20007年の舞台は、『マラリ』→『ガネーシャンジャリー』→『マタ・パラシャクティ(全曲/30分)』と、3曲踊らせて頂きましたね。
どうしても、サラスワティ女神様に、『マタ・パラシャクティ』の全曲分をお捧げさせて頂きたかった。日頃は時間の関係で、20分間の「抜粋曲」になる為…。シニアのサキ(にしべやすこ/2007年アランゲトラム修了・ソロデビュー)に舞台袖の着替え介添えをお願いして、舞台は無事修了した。
『マタ・パラシャクティ』では、一番一番の「ジャティ」部分で「拍手喝采」を受け、おおきな喜びと驚きに包まれて踊っていた。「えっ、ここ、インドだった、かしら…?」と。インドで舞台をさせて頂くとこのようなことはよくあり、うれしいものだが、まさか日本でこの<のりのリのインド式喝采>を受けるとは…。
サラスワティ女神さま、サンギートメーラさま、主催側のジミー宮下氏、関係者に感謝感謝の一夜であったが、さて、今年2008年は・・・!
□写真は07年上演『マタ・パラシャクティ』の中の≪サラスワティ女神≫
どうしても、サラスワティ女神様に、『マタ・パラシャクティ』の全曲分をお捧げさせて頂きたかった。日頃は時間の関係で、20分間の「抜粋曲」になる為…。シニアのサキ(にしべやすこ/2007年アランゲトラム修了・ソロデビュー)に舞台袖の着替え介添えをお願いして、舞台は無事修了した。
『マタ・パラシャクティ』では、一番一番の「ジャティ」部分で「拍手喝采」を受け、おおきな喜びと驚きに包まれて踊っていた。「えっ、ここ、インドだった、かしら…?」と。インドで舞台をさせて頂くとこのようなことはよくあり、うれしいものだが、まさか日本でこの<のりのリのインド式喝采>を受けるとは…。
サラスワティ女神さま、サンギートメーラさま、主催側のジミー宮下氏、関係者に感謝感謝の一夜であったが、さて、今年2008年は・・・!
□写真は07年上演『マタ・パラシャクティ』の中の≪サラスワティ女神≫
9月14日~15日と、岐阜・洞戸へ行ってきました。昨年に続く「サンギートメーラ」出演の為。日本国内でのインド音楽&舞踊のビッグ・コンサート「サンギートメーラ」、楽しい一夜でした。 昨年は当日昼間に京都でサキ(ダヤの研究生の中からピックアップしたダンスメンバー)たちと舞台出演を済ませ、昼食をゆっくり食べて解散する彼女達をスタジオに置いて、衣装着替えを済ませた私と数人は、シニアのサキが運転する車で一路、洞戸へと向かったのでした。今年は前日に兵庫・高砂市での舞台出演はあったものの、充分に時間も準備でき、着替えも、舞台もゆったりと迎えることが出来ました。一年振りのアーティストたちとの再会、会わないでいた間の彼らのアクティヴな日々の積み重ねは、その笑顔と、舞台に表れている。「あ~ぁ、いいな、この瞬間・・・!」、互いに決して平坦ではない精進の日々をクリアすればこそ、こうして、又同じステージに立つことが出来ることを知っている。言葉は少なくとも、同じ道筋を通り抜けてきたもの同士の信頼が、心に染み渡ってくるのを感じる。「あ~ぁ、いいな、この瞬間・・・!」、サラスワティ女神のもと、すでに月は白くまあるく東の空で、サンギートメーラの開演を見守っていた。 □ 写真は、2007年舞台出演前の舞台袖にてー。
順番が逆さになりましたが、この写真は、祭事の始まりです。広場には無数の松明が土に打ち込まれていて、始めに太鼓、鉦が打ち鳴らされる中、先ず一灯から、次の松明へ男衆が火をつけていく。一つまた一つとゆっくりと時間が流れ、気付くと会場は、村の沿道とつながって聖火の海となっていた。幻想的な、また厳粛な時間が満ち、私の心を照らし清浄い流して行く。
・・・・やがて、火の玉が飛び交うのであった。
・・・・やがて、火の玉が飛び交うのであった。
とても素朴な山間の村へ行ってきました。
お声を掛けて下さる知人と共に、五名ほどで火祭りに参加。
8月末の夜のこと、市内の燃えるような暑さを心地よく裏切って、車がカーヴしてはひと峠越えるほどに、1℃、2℃と、小気味よく外気は下がる。目的地につくと、勿体無い! この夏の終わりとも思えない、「20℃」であった。家を出たときには確かに30℃以上あった京都市内、「ここは、同じ京都市内ですよ」とは知人の説明。とても、とても信じられない。うれしい驚き! そして、勿体無い!と、 誰へというのでもなく、何へというのでもないが感謝の手を合せている自分が居た。そんな自分に、心で笑うもうひとりの自分。
点火はこの後一時間ぐらいあとという事で、みんなで持ち寄った物で夕食となる。クラスを終えて何も持参せず飛び出した私は、「アツアツのたこ焼き」と「夏野菜の漬物をネタにした握り寿司」を会場の出店で見つけて、皆さんに提供。平常なら村道(町道)にナイロンを敷き、子供の遠足のように皆笑顔で頬張る。少し霧のような小雨となる頃、点火の準備も整い、はっぴを着た男衆がぞくぞく祭儀場の広場に集まる。
見ることを目的にしよう、感じる事を大切に、心の目で見届けよう!
