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不惑フッカーのよもやま日記

不惑を過ぎてまだラグビーで熱いスクラムを組みたい男の、それでもヘナチョコな日記です。

これが復興大臣の発言か

2017-04-25 22:31:15 | 震災
ただ悲しい。


4月の25日に復興大臣である今村議員が自民党二階派の
パーティーで以下の通りの発言をしたとのこと。


 「(東日本大震災は)死者が1万5893、行方不明者
2585、計1万8478人。この方が一瞬にして命を
失ったわけで。社会資本の毀損(きそん)も、色んな勘定の
仕方があるが、25兆円という数字もある。

これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。

これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)
なですね、甚大な被害があったと思う」


 さらに講演後に記者団の質問に答えたそうで。


 ――講演でこの前の地震が東北で良かったと。

 「これは東北でも、あんなひどい、25兆円も毀損する
ような災害だった。ましてや首都圏に近い方だったら、
もっと、とんでもない災害になっているだろうという意味で言った」

 ――あっちの方で良かったという点が東北で良かったと
受け取られないか。

 「決して、そんなことはない。東北でもあんなにひどかった。
ましてや首都圏に近かったらもっとひどいことになった。
だから防災なり何なり対応しなきゃいけないという意味だ」

 ――被災地から言葉を捉えて声が出るのでは。

 「決してそんなことはない。数字も言った。二度とないよう、
とにかく防災対策をやらなきゃいけない。ましてや首都圏(であれば)、
ひどいことになっただろうと。大変な災害だと分かっている」



・・・


私はこの発言について以下の通り考えます。

1つに大都市ありきで地方が切り捨てられるということ。
なるほど、大勢の方に被害が及ぶ恐れがあるという意味では
大都市の防災対策をするという論理にはうなずけるものも
あります。が、被害の大小の問題ではないでしょう。
防災という意味において各地域毎に対策を立てる必要が
あってしかるべしで、大都市だけが何より優先
(東北で、あっちのほうはどうでもいい)という
姿勢は解せない。

2つめに、これが復興を担当する大臣のセリフか!
との思いです。傷ついた方々に寄り添い、生活の基盤を
共に考え実行するのが大臣の役目ではないのでしょうか?
単に予算をテキトーにばらまくのが役目なのでしょうか?
全く当事者の気持ちを理解することなく、ただ大臣の
ポストにいるのが不愉快です。

いずれにしろ、結局は他人事なんでしょうね。
自分の地域に痛みがないのならばどうでもいい
のでしょうから。余りにも想像力がなさすぎますよね。
こんなんでは、福島の風評被害やいじめ被害に対しても
何の対策も出来ないのは分かり切ったことですね。



このブログでは、出来るだけ政治に関しては記述を
控えるようにしてきました。それは自分の拙い考えで
一生懸命活動している皆さんに失礼があってはいけない
という想いです。

今回は自分の原則を曲げて記述しました。
こんなに悲しいのも久しぶりです…
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平成28年熊本地震

2016-04-17 08:08:08 | 震災
4月14日に発生した熊本県を中心とした大地震は
2度3度と続く余震と、4月16日未明の大きな地震
により甚大な被害が発生しています。

心よりお見舞い申し上げます。

特に住宅が倒壊している地域でいまだ行方不明の方も
いると聞きます。一刻も早く救出されるようお祈り
申し上げます。

いまは報道を見守るだけしかできませんが、
関心を持って過ごしたいと思います。
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4回目の3/11

2015-03-11 14:46:00 | 震災
早いもので、あの忌まわしい震災から4年が経過しました。

テレビでもこの日だけは特番を組んで様々報道していますが、
関心が薄れてきているような気がなんとなくしますね。

私は毎年気仙沼にドライブする際には必ず足を運ぶところが
あります。気仙沼向洋高校跡地です。

今年も2月のタグラグビー大会の際に、同地に行ってみました。

以前はこの地へ先輩方やブルズメンバーをマイクロバスに
乗っけてラグビーをしに来たものです。あの時のマグロの
味は今でも忘れられません。

で、4年経つというのに未だ残念な光景です。

この高校跡地は震災遺構として検討されているようですが、
忘れないようにしたいものです。
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落選…

