音楽を聞く側からすると、とことんジャンルなんてどうでもよくて、良いものは良い、という物差ししか持ってない、もしくはそれだけで判断しようと心を傾けている。
ただ作り手としての自分だとどうだろう。
世界の、特に同じ国である日本のいろんなミュージシャンのつくる音楽で、こんなことやってるのか、こんなんもやりたいなーといろいろ思うのだが、自分のなかに入っていない音楽は、なかなか納得のいく形で作るのは難しい。
そういう意味で自分のルーツというのは、結構根深い問題だなあと思う。
それが個性といえばそれで終わりだが、例えばおれはブリティッシュフォークはっぽいものしかやらないぜ!
という姿勢よりは、
おれが曲作るとブリティッシュフォークっぽくなるけど、でも今回はヒップホップっぽいビートでやってみたいねん、
と思って作った音楽の方がたぶんおもしろいだろうし、その姿勢をずっと持っておきたいと思う。
結果、似非◯◯と言われるなら、それが本望。
自分にない音楽と格闘するのが正義だと思う。
その代償として、自分は常にどっか阿保でないといけないし、最近バンドマンのなかでも結果阿保な部類なのかもしれない、という懸念が芽生えてきた。
2016年が終わることなんて、なんにも怖くないぜ
ただ作り手としての自分だとどうだろう。
世界の、特に同じ国である日本のいろんなミュージシャンのつくる音楽で、こんなことやってるのか、こんなんもやりたいなーといろいろ思うのだが、自分のなかに入っていない音楽は、なかなか納得のいく形で作るのは難しい。
そういう意味で自分のルーツというのは、結構根深い問題だなあと思う。
それが個性といえばそれで終わりだが、例えばおれはブリティッシュフォークはっぽいものしかやらないぜ!
という姿勢よりは、
おれが曲作るとブリティッシュフォークっぽくなるけど、でも今回はヒップホップっぽいビートでやってみたいねん、
と思って作った音楽の方がたぶんおもしろいだろうし、その姿勢をずっと持っておきたいと思う。
結果、似非◯◯と言われるなら、それが本望。
自分にない音楽と格闘するのが正義だと思う。
その代償として、自分は常にどっか阿保でないといけないし、最近バンドマンのなかでも結果阿保な部類なのかもしれない、という懸念が芽生えてきた。
2016年が終わることなんて、なんにも怖くないぜ