ為です。同時期にパスコダガマのもとで働いていた航海士達が梅毒をアジアに持ち込んだようです。いつ梅毒が日本に入ってきたかを調べると、初めて京都で大流行したのが1512年で、その一年後に江戸に入ってきてたようです。
コロンブスの新大陸発見からたった20年で京都で梅毒が流行しているのです。
今のように飛行機が世界中を飛び回っている時代ではありません。室町時代の末期です。
私は人間の生殖行動の偉大さに感心してしまいます。

以前は皮膚科は皮膚泌尿器科といって泌尿器科と一緒でした。皮膚泌尿器科の時代は性病(STD)は重要な診療、研究の対象でした。
しかし、現在、STDは皮膚科、泌尿器科のどちらかも興味を失われ、しっかりSTDを診察できる医師が減っています。私も体系的にSTDについて研修を受けたことはありません。

人間が存在する限り、STDはなくなりません。STDがなくなるときは人間が生殖行為をやめる時だと思います。そのような重要なSTDを治療できる医師も必ず必要であると、私は時々思っています。




臨床医の研究

2006-02-04 | Weblog
医師の役割は次の3つがあると言われています。
1病気に悩む人々を治療すること。
2後輩に自分が学んだ知識、技術を伝えること。
3医学を進歩させること。

3は研究ということになると思います。しかし、診療を行うだけで一日は終わってしまい、研究をする時間を取るのはなかなか大変です。体力に自信のある医師は、全ての仕事が終了した後に実験をするか、事務処理能力がある医師は、仕事を早めに終了して実験を行うということになると思います。
しかし、このような極めて能力が高い例外的な医師を除いて、診療業務と研究をどちらも両立するのは難しいと思います。私も経験がありますが、実験というのは時間がかかります。試行錯誤の繰り返しですし、うまく実験が終わったからといって、出てきたデータがいつも価値のあるものとは言えません。

ところが、臨床医にとっても基礎研究が評価されるという風潮があります。例えば、アトピ-性皮膚炎の患者さんの500人のデータをまとめた仕事より、新規の接着分子を抑制してマウスのかぶれを治療するという仕事の方が「高い」評価を受ける傾向があります。特に皮膚科ではこのような傾向が強いように感じます。

この風潮に一役買っているのが研究雑誌のインパクトファクターだと思います。インパクトファクターとは雑誌に掲載されている論文の引用回数を掲載されている論文数で割ったもので、簡単に言えばインパクトファクターが高い雑誌ほど、レベルの高い雑誌と言われています。共通一次試験が始まって大学ランキングが偏差値、試験の得点で輪切りにされたように、今はインパクトファクターが雑誌の「偏差値」のように見なされています。基礎研究の方が偏差値が高い?雑誌に載りやすいのです。

しかし、私は医師には医師にしかできない研究があると思います。例えば、最も悪性度が高い癌の一つと言われている、悪性黒色腫と、この癌と紛らわしい形をした良性のホクロとの見分け方を様々な角度から検討した論文(Oka h et al Melanoma Res. 2004 Apr;14(2):131-4. )などは、医師にしかできない仕事だと思います。
私は医師が一時期、基礎研究に従事することは仕事の上にプラスになると思っています。しかし、一生基礎研究を続けることに関しては疑問があります。基礎研究者は自らの仕事時間を全て基礎実験に費やしています。しかし、医師は診療が第一でその合間に実験をしなければなりません。このような状況で基礎研究者より優れた研究をするのは不可能だと思います。

皮膚科医にしかできない研究はどのようなテーマだろうか、そして、私はそんな研究がしてみたいと時々考えています。