2013-03-11 23:36:48 | 震災
ソフトバンクが原発の代替発電施設について色々考えて
いるのは各種報道にて知れていることですが、私も
実は以下のプロジェクトに応募していました。

おうち発電プロジェクト

で、うまくすれば私の家にも太陽光発電がつくかなぁ~と
早速応募したのでした。

で、とりあえず受付->書類提出(図面とか)->発電量試算等の
書類受理・関係書類の提出->実地検査

とここまでうまく流れたのでした。

ところが

本日〒受けに届いた手紙をみると…

ソフトバンクの設置基準に満たないとのことで落選となって
しまいました。

う~ん、残念。

ただで付けてもらうという目論見が甘いのは重々分かっていますが
環境に少しでも役に立ちたいとの思いは、まだしばらく先の話に
なってしまいました。


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H24気仙沼の様子

2012-06-10 09:34:17 | 震災
先日訪問した気仙沼の様子です。
表紙をM屋さんが飾っています。

(どうもフォトの使い方が分からず試しに貼っています)



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気仙沼へ

2012-06-09 21:44:18 | 震災
6/9は第二土曜日。月に一度の会社お休みの日でした。

この休日を利用して気仙沼へ行ってきました。
そう、昨年の大震災後の訪問以来、1年2カ月ぶりの訪問です。

具体的に何しに行ったかと言うと、一年経った気仙沼の
現状を自分の目で見て見たいというのと、もうひとつ、
いつもお世話になっているM屋さんに軽自動車を一台
寄贈しに行ってきました。というのも以前CHO3との会話で、
「M屋さんが展開している復興協会というところでクルマが
足りない」という情報を聞いており、待て待て、私は自動車
整備業なんだから、クルマを何とかしたいなぁと考えていた
ところ、丁度いい感じの軽自動車が入庫したので、車検を2年
とった状態にして寄贈するべく今回の訪問となりました。

なお、昨年訪問時に泣いてしまった二の舞を避けるべく、今回は
一人で訪問してきました。

で、お昼にかけて鳴子を出発。
古川~佐沼~本吉~気仙沼のいつものルートで午後1時半に到着。

「気仙沼復興協会」

いつもの通り人懐っこい笑顔と共にM屋さんが出迎えてくれました。

無事にクルマを寄贈してその後M屋さんの熱い想いを伺い
又の再会を約束してその地を離れました。

その後はフリータイム。

何はともあれ鹿折地区の大火の後を見学に。

大半は更地になってましたがまだ被災そのものの姿を残したまま
の建物もあり、路上にはでっかい船がまだ残っている姿も
しっかりと目に焼き付けてきました。
(この辺は後日の記事にて写真を掲載します)

