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お手てはぬくいです(笑)

手が冷たい人は心が温かい・・一度はきいたことないですか?
私の手は、年中ホカホカです。

昔の家を思い出す

2006年05月05日 21時30分46秒 | ノスタルジー
六畳二間に台所、お風呂は外・・そんな家が私のはじまりだ。
木造二階建てを下と上でわけ、2家族が住む家。

外にあったお風呂の思い出といえば
台風の翌朝、戸がなくなっていたこと。
あの戸はどこに飛んで行ってしまったんだろ。

縁側もちゃんとあった。
ある日空き巣が入り、外から割られたガラス。
当時幼稚園児ぐらいだった筈だけど、おぼえている。

二間のひとつは子供部屋。
二段ベッドで寝起きしていた。
そこは白い壁で、ある日は私そこにクレヨンで絵をかいた。
鯉のぼりにお家、そして雲がひとつ。

う~ん。。。満足な出来。

は!

自分がしてしまったことに気づく。。。。

ど~しよ(涙)


すぐにお母さんにばれて、しこたま怒られる。

「ちゃんと元通りにしなさいよ!」

そ~言われたって、まだ子供だもん。
わかるわけもなく・・ただ泣いていた。


泣いているうちに、私はまた鯉のぼりの絵を描いてしまった。
夢中で泣きながら、描いていたワケだ。
描いちゃいけない借家の白い壁に、
消えない鯉のぼりがふたつ。。。


記憶がそこまでしかない所をみると、
かなり激しく怒られたのだろう(笑)

腰窓をあけると自転車を置くスペースがあった。
大好きなお父さんが帰ってくるのを
待ちながら、何度もその腰窓にあがる。
そこで背伸びをすると、塀の外が覗けるのだ。

お父さんは斜め前の雑貨屋さんで
いつもお土産を買ってくる。
毎日の仕事おわりに、毎日買ってくる。
買ってくるのはいつも決まってガーナチョコ。

ある日は私は窓から落ち、自転車にあたって
顎を切った。
そのきずのおかげで私の右頬は、絶対二重あごにならない(笑)


こんな昭和40年代の家のことを思い出したのも
旦那一族と密の濃い数日間を過ごしたから。

本当にいやな一族だ。
私はあんな親や兄弟と一緒に暮らさなくて
本当に良かったと思う。

父と母の間に産まれ、あの妹と一緒に暮らせて
本当に幸せだった。



ま、オチはないが
ネタは少々仕入れたので、明日から小出しにしまぷ。








私は男ギライだが

2006年04月10日 12時00分15秒 | ノスタルジー
高校時代に、女ギライな先生がいた。
その先生は外見だけでも特筆すべき人だった。

なにせ、ミドリなのだ。


ミドリですぜ、親分。
ミドリゆうたら、蛙しか思いつきまへんがな。


その先生はスーツがミドリ色だった。
目がさめるようなミドリ。
あれは特注。おそらく特注。

髪はおかっぱで、やせぎす。
肌はぬけるように白い。


だから、蛙というよりは河童なのね。
もしくは、「シェー!!」ってポーズする『イヤミ』?


彼は旧家出身だとか、離婚してからおかしくなったとか
いろいろ言われていた。


この○山先生が、教室に入ると
まずざっと見渡し、男子の席を確認する。
起立、礼、着席がすむと
すぐに男子の席のそばにたち、ボールペンを借り
そこで出席を取る。

授業中は普通で、女子も平等にあてられた。


私の学校は、四分の三が女子だった。

ある日、男子がいたづらを思いつき、
教室の前方に女子を座らせた。
男子は後ろ二列ほど。
○山先生の為だけの、席替えだ。


ガラッと音をたてて、扉をあけた先生は
一瞬固まった。
それからなにげなさそうに教壇にたち
普通に授業をはじめた。
出席はとらなかった。

指名して教科書を読ませている間に、教壇をおり
背面黒板に移動した。

一番後ろの隅っこの男子から、ボールペンを借りて
出席をとった。


○山先生はその時間、背面黒板で授業をした。


そんなことを何回かしていたら、
ホームルームで、担任教師に叱られた。
今後2度と、こんなことはしないようにと注意された。


バレンタインデーの○山先生はモテモテだった。
授業をおえ、職員室に戻る間、
差し出される無数のチョコレート。
彼はそれを本当にイヤそうに、
口元をハンカチで押さえ、あいている手で
女子生徒を払いのけながら歩いた。

イヤがるから、おもしろいらしい。

あの頃は子供やったんやなぁ~みんな。

今そんなことをしたら、訴えられるに違いない。