古い映画の中で、真っ赤な彼岸花が咲く道を、粛々と進む葬列を見た。それはあまりにも現実離れしていて、それでいてあまりにも美しかった。
死は平等であるというけれど、それはきっと半分正しくて半分間違いだ。
単純な事象としての死は、いつの日にか等しく万人(万物というべきか)の上に訪れる。けれど、その形は平等ではあり得なくて、結局、万物のあり方は平等とはほど遠いのだと思い知らされる。
それでいて死はあまりにもあいまいな事象だ。(だって、自分自身の死は決して見ることができない。)
彼岸花の中をゆく葬列は、粛々とおそろしいまでに美しくて、その行く末は穏やかな眠りなのだろうと思った。
のこされた人々は、やがて悲しみを昇華し生きてゆく。彼の人がいようといまいと、時は流れ、日々は巡ってゆく。
ふとした瞬間に想うこと。
日々の狭間に悼むこと。
やがてそれさえもなくなるのかも知れないけれど、あの、まるでつくりもののような(事実、映画という虚構の中のつくりものではあるけれど、)葬列の美しさだけは、決して忘れない。
彼の人と過ごす日々は、葬列の道行きに似ている。
まるでつくりもののように美しく、それでいてあまりにもあいまいだ。
渦中にいるはずなのに、まるで他人事のような気さえする。それは、決して見ることの叶わないはず自分自身の死を俯瞰するような非現実さに似ている。
彼の人の(傍らにいる自分自身も含めて)存在さえも虚構のようで、折に触れて不安になる。本当に私は(彼の人は)ここにいるのだろうか、と。
真っ赤な彼岸花と葬列。
それが誰のための葬列で、どこへ向かうのか、私は知らない。
* * *
1と2の続き? でもないような、掠めているような。
勢いで書いたら変な話になりましたが、構成としてはまずまず私らしい文章になったかなと。
ことばがしっくり来ないところもありますが、ちょっとどうにもならなかったのでそのままup。
情景が何一つないので小話ともいえない…まァモノローグとしてさらりとお読み頂ければ良いかなと思います。
ちなみに私は彼岸花が好きです(聞いてない)
雰囲気的な5つの詞(ことば):還
01.まるできせきのような
02.いつか来る日々に祈る
03.葬列の行く末
04.願いのおわりに
05.そして辿り着く場所
死は平等であるというけれど、それはきっと半分正しくて半分間違いだ。
単純な事象としての死は、いつの日にか等しく万人(万物というべきか)の上に訪れる。けれど、その形は平等ではあり得なくて、結局、万物のあり方は平等とはほど遠いのだと思い知らされる。
それでいて死はあまりにもあいまいな事象だ。(だって、自分自身の死は決して見ることができない。)
彼岸花の中をゆく葬列は、粛々とおそろしいまでに美しくて、その行く末は穏やかな眠りなのだろうと思った。
のこされた人々は、やがて悲しみを昇華し生きてゆく。彼の人がいようといまいと、時は流れ、日々は巡ってゆく。
ふとした瞬間に想うこと。
日々の狭間に悼むこと。
やがてそれさえもなくなるのかも知れないけれど、あの、まるでつくりもののような(事実、映画という虚構の中のつくりものではあるけれど、)葬列の美しさだけは、決して忘れない。
彼の人と過ごす日々は、葬列の道行きに似ている。
まるでつくりもののように美しく、それでいてあまりにもあいまいだ。
渦中にいるはずなのに、まるで他人事のような気さえする。それは、決して見ることの叶わないはず自分自身の死を俯瞰するような非現実さに似ている。
彼の人の(傍らにいる自分自身も含めて)存在さえも虚構のようで、折に触れて不安になる。本当に私は(彼の人は)ここにいるのだろうか、と。
真っ赤な彼岸花と葬列。
それが誰のための葬列で、どこへ向かうのか、私は知らない。
* * *
1と2の続き? でもないような、掠めているような。
勢いで書いたら変な話になりましたが、構成としてはまずまず私らしい文章になったかなと。
ことばがしっくり来ないところもありますが、ちょっとどうにもならなかったのでそのままup。
情景が何一つないので小話ともいえない…まァモノローグとしてさらりとお読み頂ければ良いかなと思います。
ちなみに私は彼岸花が好きです(聞いてない)
雰囲気的な5つの詞(ことば):還
01.まるできせきのような
02.いつか来る日々に祈る
03.葬列の行く末
04.願いのおわりに
05.そして辿り着く場所
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