今回は新たな手法に挑戦したぞ~ 苦労したぞー だけど面白かったぞー
自分では絶対描けない絵だ。こういう場面が浮かんでも来ない。
いつも絵を描かなきゃいけない時、頭には浮かんでいるのにその通り描けないのは何故かと思っているのだが、こういう場面は浮かんでも来ない。ってさっきおんなじこと言ったよ。
さて「ラスムスくん英雄になる」ですが、タイトルが用言止めというのは当時は結構珍しかったんじゃないかな。原題は「Rasmus,Pontus och Toker」(直訳を予想すると、「ラスムス、ポントウス対どろぼう」とか?「ラスムス、ポントウス英雄に」とか?「ラスムス、ポントウスとその姉」とか? ラスムスとポントウスの名前以外、全くスウェーデン語分からず)みたいなので、訳者の尾崎義さんの命名なんでしょうが、何かいつもと違うタイトルの響きに惹かれて手に取った幼い頃の私ではないでしょか。
ピッピを先に読んでたら飛びついて読んで、ちょっとガッカリしたかもしれません。奇想天外を期待して読んだら、全く違うものなので「今度読もう」と一旦本棚に戻していたかもしれません。
それほど、違うものです。
最後まで読んで印象に残っているのは、泥棒が外国なまりであるとセリフはカタカナなんだ、ということ。そしてカッコ内がカタカナだととても読みづらいということ。何を言っているのが実際分かりにくいということ。だからか、とくにその台詞が面白いわけでもないのに何度も読み返したということ。
セリフをカタカナにするだけで本当に外国人が喋っているかのようにカタコトになるのは面白い。読むとき、私がカタコトで解釈している。
そんな時、カタカナって便利ね。
だから普段使っている漢字交じりのひらがなって本当にありがたいことよ。今私が言ってることは漢字交じりのひらがなのくせにチンプンカンプンだと思うけど、上手に書くと本当はとても頭に入ってきやすい便利なものなのよね。
カタカナ読みの不便さで、普段何気に使っている日本語の文章のありがたみを知りました当時の私です。
もう一つは、ヨーロッパのジュニアの恋愛。
当然進んでると思いきや、結構小学校高学年くらいの男の子は姉ちゃんがのぼせてる相手に嫌悪感をもって、チューなんてゲーッ 俺たちはチューなんて絶対しない、彼女なんて一生作らないぞっみたいに思っているんだ。外国の、特にアジア以外の国の人たちはみんな子供のころからイチャイチャするのが大好きなんだと思ってたけど違うと知ったこと。
この本のストーリー展開にそれほど興奮したり入り込んだりはしなかったものの、何故か何度も読み返した記憶がある。
ラスムスとポントウス、バランキンとコスチャ。
そのころは到底接することのできないヨーロッパの、肌の色も髪の色も白く透き通るような、そばかすだらけの少年たちの日常生活を垣間見ることが本を読むことで出来ることが、小学生の私にはとても魅力的だったんだろうな。
今回は挿絵のように地味にモノトーンで。
自分では絶対描けない絵だ。こういう場面が浮かんでも来ない。
いつも絵を描かなきゃいけない時、頭には浮かんでいるのにその通り描けないのは何故かと思っているのだが、こういう場面は浮かんでも来ない。ってさっきおんなじこと言ったよ。
さて「ラスムスくん英雄になる」ですが、タイトルが用言止めというのは当時は結構珍しかったんじゃないかな。原題は「Rasmus,Pontus och Toker」(直訳を予想すると、「ラスムス、ポントウス対どろぼう」とか?「ラスムス、ポントウス英雄に」とか?「ラスムス、ポントウスとその姉」とか? ラスムスとポントウスの名前以外、全くスウェーデン語分からず)みたいなので、訳者の尾崎義さんの命名なんでしょうが、何かいつもと違うタイトルの響きに惹かれて手に取った幼い頃の私ではないでしょか。
ピッピを先に読んでたら飛びついて読んで、ちょっとガッカリしたかもしれません。奇想天外を期待して読んだら、全く違うものなので「今度読もう」と一旦本棚に戻していたかもしれません。
それほど、違うものです。
最後まで読んで印象に残っているのは、泥棒が外国なまりであるとセリフはカタカナなんだ、ということ。そしてカッコ内がカタカナだととても読みづらいということ。何を言っているのが実際分かりにくいということ。だからか、とくにその台詞が面白いわけでもないのに何度も読み返したということ。
セリフをカタカナにするだけで本当に外国人が喋っているかのようにカタコトになるのは面白い。読むとき、私がカタコトで解釈している。
そんな時、カタカナって便利ね。
だから普段使っている漢字交じりのひらがなって本当にありがたいことよ。今私が言ってることは漢字交じりのひらがなのくせにチンプンカンプンだと思うけど、上手に書くと本当はとても頭に入ってきやすい便利なものなのよね。
カタカナ読みの不便さで、普段何気に使っている日本語の文章のありがたみを知りました当時の私です。
もう一つは、ヨーロッパのジュニアの恋愛。
当然進んでると思いきや、結構小学校高学年くらいの男の子は姉ちゃんがのぼせてる相手に嫌悪感をもって、チューなんてゲーッ 俺たちはチューなんて絶対しない、彼女なんて一生作らないぞっみたいに思っているんだ。外国の、特にアジア以外の国の人たちはみんな子供のころからイチャイチャするのが大好きなんだと思ってたけど違うと知ったこと。
この本のストーリー展開にそれほど興奮したり入り込んだりはしなかったものの、何故か何度も読み返した記憶がある。
ラスムスとポントウス、バランキンとコスチャ。
そのころは到底接することのできないヨーロッパの、肌の色も髪の色も白く透き通るような、そばかすだらけの少年たちの日常生活を垣間見ることが本を読むことで出来ることが、小学生の私にはとても魅力的だったんだろうな。
今回は挿絵のように地味にモノトーンで。
大変だったろうけど、すんばらしいデキバエ!
坂道に家があるのね
泥棒を見張っているのかな
ラスムスとポントウスが
やっぱり、夕暮れ時ぐらいかしら
月明かりかしら
とっても雰囲気わかります
緊張感もあります
自分で苦労したとか書いといてなんですが(ポリポリ)この黒一色の挿絵は比較的楽だったんですね~
自分じゃ描けないけど、物まねだから。
挿絵はおはなしを左右するよね。
リンドグレーンで検索してたら「名探偵カッレくん」が面白いと言ってる人が多くて、読みたいと思ったら、あら持ってるジャン なんだ、読んでみよう。
たぶん「ラスムスくん」が好きでその後自分で何冊か買ったなかの一冊だったんだと思う。
読みかけた気もするんだけど、私に合わなかったのかな、とにかく読んでみよう。
リンドグレーンはその他の何冊かにいろんなラスムスくんを登場させているけど、どれも同一人物じゃないんです。
「さすらいの孤児ラスムス」を読んで、英雄になるラスムスを期待してがっかりした記憶があるから「カッレくん」を読むに至らなかったのかもしれません。
何度も言うけど「カッレくん」読んでみよう。