最期の祭り!

 もう、未来無いんでヤケクソ。 最期の祭り的なノリで行きます!

 俺の若い頃の精神背景    友人達

2012-03-12 09:30:24 | 想い出シリーズ


 俺、中高の頃の友人達で 既に 死ぬ話をしているような奴等が居た。
 
 人生これから、いい事起こる って頃に既に 老後や死の話をしている。


 海で溺死しそうになった話、土佐衛門を見かけた話、飛び降り自殺した現場を見た話・・・

 死ぬ話ばかりしている奴が居た。 人生の明るい面は全く気に留めず、暗黒面ばかり見る奴だった・・・



 俺の人生の初期に 精神に暗い陰を植えつけた人だった。

 俺が ニヒリズムになっていったのも、この人の影響だと思う。

 俺は高校3年で「 もう、なにやっても意味が無い。 無駄だ。 」という虚無主義に陥ったまま 既に20年以上経つ。


 原発災害や世界の実情を知るにつれて、ああ! やっぱり何やっても無駄だったんだ! と再確認した。



 ある友人は「 人生ってのはさ、若い頃からやりたい事やりまくって、周りに世話かけまくって早死にしちゃうってのが、一番いいのよ。 」と言っていた。



 高校の友人はとても冷めた奴が多かった。 俺が熱くなって 世の中や人生の事を語ろうとしても「 世の中や人生なんてそんなもんだ・・・ 」っていう奴等が多かった。


 大学に入学したばかりの頃、ベンチで経営学科の人が話しかけてきた。

 そして 高等数学とかの話をしてたら「 まあ、そういう難しい事はコンピューターに任せちゃえばいいんだよ。 」なんて言ってた。


 俺の精神状態ってのはこういった友人達の言葉に影響を受けている・・・





 

 50代半ばのベルギーのギタリスト

2012-03-12 09:28:39 |  ポエム


――― 50代半ばのベルギーのギタリスト ―――


 ゲストハウスでベルギーの中高年の男性と少し話す

 90年代のスティーヴ・ヴァイの曲を聴いている

 一人で熱くなっている

 あんな歳で

 どう見ても50半ば

 しかもとてもハートがある

 友好的で現地人と握手している

 あんなカッコいいハートある中高年に憧れる


 普通だったらもう腐りきっている年頃だ

 客家の劉サンなんてもう心身共に腐りきって異臭を放っている  

 あんな中高年にはなりたかないね





――― Sonkraan ―――


 二年連続の水掛け祭り
 I happened to experience the dashing water Festival two years continuation


  街角の店に大きめのスピーカーにタイポップスが流れる
 At street corner's shop, they cast Thai pops using bigger speaker


 通り過ぎるトラックのバックに乗る戦士達の様はさながら装甲車
 A figure of soldiers riding backyard of a passing truck is just like armored car


 軍団はすでにビチョ濡れ
 Army corps already get wet through their clothes


 ストリートが街並みを鏡のように映し出す
 A street is projecting row of houses along a city street like a mirror


 道端には南国のスイカやメロンやマンゴーなどが並び、腐ったような匂いが鼻をつく
  A watermelon,a melon, mangos or some of southern country form a line on the roadside, and a smell of rotten fruits assails a nose


  道を通り過ぎるオートバイに乗る支那風の女性
 A woman something like Chinese riding a motorcycle is passing a street


  水に濡れているせいか普段より美しさが目だつ
 Beauty is outstanding from usual times, maybe it is because they get wet with water


  水の攻撃を水ではねかえす
 They bounce attack of water with water


 道端のダンスは両手を広げ腰をくねらせる様なダンス
 The dances of readside people is as such. They widens both hands, and wiggle a waist


  足もばたつかせる
 Foots are also flutter


 この街の主人公は誰?
 Who is the chief character of this town?



 


 


 







 自殺するより馬鹿やり続けてりゃいい・・・

2012-03-12 09:27:50 | 創作生活


 最近、本を読んでいて面白いなと感じた事。

 丘永漢氏の本にこんな事が書かれてあった。

 「 老人になると過去の経験から失敗の因果関係が分かってきて、失敗にこりてやらなくなってしまう人が多い。  だが、私は老人になってもまだこりずにやり続けている。 」

 
 宇野千代女史の本にはこんな事が書かれてあった。

 「 馬鹿をやってみればいい。  馬鹿をやって他の人に笑われたって、馬鹿やった者勝ちだと思えばいい。 」

 「 失敗したってそれを乗り越えられれば、以前より強くなれる。 」



 > 老人の御言葉は経験と実感が詰まっていて説得力がある。


 
 「 完全自殺マニュアル 」のアマゾンのコメントにも、こんな事が書かれていた。

 「 俺もこの本を読んで自殺しようかなと思ったけど、自殺する位なら馬鹿100万回やってりゃいいと思った。 」



 > これこそ、人生の極意だと感じた。

 俺自身、若い頃からいざとなったら死んでしまう覚悟で馬鹿をやり続けてきた。 

 周りの人から狂っているだとか罵声を浴びせられ続けてきた。

 実際に死んじゃおうかなと思いながら生活してた時期もあった。

 だが、そうしながら既に20年生き続けてきている。

 今、俺は理想的な生活をしている。  誰からどう言われようが


 皆、頭よくなろうとしてカッコつけなきゃならないという強迫観念から、そうなれない自分を自己嫌悪して自殺してしまうんじゃないかな・・・




 後、ある本にはこう書いてあった。

 「 色々な心こそ、ほんとの心。 」


 > この言葉も深い含蓄がある。 

 人間色々矛盾した考え・感情が渾然一体となっている。  

 だが、そうした矛盾をも全て含みこんだ心こそまさに自分の真実の心であるという・・・





 勤労卑屈 は 終生之福

2012-03-12 09:27:26 | 経済

 俺の好きな道理学の至言で「 勤労卑屈 為 終生之福 」という言葉がある。

 他人から馬鹿にされながらも、勤勉に勤しむ事は、生涯の福である という意味。

 
 世の中や他人の価値観や面子や見栄や世間体などを気にしないで、勉学や仕事に勤しんでいれば生涯の福となる。





 和歌

2012-03-12 09:26:36 |  ポエム



     