そのまま陸前高田へ。

途中、気仙沼~唐桑を通る「三陸道」予定のトンネルも通過し
(こういう瞬間が道路好きにはたまらない!!)隣町の
陸前高田へ。

ホントに自分の目で見てきたのですが、街の中心部がなにもかにも
流されてしまったのですね。

いつも行っていた「道の駅 高田松原」の悲しい姿をしっかりと
目に焼き付けてきました。

そこでクルマをUターンして(あ、ちなみに軽自動車を積むための
2t積載車にて走行してました)気仙沼を通過し一路南三陸町へ。

これもまた、報道だけでは分かり得ない、ライブ感。
ホントに酷い状況がいまだにあることを認識。被害のエグさという
意味では南三陸町の方が酷い感じでした。

まだまだ復興の道は険しく厳しいと再認識できる旅でした。

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洒落たミサンガ

2012-03-09 22:58:13 | 震災
3/9は金曜日。

私は仕事として宮城県内2ヵ所のオークション会場に加盟して
いるのですが、その一つの会場が開催されていたので出かけて
来ました。

そういえば昨年の大震災もこの会場内にて遭遇したんだっけ…

なんて思いながら受付へ。

とそのカウンターに小洒落たミサンガが。

見ると宮城県石巻市は雄勝地区のお母さん方が手作りされた
「マザー ミサンガ」。何でも漁具網を拵える糸で編みあげられた
一品で、本来切れることで願いが叶うとされるミサンガとは異なり、
頑丈で切れにくいことを絆になぞられて拵えたそうで、
カラフルなミサンガが沢山ありました。

早速私も、自分が大好きなオレンジ色のミサンガをゲット!

ミサンガという柄ではないのでクルマのカギに取り付けて見ました。

いいもんです。
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山元町へ

2012-01-14 23:30:32 | 震災
毎日更新するとした新年の誓いも2週間で挫折・・・
がんばります。

------------------

土曜の朝。とりあえず新年会の余韻が。しかし表を
見ればもずもずと雪が。一人会場を後にして除雪の
お手伝い。

午前中を除雪に費やした今日は本来はお休みの日。

となれば先日は石巻方面に行ったので、午後から
山元町まで現在の状況を見に行ってきました。
山元町と福島県新地町の境の磯浜港に学生時代に
よく和みに行っていた覚えもあり、現在の様子は
どんなものかいなと思いながらの訪問。

古川インターから高速に乗る。いや何せ高速で
山元町までいけるんですよね。道路網の整備は
素晴らしい(道好きとしては)

で山元インター~国道6号~海沿いの道へ。
昔懐かしい気もしていたのですが、なんだか殺風景。
それもそのはず、その道までしっかりと津波の
爪あとが残っていたのです。
しかも磯浜まで行く前に「津波のため通行止」の文字が。
海岸沿いを引き返すと、軒並み津波被害にあった家屋が
そこかしこに。瓦礫も片付けられてはいるけれど、
本当に気の毒な光景が。
帰路途中には南浜中央病院が。
以前訪問したときよりは片付いてはいるけど再開と
なるとまだまだ時間が必要なようです。

とにかく、石巻訪問の際も記述しましたがこの
惨状を忘れてはならないし、息の長い支援が
絶対に必要です。それを強く感じました。


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東松島へ

2012-01-11 23:03:35 | 震災
ところで先日1/9の午後から東松島へ行ってきました。

昨年お世話になったお客様への年始のご挨拶に行ったの
ですが、ならばということで石巻まで足を延ばしてきました。

まず東松島への道中、三陸道を通ったのですが(大和近くから
向かったもので)相変わらず混む。確かに4車線化をめざして
せっせと工事してますが、いかんせん2車線区間が長く、
頑張ってもらいたいところです。

東松島のお客さんへ

震災後(5月頃だったかな)に伺った時はご自宅も1m位床上浸水
した後で大変な状態でしたが今は平穏な生活の様子。
道路上の廃棄物も大分片づき何より。

そこから石巻へ足を延ばす。震災後は国道45号もガタガタ、
歩道も段差が激しかったのですが先日はしっかりと舗装工事
が行われ着々と復旧が。

で、石巻市街から女川方面へ。

国道398号を進むと、軒並み津波被害に遭った住宅街が。
この姿をしっかりと目に焼き付けてきました。
渡波のサンファンパークまで行った後は戻って牧山トンネル
から石巻専修大方面へ。そこには仮設住宅が数多く、
又傍らの空き地には廃車になった車両がうず高く
積み重なってました。

このシーンを見るにつけ息の長い支援が絶対必要と
改めて思うのでした。
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あぁ松本復興対策担当相…

2011-07-05 23:21:35 | 震災
松本復興対策担当相が就任後9日目で辞任しました。

何たることだ!!