とは、いつもながらの姿勢ではあるが、この度は、二度と出会えないかもしれないこのとき・・・、
幾つか、シャッターを押していたのでした。
運動会の「玉入れ合戦」のような神事、但し投げ入れるのは火の玉。松ノ木を細く裂いて玉状にしたものに1m~1.5mの紐を伸ばし、松ノ木を何本か束ね、また上へと繋いだ高い(15m~20m)ポールに向かって、火の玉をまわしながらほうり投げ揚げてゆく。火の玉が無事ポールのかごの中に入り、籠ごと火は勢いをつけて燃え出すと縁起がよく、そのあとポールは倒されて、広場で益々燃え立ちあがる。火が下火になって、悪霊が付け入らぬよう、男衆が干し草、萱等を盛んに火に加え、ポールになっていた松ノ木を十人位で抱え、差し込んでは、火を煽り立て勢いを加える。
「火の神・愛宕の神」の力を尊ぶ祭事。村の男衆が火の玉を無事上級の籠に入れ、籠が燃え盛るまで祭事はおこなわれるということでした。今年は無事30分くらいで着火しましたが、年によっては夜明けぐらいまで掛かる年もあるとか。
竜神のような、フェニックスのような広場の火もおとなしくなると、祭事の初めからずっとなり続けていた、太鼓と鉦の音に誘われて、広場から御旅所へと列を作って帰ってくると、盆踊りのような歌になり浴衣の女衆も加わり輪となって踊りが始まる。何曲か続いた最後の踊りに私達も参加させていただき、楽しむこと、「久~しぶり」。
後になって、祭壇へお礼のお賽銭を上げさせて頂くと、「十一面観音様」がお祭りされていました。
神事?仏事? 村祭り? お盆祭事? しっかりお尋ねする機会を得ないまま、帰路へと向う。
神仏が混合されたようなこの祭事は、カメラ&ビデオを手にしたツアーグループも多く沿道を埋め尽くしていたものの、村人の素朴な心を映すように、見世物ではない、村の行事の原形のまま、てらいもなく受け継いだままの黙々と行なわれた。村人の「祈りの息吹き」を感じたのは、私だけではなかったと思う。
田舎育ち私には、幼児期の原風景にタイムスリップした一夜でもあった。
お声を掛けて下さる知人と共に、五名ほどで火祭りに参加。
8月末の夜のこと、市内の燃えるような暑さを心地よく裏切って、車がカーヴしてはひと峠越えるほどに、1℃、2℃と、小気味よく外気は下がる。目的地につくと、勿体無い! この夏の終わりとも思えない、「20℃」であった。家を出たときには確かに30℃以上あった京都市内、「ここは、同じ京都市内ですよ」とは知人の説明。とても、とても信じられない。うれしい驚き! そして、勿体無い!と、 誰へというのでもなく、何へというのでもないが感謝の手を合せている自分が居た。そんな自分に、心で笑うもうひとりの自分。
点火はこの後一時間ぐらいあとという事で、みんなで持ち寄った物で夕食となる。クラスを終えて何も持参せず飛び出した私は、「アツアツのたこ焼き」と「夏野菜の漬物をネタにした握り寿司」を会場の出店で見つけて、皆さんに提供。平常なら村道(町道)にナイロンを敷き、子供の遠足のように皆笑顔で頬張る。少し霧のような小雨となる頃、点火の準備も整い、はっぴを着た男衆がぞくぞく祭儀場の広場に集まる。
見ることを目的にしよう、感じる事を大切に、心の目で見届けよう!
