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【霊告日記】第四十回  脱亜論批判序説    履物と傘の物語

2015年04月03日 10時00分00秒 | ナイーブな人たち

【霊告日記】第四十回    脱亜論批判序説   履物と傘の物語

私が昨年の5月1日より『来たるべきアジア主義』という著作をWEBで公開したそもそもの動機は、福沢諭吉の「脱亜論」に対する全面的な反論をいまこそ行わなければ、今後の日本は危うい。某安倍のような歴史認識が乏しい下等人類にこの日本をまかせてはおけないという強い危機感があったからなのです。

私はWEBで公開する著作のタイトルとして「来たるべきアジア主義」を採用したのですが、ここですぐに想起されるのは福沢諭吉の「脱亜論」という論文でしょう。この福沢の「脱亜論」は恐るべき先見性を持った著作であって、この論文に対して真っ向勝負を賭け、完膚無きまでに叩きのめす必要がありはしないか。 いま私が痛切に感じているのはそのことです。

福沢の「脱亜論」といっても、橋川文三に学んだ我々には基本常識に属する事柄ですけれども、その名のみ有名でもほとんど知られていなかった。竹内好が記念碑な労作「日本のアジア主義」(=筑摩書房刊『アジア主義』所収。旧題「アジア主義の展望」)に
全文引用してから、その内容が初めて知識人やジャーナリズムの世界でも知られるようになった。こういう経緯があります。

ネットは、こういうことにも便利な世界でして、福沢の「脱亜論」を現代語に翻訳して速読で聴くことすら可能になっています。私が何に挑戦して『来たるべきアジア主義』という著作を世に問おうとしているか。そのことを明確にするためにも、福沢の「脱亜論」をもう一度振り返ろうではありませんか。

福沢諭吉の「脱亜論」は明治18年3月16日、時事新報に掲載された論説であり、その根幹をなす主張はかくの如きものでありました。 

「今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろ、其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ」(福沢諭吉「脱亜論」) 

近代国家としての日本は隣邦中国・朝鮮に対して福沢が主張した通りのことを実行した。すなわち爾後の大日本帝国は、欧米の帝国主義政策に倣って中国を侵略し、欧米の植民地政策を見習って朝鮮を併合したのである。そして現下の日本が清算を求められているのは、この福沢諭吉の抱いた「脱亜論」の主張の完全な清算であり、「脱亜論」の言説に内在する野蛮性・非文明性からの完全な脱却である。

繰り返しになりますが、某安倍のような歴史認識が乏しい下等人類にこの日本をまかせてはおけないという根本認識から、私は『来たるべきアジア主義』を書きました。

     『来たるべきアジア主義』目次と本文へのリンク 

リンク先の 「●●● 西郷隆盛の霊告 ●●●」 をご覧頂きたい。

 】霊告【 日本を罵る中国人は醜い。中国を罵る日本人も同程度に醜い。隣国を非難して止まないこうした下等人類は日中双方に同程度の比率で存在する。かつその比率は年々増加している。アジアの道徳的堕落が進行しているのだ。だが絶望するには及ばない。日本に中国にそして南北の朝鮮にアジア主義は生き続けている。 西郷隆盛

西郷隆盛が「下等人類」と呼ぶべきと指示した巨魁が現下の日本の首相である安倍晋三である。そう私は認識しています。

そしてこの西郷隆盛こそが、彼の思想を継承した北一輝と共に、日本人が抱くべき理念=理想を現代に担保する偉大な先人である。西郷の掲げた「敬天愛人」の理念こそ、アジア主義を貫く偉大な思想的内実である。西郷のアジア主義は、福沢の脱亜の便宜主義と、真っ向対立する思想である。

私は、福沢ではなく、西郷こそ、今後の日本人が依って立つべき先人であると考えています。 だからこそ、『来たるべきアジア主義』を公開するにあたって、西郷の思想を【霊告】という形で置いた。今後の日本と日本人が進むべき方向性を暗示したのでした。 

   ※関連記事⇒ 平成版三粋人経綸問答「脱亜論はどうすんだよ!」

★隣国とはどのように付き合うのがいいのだろうか? 日韓両国民必聴の歌(^^♪


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