株式会社 電通ハウジング

社内のイベント、町の情報、個人的な趣味の話など、語ります。
曜日で担当がかわります(*^_^*)

壬生義士伝

2008年11月10日 | bu-kunのブログ
ぶーくんは定期的に本屋に物色しに行く。

そしてみつけたのが、こちら
壬生義士伝の漫画



以前映画化にもなっている、浅田次郎原作の漫画である。
この漫画の帯に、”愛と誠”のながやす巧が・・・
と、あるが
”愛と誠”は名前は聞いたことがあるが、まったく知りません・・・
しかし、綺麗な絵だったので購入である。
ちなみに、映画も見てません。

何度か、ここのブログで書いているが
日本史の中で幕末は一番弱いところというか、好きではなかった。
興味もないので、幕末関連の本は殆ど読むことがなかった。
なかった?

そうなのだ、
今年の春に会津へ旅行に行った時に、
白虎隊の悲劇、さらには会津藩とその藩主松平容保の悲運を知ったとき
こりゃ!イカン!!と思った。
帰ってから、会津関連の本を読みまくった。
すると、会津藩預かりである新撰組についても興味が出てくるし、
そうすると幕末全般が興味の対象となった(興味と言ってしまうと申し訳ないが)

それから、新撰組や会津関連のものに目が行くようになり、
この漫画版壬生義士伝に出会ったのでした。

読んでみると面白い。

この漫画は、南部藩を脱藩して新選組に入隊した吉村貫一郎と言う隊士の話しである。
新選組で知ってるといえば、近藤勇、土方歳三、沖田総二、永倉新八、斉藤一ってところか…
さすがに吉村貫一郎は知らないな~とおもい
永倉新八著作の新選組顛末記の巻末にある隊士の一覧を見ると
吉村貫一郎殺害せらると書いてある、

殺害?

他の人を見てみよう

芹沢鴨 京都壬生村八木源之丞宅において暗殺せらる

近藤勇 江戸板橋宿滝ノ川において刑死

土方歳三 箱館にて戦死

原田左之介 東京都本所猿江町神保伯耆守邸において銃創にて死

藤堂平助 京都七条通油小路角三浦常治郎に斬り殺される

新見錦 京都祇園新地貸座敷渡世山緒宅において切腹

山南敬助 京都壬生村前川荘司宅において切腹

沖田総司 江戸浅草今戸八幡松本順先生宿にて病死

などなど・・・

そうなると闇討ちか、粛清かと思っていたら、
漫画では切腹しようかというところから始まる。
なぜ自分がここにいるのか、
なぜ脱藩したのかを回想して物語が始まる。
さらにある青年が生き残った隊士を訪ねて吉村貫一郎について聞いていくという二本の道筋からなる。
漫画は現在二巻までで、基本が新撰組生き残りの居酒屋のおやじの話がメインとなる。

居酒屋のおやじから見る吉村貫一郎は、
やさしくて、つよくてでも守銭奴だったとう話が、
いくつかのエピソードとともに語られていく、
実に面白い。

これは是非とも、原作を読んでみようと思っていたら、
その数日後のことである、
会社の人に
「ぶーくんさんきっとこの本読むんじゃないかと思って持ってきたよ」
と、言われて見てみると

な!なんと!!!
浅田次郎の壬生義士伝
そうなのだ!!漫画の原作である。



以心伝心とでもういのでしょうか!!

早速読んでみる。

もう、ひとつひとつの話が泣ける!!

実はぶーくん新撰組の中では、斉藤一が好きなのだが
斉藤一の話の際、
斉藤は会津藩の武士として戦うことに決め、
会津が破れて斗南藩へ藩がえのとき、吉村貫一郎の故郷である南部藩領を通過する
その時に、子どもが土下座をして
「会津のお侍さまっ、わしらは城下も焼かれず、御城も攻められずに負け申した。
おもさげなござんす。どうかどうか、お許しえって下んせ」
と叫ぶシーンがあった。
もう、ただでさえ涙腺のゆるいぶーくんである。
号泣だ!!

さらに、吉村貫一郎の長男である嘉一郎が
箱館(誤字ではなくあえて箱を使ってます)戦争に参加する件などもなけてなけて仕方がなかった。

号泣だ!!

