祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

弓歩の発見

2013-05-21 21:36:08 | 歴史・文化・芸術・人物

弓歩の発見3

  投稿日:2008年11月20日(木)15時03分36秒

返信・引用

 

 

地面から踵を離さないというのは重要なのですが、早く動こうとすると雑になってしまうことがおおいですし、腰との関連、けいをつないでいくためには腰を緩め沈める必要があるので余計に踵がうきやすく、脚にけいがうまれにくいですよね

 

 


Re:「弓歩」の発見2

  投稿者:  投稿日:2008年11月17日(月)22時52分3秒

返信・引用

 

 

「勁は踵から生じ、腰を軸と成し、梢に伝える」
おぉ~、何だか同じみたいです(^^)

動きの中で、よく「足裏を畳から離すな」とか「特に踵を浮かせるな」とか「踵から力が生まれる」とか言われます(^^;)
もちろんリキんでいたらダメで、「膝の力を抜くんだ」とか「大腿四頭筋」を使うなとか…

確かに、このあたりの議論をするのは楽しそうですね♪
ただ、僕はまだ出来ていないので、合気道の先生の受け売りでしか話せないのが残念なところです(>_<)

大阪講習会、来年あたりに参加出来そうなんですが…(行けるといいなぁ~)


昔、知り合いが「中国武術の凄いところは、達人を育てるシステムが出来上がっているところ」と言っていたのを思い出しました。

 

 


「弓歩」の発見2

   投稿日:2008年11月17日(月)10時56分4秒

返信・引用

 

 

高さん
こちらこそお久しぶりです。「足から気を生み、身体を通して相手に渡す」というのは、勁は踵から生じ、腰を軸と成し、梢に伝える」といったのと同じようなことに思えますね。そこのところは合気道でも中国武術でも共通するところだと思います。八極などは、弓歩などが割合少なく、異なる原理で勁を発していくので、そこの部分は八極では見えにくいところかもしれません。合気道は、弓歩系の武術と相通じるところが多いかもしれませんね。
ここらあたりのところは、議論するととても楽しいところだと思います。もちろん実技を通して行なえれば最高なのです。(大阪講習会も数ヶ月に一回はまた実施していく予定ですので、よろしかったらいつかご参加下さい。
お仲間がいらっしゃれば、そちらの方に伺うことも可能です。)
 「弓歩の発見」はできれば、詳しく書いていきたいところです。まず、ここで言っている「弓歩の発見」は私が弓歩でこんなことを発見したという意味ではなく、武術史の中で『弓歩というものが発見された」という歴史のパラダイムについてなのです。
 武術史の中で「太極拳」「八極拳」「心意拳」などと門派が出来上がっていく背景には、先ず敵と味方という大前提があり、その中で武術教授システムが生まれていく。個人的な豪傑であれば、様々な時代に戦いさえあれば生まれてくる。しかし、全体的なレベルを上げていくことや達人を再生産していくためのシステムとして武術体系が作られ門派が発生してきたと考えるのが妥当だと思います。
 その達人の再生産のための教授システムのなかで、中国武術が見つけた鍛錬方法が、例えば「たんとう
」「弓歩」(戴氏では虎歩)・・・といった独特の鍛錬方法だったのだと思います。
一旦中断。

 

 


Re:「弓歩」の発見

  投稿者:  投稿日:2008年11月16日(日)22時26分59秒

返信・引用

 

 

お久しぶりです(^^;)

現在、ご縁があって地元で合気道を稽古しているんですが、その先生が同じことを言っていました。
「足から気を生み、身体を通して相手に渡す」
なので、どんなに練習しても、足が出来ていないと技は向上しないそうです。
(まぁ、足が出来ていれば良いのか? という事ではないのですが…)

今、自分が課題にしている内容でもあり、xin-yi先生の書き込みがタイムリーだったので、思わずレスしてしまいました( ̄▽ ̄;)

 

 


「弓歩」の発見

  投稿日:2008年11月15日(土)22時41分8秒

返信・引用

 

 

中国武術が,「弓歩」を練拳システムの中に取り入れていったのはどうしてだろうか?
「弓歩」は中国武術の中に一般的に存在するが、日本の打撃系武道をやっている人や競技武術をやっている人から見るとフットワークに欠け、実践性に乏しいと見られるのではないだろうか。もしかすると素人であっても弓歩は窮屈に感じられるのではないだろうか?
 練拳して行けば、幅の広い「弓歩」は活歩としても可能だが、「弓歩」の役割は、勁を生み出す脚を作っていくためのステップだろう。簡単に即効的に打拳を行なうのであれば、「弓歩」の練習などを行なう必要などない。「弓歩」の役割は、勁を生み出す脚を作っていく等というと、では脚の筋肉を鍛えればよい。と短絡的に考えるのではない。『練武先ず腿力を求む」というような言葉もあるように、腿力は必要だ。しかし、勁というように、全身との協調から生み出されていくところに『弓歩」の意義がある。実は私は、弓歩という歩型からではなく戴氏の虎歩という
動作からこのことに気づかされた。腿で勁力を作り、全身を協調させていくこと、またそれを鍛えていくこと、これらは中国武術が発見した大きな功績だと思う。

 

 


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