戴氏心意拳には、「見えない動き」を作っていく体系があります。 例えば、「看斜却是正、看正却是斜」もその一つです。 「斜めと見れば、実は正面であり、正面と見れば、実は斜めである」と訳せるだろう。その後には、「見える物であれば使えないのだ」とも言っている。 かっこいいですよね。もちろん、見えないといっても、消えてなくなるわけでもないし、どろんぱと透明になるわけでもない。 とらえどころがないとか、いつ始まっていつ終わっているのか分からないとか、気づいたら終わってるとか言うことです。 他にも起落だとか三節だとかいろんな所にこの見えない動きを習得していく理論があり、詳しくは別に説明していきますが、この正と斜についても、はじめは丁寧に正面と斜めを習得していくしかない。見えない動きにして行くには、熟練が必要だし、一つの動きにも斜めと正が複雑に絡み合う。追求すれば追求するほどおもしろい武術だと思う。
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