第5回戦争を語りつぐ会
「空襲で背中をやられ血が流れていました。防空豪の周りは火事でした。草の上に横たわっていました。ご近所の皆さんの手で病院へ運ばれ救われました」(中井正嗣(まさつぐ)さん)
「戦死した兄たちのために母は花嫁人形を買いに行きました。『あの子は、こんな人が好きなのじゃないかしら』と母は本当の嫁選びのように真剣でした。」(前田演子(ひろこ)さん)
田園調布九条の会は「第5回戦争語り告ぐ会」を7月2日、田園調布南町会会館(東急多摩川線沼部駅歩1分)で開きました。淡々と戦時中のことを語った中井正嗣さん、戦死した兄弟との心の交流、母の愛情と悲しみを語った前田演子(まえだ・ひろこ)さん。いずれも重い内容で聞き応えのあるお話しでした。参加35人でした。
「第5回戦争を語りつぐ会に参加して」
素晴らしいお話でした。
毎回、涙と笑いと感動を頂いて,参加して良かったと、心晴れやかに帰途に就く「語りつぐ会」ですが、今回もまた素晴らしいお話を伺うことが出来ました。
中井正嗣さん(82歳)のお話は、実に客観的な、そして淡々とした語り口が印象的でした。昭和9年に田園調布に来られた当時、まだ丸子橋が未完成で、丸子の渡しで多摩川を渡っていたこと。「チョットコイ」と啼く四十雀の声で目を覚まし、野兎がいたる所で跳ねていたこと。そして、1945年5月25日の空襲で焼夷弾が体をかすめ、負傷したために、警報が鳴る度にPDSD(心的ストレス症候群)に襲われたこと、等々。その当時のことが、目に見えるようでした。
徴兵されたお兄様と弟様を戦争で亡くされた前田演子さん(89歳)のお話は、戦争を決して再び起こしてはならない、との、強い思いに貫かれた,涙なしにはお聞きすることの出来ない、心を締め付けられるようなお話でした。お母様が、戦地に赴く兄上を,楓の小枝を着物の袖に隠すようにして振って、見送られたこと。若くして、未婚で亡くなられたお二人の遺影の脇に花嫁人形を飾られておられたこと。弟様に託された遺髪と爪の入った袋を、未だに肌身離さず持っておられること。
そして、NHKの朝の連ドラ「おひさま」の、戦地に赴く若者と家族の描写に強く違和感を感じられること等、体験した方にしか決して分からないことを、お話して下さいました。会の終了後、若いお母様が、「このような素晴らしいお話を,何故学校の課外活動等で子供達に聞かせてあげられないのでしょうか」と問いかけて下さったことも、印象的でした。そのようなことが1日も早く実現出来るよう、微力ながら、しこしこと頑張って、この活動を続けていかなければ、との思いを強くした会でもありました。第6回目が今から楽しみです。( 茂木 稔)
母のことを思い出す
前田さんのお話を聞きながら数十年ぶりに母のことを思い出しました。私の兄も戦死し、母が同じように仏壇に手を合わせ長い時間拝んでいたことを…。病気ではないので「兄弟は死んだのではなく殺されたのです」という言葉はインパクトがありました。(熱海安男)
国民が知らないうちに
中井さんは戦時中に皇居前広場の草取りに行く時、先生から「坊主にして来い」と言われたと話されました。国民が知らないうちに戦争に巻き込まれていく怖さを痛感しました。前田さんのお話は涙なくしては聞けない内容でした。「遺影の脇に花嫁人形を」と目を皿のようにして捜されたお母様の姿。平和であり続けるためのたゆまぬ努力をと心に誓った1日でした。(根岸亞麗朱)
戦争の悲惨さを改めて
私自身、戦争体験者として、戦争の悲惨さ、人間性を否定するおろかさを改めて見つめなおすことが出来ました。参加者の中に若い人たちがいましたが、若い人たちも感銘をうけたと思います。9条をほんとうに大切にし、9条が出来た背景をもっと見つめなおす機会にしたいものです。 その機会は、まさに戦争体験を語りつぐことではないでしょうか。次回を楽しみにしています。(石井弘)