とは、いつもながらの姿勢ではあるが、この度は、二度と出会えないかもしれないこのとき・・・、
幾つか、シャッターを押していたのでした。
運動会の「玉入れ合戦」のような神事、但し投げ入れるのは火の玉。松ノ木を細く裂いて玉状にしたものに1m~1.5mの紐を伸ばし、松ノ木を何本か束ね、また上へと繋いだ高い(15m~20m)ポールに向かって、火の玉をまわしながらほうり投げ揚げてゆく。火の玉が無事ポールのかごの中に入り、籠ごと火は勢いをつけて燃え出すと縁起がよく、そのあとポールは倒されて、広場で益々燃え立ちあがる。火が下火になって、悪霊が付け入らぬよう、男衆が干し草、萱等を盛んに火に加え、ポールになっていた松ノ木を十人位で抱え、差し込んでは、火を煽り立て勢いを加える。
「火の神・愛宕の神」の力を尊ぶ祭事。村の男衆が火の玉を無事上級の籠に入れ、籠が燃え盛るまで祭事はおこなわれるということでした。今年は無事30分くらいで着火しましたが、年によっては夜明けぐらいまで掛かる年もあるとか。
竜神のような、フェニックスのような広場の火もおとなしくなると、祭事の初めからずっとなり続けていた、太鼓と鉦の音に誘われて、広場から御旅所へと列を作って帰ってくると、盆踊りのような歌になり浴衣の女衆も加わり輪となって踊りが始まる。何曲か続いた最後の踊りに私達も参加させていただき、楽しむこと、「久~しぶり」。
後になって、祭壇へお礼のお賽銭を上げさせて頂くと、「十一面観音様」がお祭りされていました。
神事?仏事? 村祭り? お盆祭事? しっかりお尋ねする機会を得ないまま、帰路へと向う。
神仏が混合されたようなこの祭事は、カメラ&ビデオを手にしたツアーグループも多く沿道を埋め尽くしていたものの、村人の素朴な心を映すように、見世物ではない、村の行事の原形のまま、てらいもなく受け継いだままの黙々と行なわれた。村人の「祈りの息吹き」を感じたのは、私だけではなかったと思う。
田舎育ち私には、幼児期の原風景にタイムスリップした一夜でもあった。
ブログを開くのも久しく、先週、琵琶湖に蓮の花を尋ねたのも、久しぶり。
最近は、考える事が哀しみに続きます。
人が嫌がることを平気でできる、心持ち
自己の利益の為には、平気で偽りを振舞う言葉
親と子の、あまりに哀しい、関わり、
「 蓮の花―心のままに 」
ああ、 いよいよ、
日本の美しい四季はどこへ行ったのでしょうか?
人を思う美しい心はどこへ捨ててきたのでしょうか?
私達はどこへ行こうとしているのでしょうか・・・。
行くべき道を見据えて歩いているのでしょうか・・・。
何年ぶりかに訪れた琵琶湖、
ここに咲く蓮の花は、この日本の心・精神の衰退を、
知っているのだろうか。
悲しみを知って、
このように清らかなのだろうか。
来る年も、来る年も、一歩もここを動かず、
陽も、風も、雨も、
されるがままに
灼かれ、吹かれ、打たれ、
自分の都合では、一歩も動かず・・・・、一歩も動けず、
在るがままを受け入れて、
すべて、全てを 受け入れて、
蓮は 咲く
うつくしく、あくまで美しく
この空たかく、咲く・・・・
泥を、突き破り
悪臭を、衝き拓いて
この世に咲く
いや
天に 咲く
空、たかくへと
凛と 突き抜けて 咲く
泥は水面下・・・
いや
泥池より更に、どろどろとしたこの世
更に、更に、悪臭、嗚咽の この世のひとの心
泥は泥池の上にひろがり
人の心は、悪臭を放つこの世、
今
この世の形相は、煉獄
この世の饒舌は、餓鬼
蓮は
いよいよ美しく 花開かせ
蓮
いよいよ 薫りたつ
今、
蓮のひとひらから しずく、ひとつ
この
灼熱の日に
蓮の花 あふれて
時、静かにあふれて ひとしずく
最近は、考える事が哀しみに続きます。
人が嫌がることを平気でできる、心持ち
自己の利益の為には、平気で偽りを振舞う言葉
親と子の、あまりに哀しい、関わり、
「 蓮の花―心のままに 」
ああ、 いよいよ、
日本の美しい四季はどこへ行ったのでしょうか?
