祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

拝師の意味

2014-11-22 19:28:22 | 歴史・文化・芸術・人物
門に入る 投稿者:うさぎメール 投稿日:2013年 7月 2日(火)22時22分9秒 返信・引用


拝師式の時に、王師父のが必ず言われる表現の一つに、家族の契りを交わしたということはもちろんなのですが、「弟子が上達しなければ、それは、師匠である自分の責任だ。弟子が学生に教える時に間違ったことを教えることは、師匠の恥でもある。」という言葉です。
拝師をした者が教える時、それは、戴家拳を背負って教えているということです。私が新しいものを創作して教えたのであれば、それは戴家の心意拳ではなくなる。同時に戴氏心意拳を教えているという看板をあげているのであれば、それは、師に対して恥をかかせている行為なのだと思います。私が拳譜の表現や陰陽五行にこだわるのは、師父が私に教えた内容だからです。拳譜や陰陽五行の表現で師父は私に、戴氏心意拳を教えた。だから、私も人に戴氏心意拳を教える時、それらの表現にこだわって教えています。現代科学ではこうだとか、日本の武道ではどうだという自分の狭い解釈はなるべくいれないように努力しています。
拝師をした時に、正式に入門を許可されるし、その後弟子をとっても良いことになる。それ以前に教えるのは愛好家の会、サークル的な活動ということになるわけです。
拝師をしたものは、謙虚に学び続けることによって豊かな人徳を持ち、高い功夫と教養を持つと同時に、教える際には、自分を無にし、全身全霊を打ち込み、正しい戴家の心意拳を教えていかなければならない責任をおっていると感じている。
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