●雨が降り  乾きかけてる  農村の  
   藁の匂いを  深く吸い込む



    
●  亜細亜での  民家の路地と 
 市場とが  俺の人生  原動力なり



    
●  亜細亜での  マサラ・スパイス 
 漢方の  香りが俺の  活力源なり









 結局、自分自身の問題

2012-03-12 09:25:26 | 創作生活


 以前、世界を旅するパッカーや、サイババ・アシュラムで研究修行していた人達と対話していたんだけど、多くの人はこう言う。

 「 結局は自分自身の問題になってくる・・・ 」


 本当にそう。 

 世界を廻っても、アシュラムで研究して修行したとしても、結局は自分自身にフィードバックできなければ意味は薄い。


 人間、結局は孤独とどう向き合うかなのである。

 亜細亜の民間伝承

2012-03-12 09:24:44 | 考古学


 ワット・プラ・タートゥ・パー・ンガォ(タイ語の意味は  聖なる岩陰の寺)  の伝承

 
 タイ北部  チェンセーンから歩いて40分程の所にある丘にあるお寺。

 

 ワット・プラ・タートゥ・パー・ンガォは、かつてワット・ソブカムと呼ばれメコン河の岸に位置していました。が、堤防が決壊し、寺院は崩壊してしまったので、管理人達は近くの丘に寺院を移さねばなりませんでした。

 1976年2月に管理人達は丘の森を整備し始めました。その土地は長い間閉ざされたままで「タム・パー・ンガォ」と呼ばれた洞穴でした。その地は密林となっていて、古代遺跡の瓦礫に満ちていました。

 ある大きな遺跡には20フィートの幅のある仏像の半身がありました。管理人達は本来の状態に戻す為、改修する事にしました。1976年2月28日、管理人の一人、チャンタ・プロンマは、寝ている時に夢の中に黒くて高い僧が現れ、仏像の半身を持ち上げる前に8人の僧を招き、儀式を行い、祭典の為に祈れば、中に奇跡的な事物を見出すであろうとおっしゃられました。

 次の日の朝1976年3月1日に、チャンタ・プロンマは全ての寺院管理人に、自分の夢を詳細に話し、そこでその話に従い儀式を遂行しました。森は株や根っこや石に覆われ整備するのが大変でした。
1976年3月17日の午後2時土地を整備した後、大きな株の根元に小さな煉瓦造りの壁を見つけた時、全ての管理人達は喜びました。

 壁が壊れた時、素晴らしい仏像が現れたのです。建築学者は700年~1300年前のものであると推測しています。
 管理人達はこの仏像を「ルアン・ポー・パー・ンガォ」と呼び、寺院の名を今の「ワット・プラ・タートゥ・パー・ンガォ」と変えました。



> 似たような伝承にカンボジア・プノンペンのワット・プノムにある。

 丘からある日、仏像が見つかったという・・・






 カンボジア・パイリンのワット・プノムヤートの謎

2012-03-12 09:24:14 | 考古学


           
                            プノム・ヤート


 タイとの国境近くにあるパイリンという所にプノム・ヤートという丘がある。
  
 その丘にはワット・プノムヤートという寺院があるそうな。

 だが、その様式はどう見てもカンボジアの様式ではない


 タイでも無い。    近隣の他の寺院の様式と著しく違う。


 何故だろう?   どこから飛来してきたのだろうか?



 そう疑問に思いながら、東南亜細亜学の文献を調べている時に似ている様式を見つけた



 西双版那のタイ族様式     これは似ている!



 パイリンにはビルマから来たという クラー と呼ばれる種族がいて、宝石を加工する職人として生計を立てているという事が分かった。  

 ひょっとすると彼等がデザインしたという可能性がある。
 西双版那とビルマはメコン川を挟んだ隣にあるからだ。


 だが、彼等はどういう経路を通って、どういう事情があってこんな地域にまでやってきたのだろうか?    

 メコン川を下ってきたにしてはかなりの距離がある。



 余談ではあるが、プノム・ヤートには地雷が未だに沢山残されているという。 2011にも、プノンペンで欧米人の地雷負傷者を見かけた。

 僻地にある遺跡の森の方まで見学したのか?

 丘や山間部にも沢山埋まっているという。


 ベトナム・カンボジアを旅される方々は細心のご注意を!






prototype(原型)     元々中国の少数民族の一つで建築もその様式の一つ



 以下は全てこれらの原型のバリエーション及び原地様式・インド様式との混合だと思われる。

 原地様式というのはプレ・インディア( インド文明あるは外来の要素が到来する以前にあった原地本来の様式 )の様式。




  ミャンマー様式     

 この段々状の建築はアンコール・ワットにまで受け継がれている




wat sisaket   ラオス



   カンボジア


  北部タイ






 現在住んでいる近代住宅にもこれらの伝統建築様式の影響・名残が見られる。