人を思う美しい心はどこへ捨ててきたのでしょうか?
私達はどこへ行こうとしているのでしょうか・・・。
行くべき道を見据えて歩いているのでしょうか・・・。
何年ぶりかに訪れた琵琶湖、
ここに咲く蓮の花は、この日本の心・精神の衰退を、
知っているのだろうか。
悲しみを知って、
このように清らかなのだろうか。
来る年も、来る年も、一歩もここを動かず、
陽も、風も、雨も、
されるがままに
灼かれ、吹かれ、打たれ、
自分の都合では、一歩も動かず・・・・、一歩も動けず、
在るがままを受け入れて、
すべて、全てを 受け入れて、
蓮は 咲く
うつくしく、あくまで美しく
この空たかく、咲く・・・・
泥を、突き破り
悪臭を、衝き拓いて
この世に咲く
いや
天に 咲く
空、たかくへと
凛と 突き抜けて 咲く
泥は水面下・・・
いや
泥池より更に、どろどろとしたこの世
更に、更に、悪臭、嗚咽の この世のひとの心
泥は泥池の上にひろがり
人の心は、悪臭を放つこの世、
今
この世の形相は、煉獄
この世の饒舌は、餓鬼
蓮は
いよいよ美しく 花開かせ
蓮
いよいよ 薫りたつ
今、
蓮のひとひらから しずく、ひとつ
この
灼熱の日に
蓮の花 あふれて
時、静かにあふれて ひとしずく
すっかりご無沙汰しました。今年も春からインドへ1ヶ月の研修をさせて頂き、帰国後も毎日が仕事に追いたてられる日々を過していました。今は近づいてきた5月25日のスタジオでの[50人劇場“バラナータティヤム・いのちの輝き”]小公演の準備と、並行して6月29日に予定している[第三回アランゲトラム]のリハーサル指導に追われています。昨日はそのアランゲトラムを実行するシニアの研修生のビデオリハーサルがありました。朝のクラス→[50人劇場]のリハーサル→「アランゲトラム」ビデオリハーサルが終了すると、ちょっとテンションが上りっぱなしの一日でした。ビデオ撮影には先輩シニア生の協力も有り、無事終了。余談話・・・・、休憩はシニア生のグットタイミングな差し入れ<柏餅>。おいしかったこと、感謝、感謝。
写真は、[50人劇場]のイメージ写真です。京の町屋で神秘さとアジアンエネルギーに溢れたインド舞踊のオンパレード!是非見てくださいね。
写真は、[50人劇場]のイメージ写真です。京の町屋で神秘さとアジアンエネルギーに溢れたインド舞踊のオンパレード!是非見てくださいね。
3月17日の写真は、インド・チェンナイ市内、ベセンナガルのビナーヤカ寺院で「世界の平和を祈って」学校のシニア・ダンサーが奉納した時の舞台写真です。
「ボーシャンボー・・・・」の歌いだしで始まるシヴァ神へのキールタナム(賛歌)の一こまで、軽快なフットワークが次々と繰り出される中、写真は心を込めた静かな祈りの極まりに近づき、シヴァ神のパワー、不滅・不可侵のエネルギーが炎となって立ち上がってくるところです。
私にとっての新曲を短期間で仕上げ、舞台に出るようグル(師匠)からチャンスを頂きましたが、この写真のあたりの表現は苦労した部分でもあります。本番二日前になってようやく薄紙をはぐように少しづつ意味が心に落ち始めたものの、まだ違和感を残したまま、前日リハーサルが終了。当日の朝、誰もいない時間を見て、クラスに早い目に入り、一人でもう一度復習をしたのでしたが、何度目かに繰り返したとき、心のもやが晴れていくのを感じ、「後はこころをこめて本番で・・・!」と、程よくぬれたサリーを着替えたことが、思い出される。
グルはそんな私を知ってか知らずか、舞台上で私を紹介してくださるとき、「日本からのダンサー、ダヤはとても勤勉で、世間でよく日本人はハードワークをしているというが、ダヤの場合は24時間体制のW(ダブル)日本人である!」であった。