ちなみに、何故子どものセリフが泣けたというと、
とにかく会津に関する本を読み漁った為、かなりの会津贔屓である。
戊辰戦争では、会津はあれほど天皇に近く、徳川に忠誠を誓っていたにもかかわらず、
諸藩にうらぎられて賊軍の汚名を一身に受けた、
そう思うと先のセリフがぐっと重くなって泣けてしまったのだ。

会津といえば、白虎隊が有名であるが会津娘子軍も有名である。
特に山本八重子は男装して七連発スペンサー銃で戦ったという女性である。

本当は山本八重子の勇姿を描きたかったが、この七連発スペンサー銃の資料が見つからず、
断念です。



ちなみに以前ブログにも書きましたが
ぶーくんはWacomのペンタブレットを使用していて
このワコムのサイトに投稿してますので気が向きましたら投票よろしくです。
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6 コメント

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もちろん読みました!! (ぶー)
2008-11-10 06:58:46
泣きましたよ、本当に・・・。
長男との葛藤、まるで私自身が彼になったかのように、自分が長男に対してどう接することが出来るのか、悩まなくてもいいことを悩みました。(笑)

これはお勧めの1冊です。
ですよね?

ずっとずっと前に会津のそばに喜多方というところがあるのですが、そこを訪ねたときに「喜多方と会津はとっても中が悪いんだ」という話をお店の兄ちゃんに聞きました。

東京もんの私から見ると双方とも同じようなところにあるのですが、かなり敵対心に燃えていたようでした。

歴史の重みを感じます。
返信する
Unknown (ぶーくん)
2008-11-10 17:46:29
なるほど・・・
多分、会津若松は城下町で武士が多く
喜多方は農村部だったんでしょうね、
戊辰戦争や会津戦争で随分と喜多方の方々も苦労したでしょうし、戦争を起こしたのは”武士達”だという気持ちがあるんでしょうかね?(推論です)

この本は、何章かにわかれていますが
かならずその章の最後は泣かされますよね。

返信する
新撰組大好き (新撰組は命です)
2008-12-27 23:33:22
はじめまして
新撰組大好きです
俺は女ですが、幕末に男として生まれ、新撰組として戦い果てたいと思う程
最初は、るろうに剣心の斎藤一に惚れ、それから新撰組にのめり込みました
壬生義士伝、読んで男泣きました(親は冷ややかに俺を見てましたが)
新撰組で芹沢鴨筆頭局長殿が一番好きです。でも資料が少ない;
新撰組は最高です!!
返信する
Unknown (ぶーくん)
2008-12-28 22:37:46
書き込みありがとうございます。
新撰組がすきなんですね。
芹沢鴨はある意味、信念の人だったんでしょうね。
返信する
はい、大好きです! (新撰組大好き(怜))
2009-01-03 20:24:22
すごく大好きです
芹沢さんには、芹沢さんの信念があったのだろうと思います
八木邸にて話しを聞いている時、俺一人だけ正座で聞いていて、案内のおじさんは芹沢さんを悪の様な言い方で、違う!芹沢には芹沢の信念がっと、思いながら聞いていたら、気付いたら涙でていた(またもや親は冷たい視線;)
説明終わって外に戻ると、案内のおじさんが、新撰組好きか?僕。と、話しかけてきてくれたので、はいっと答えると、近場の詳しい説明してくれた
よかった
芹沢さんは本当に男気に惚れた。好きすぎて通販で鉄扇買った程
返信する
Unknown (ぶーくん)
2009-01-04 23:13:53
とらえかたの違いなんでしょうね。
たしかに、芹沢鴨を悪く書かれている本や説が多いが、あくまでも近藤勇側の本や説から見ている物が多い。
芹沢鴨を暗殺した事は事実であろうから、
芹沢鴨が”良い人”では近藤勇がその後の新撰組を統率することは難しくなるし、
歴史とは”勝った方”の都合の良い話になってしまうのだと思いますよ。
芹沢鴨はあくまでも、武士である事に誇りを持っていたのでしょうし、
近藤勇は、本当の武士として生きていきたかったのでしょうね。
返信する

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