ところで何が問題だったのか、振り返ってみたいと思います。

・知恵を出さないやつは助けない 発言
大臣は岩手県知事に対して

「今度は知恵出したところは助けますから。知恵出さないところは
助けない。それくらいの気持ちを持って。あれが欲しい、これが
欲しいは駄目だぞ」

と言ったようですね。決して被災地の住民に対して「知恵を
出さないところは助けない!!」と断言した訳ではない。
それをマスコミの歪めた報道で誤った伝わり方をしたのではないでしょうか?


・県でコンセンサスを得ろよ!(と高圧的)
大臣は宮城県知事に対して
「水産関係で3分の1から5分の1集約すると言っているけど、県で
コンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれ何もしないぞ。ちゃんと
やれ」
と言ったようです。村井宮城県知事の提案する「水産業復興特区」案に
対して県漁連が大分厳しい反対意見を述べているようです。私は漁業は
全く分からないけれども、知事と漁業の当事者がモメテいる状況を案じて
キチンとコンセンサスを得るべきだという意見であり、極めて真っ当な
意見と感じますが。


・応接室で待たされて激高したことについて
「お客さんが来る時は自分が入ってから呼べ」と激高したようです。
でも至極もっともだと思いませんか?これは私の推測ですが、村井知事は
松本大臣を軽くあしらおうとしたフシがありますね。事実7/5の河北新報で
「今後は『松本大臣バージョン』の特に気を配った接遇を心がけて行きたい。
他の公務よりもそちらを優先したいと思う」と語っています。
つまり、他の公務の方が復興相に会うことよりも大切だと言っています。
ここで問題にしたいのは、復興相に会うということは、県の悲惨な状況・
窮状を訴え、同時に国の無策をとことん議論する、又とない機会だと
思うのですが、知事が他の公務を優先させ、復興相との会談を軽んじて
いたのではないでしょうか?事実遅れて入室した際も笑ってましたしね。
その辺の心のスキを松本大臣は見逃さなかったのではないでしょうか?


・オフレコ発言
はっきり言って彼の精一杯のジョークと思いますが。
(おもしろいかどうかは別として)


この辺の発言に対して「高圧的」「中央集権的」と批判されて辞任に至ったと
考えられますが、言っている中身はそんなにはずしてはいないのではない
でしょうか?例えば、先月南三陸町で仮設住宅に入居当選した方が1か月も
入居しないというワガママもありました(何でも食事が出ないということで)
この件は「あれが欲しい、これが欲しい」の典型でしょう。



ここまでは松本前大臣を擁護する論調で記述してみました。
ある意味穿った見方をしてみました。

しかし、穿った見方をしても許せない発言もありました。
例えば一番最初の、自治体に対する「知恵を出さないやつは助けない」発言。
岩手県:大槌町の町長さんは津波によりお亡くなりになりました。
そのほかの沿岸各市町村も、貴重な人材である、市/町職員が多数お亡くなり、
庁舎・車両等の財産も軒並み壊滅的な被害を受けています。
知恵が出せない程壊滅的な被害なのです。それを理解していない。
実はここが一番理解してほしいところで、この理解がない大臣が何を
言おうと、我々被災者の感情をくみ取ることは難しいでしょう。


又例えば、東北の市町村がどこにあるか分からない旨の発言もありました。
例え今知らなくともそんなことを言う必要はない。被災地軽視と
言われても反論できないでしょう。

いろんな意見があるでしょうか、

一番頭に来たのは、7/3に放言した件の責任を取って7/5に辞めたこと。

おだづなよ。

あんな発言で辞任する位ならば最初から啖呵を切るんじゃねーよ!!
ホントに、自分の言葉に責任を持たない連中が多すぎる。

ま、村井さんもホトホトそんな思いをしたからこそのあの態度だったの
かな~と又穿って見てしまう今日この頃です…



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