満員の会場は大爆笑・・・。
私は、幸せいっぱいで「ナ・マ・ス・テ」するのみ。
大好きなビナーヤカ寺院で、また踊らせて頂くことができた。
またひとつ、私を育ててくれるすばらしい曲目に出合えた。
もっともっと踊りこんで、日本のお客様に見ていただきたい、感じていただきたい。
そんな思いを胸に、一足先に会場から帰ってしまわれたお母さんの、おいしい手作り夕食が待っている家へと、寺院を後にしたのでした。
「すばらしい舞台だったよ」と、あつい抱擁をして下さったお母さんは、
「良いこと尽くめでは、かえって不安だから」といって、ターリー(金属のお盆)に火をたいて、その火を私の体の周りで何度となく回し、上下して、お清めをしてくださった。
~心からやさしい人なのだなあ~、私の心がつぶやく!
思い入れの強い舞台の日はいつもそうであるように、この夜もなかなか寝付かれず、部屋の中をうろうろしている。お借りした衣装、ジュエリーを丁寧に解き、片付けているときも、私の周りではひとつの歌が聞こえる・・・、
「ボー、シャンボー、シヴァ・シャンボー、ソワヤンボー・・・・」、
この歌が一晩中私の周りでうずまいていた。
「ボーシャンボー・・・・」の歌いだしで始まるシヴァ神へのキールタナム(賛歌)の一こまで、軽快なフットワークが次々と繰り出される中、写真は心を込めた静かな祈りの極まりに近づき、シヴァ神のパワー、不滅・不可侵のエネルギーが炎となって立ち上がってくるところです。
私にとっての新曲を短期間で仕上げ、舞台に出るようグル(師匠)からチャンスを頂きましたが、この写真のあたりの表現は苦労した部分でもあります。本番二日前になってようやく薄紙をはぐように少しづつ意味が心に落ち始めたものの、まだ違和感を残したまま、前日リハーサルが終了。当日の朝、誰もいない時間を見て、クラスに早い目に入り、一人でもう一度復習をしたのでしたが、何度目かに繰り返したとき、心のもやが晴れていくのを感じ、「後はこころをこめて本番で・・・!」と、程よくぬれたサリーを着替えたことが、思い出される。
グルはそんな私を知ってか知らずか、舞台上で私を紹介してくださるとき、「日本からのダンサー、ダヤはとても勤勉で、世間でよく日本人はハードワークをしているというが、ダヤの場合は24時間体制のW(ダブル)日本人である!」であった。
満員の会場は大爆笑・・・。
私は、幸せいっぱいで「ナ・マ・ス・テ」するのみ。
大好きなビナーヤカ寺院で、また踊らせて頂くことができた。
またひとつ、私を育ててくれるすばらしい曲目に出合えた。
もっともっと踊りこんで、日本のお客様に見ていただきたい、感じていただきたい。
そんな思いを胸に、一足先に会場から帰ってしまわれたお母さんの、おいしい手作り夕食が待っている家へと、寺院を後にしたのでした。
「すばらしい舞台だったよ」と、あつい抱擁をして下さったお母さんは、
「良いこと尽くめでは、かえって不安だから」といって、ターリー(金属のお盆)に火をたいて、その火を私の体の周りで何度となく回し、上下して、お清めをしてくださった。
~心からやさしい人なのだなあ~、私の心がつぶやく!
思い入れの強い舞台の日はいつもそうであるように、この夜もなかなか寝付かれず、部屋の中をうろうろしている。お借りした衣装、ジュエリーを丁寧に解き、片付けているときも、私の周りではひとつの歌が聞こえる・・・、
「ボー、シャンボー、シヴァ・シャンボー、ソワヤンボー・・・・」、
この歌が一晩中私の周りでうずまいていた。