懐良親王御陵に参拝した後は、200mほど南の場所にある「妙見中宮跡」に行ってみた。
(現地解説板)
八代市指定史跡 妙見中宮跡 (昭和40年5月18日指定)
妙見中宮跡は、永暦元(1160)年3月18日、二条天皇の勅願により肥後守平貞能朝臣が
妙見上宮の麓にあたるこの地に創建したと伝えられています。
貞能は、南北十町東西一里にわたって殺生狩猟を禁止し、四十町の土地を寄進しました。
文治2(1186)に下宮(現在の八代神社)が創建されるまでの27年間は、平家の全盛期
であり神仏混淆の宮寺が栄えた時代です。本地垂迹思想が広まる頃で当時の宮寺には
神宮寺・別当寺・本地堂・塔その他伽藍を配置し、祭祀には僧侶の修法、勧行などの作法
を加え神社が仏寺の様に変遷する時期でもありました。中宮が信仰の中心として栄えた時代は
短期間ですが、庶民信仰が高まり社前には定期の市が開かれ、門前町が構成されました。
江戸時代中期の妙見宮祭礼には下宮より中宮への神輿の行幸が行われ御幸所(御旅所)
として今日に至っています。
平成26年7月31日 八代市教育委員会
妙見中宮脇から湧き出る水は、熊本県平成の名水100選の一つに選ばれており、多くの人が水を汲みに訪れていた。
【文化財データ】
名称:熊本県八代市史跡「妙見中宮跡」
所在地:熊本県八代市妙見町2520
時代区分:鎌倉時代
形態:神社
駐車場:有(無料)
(現地解説板)
八代市指定史跡 妙見中宮跡 (昭和40年5月18日指定)
妙見中宮跡は、永暦元(1160)年3月18日、二条天皇の勅願により肥後守平貞能朝臣が
妙見上宮の麓にあたるこの地に創建したと伝えられています。
貞能は、南北十町東西一里にわたって殺生狩猟を禁止し、四十町の土地を寄進しました。
文治2(1186)に下宮(現在の八代神社)が創建されるまでの27年間は、平家の全盛期
であり神仏混淆の宮寺が栄えた時代です。本地垂迹思想が広まる頃で当時の宮寺には
神宮寺・別当寺・本地堂・塔その他伽藍を配置し、祭祀には僧侶の修法、勧行などの作法
を加え神社が仏寺の様に変遷する時期でもありました。中宮が信仰の中心として栄えた時代は
短期間ですが、庶民信仰が高まり社前には定期の市が開かれ、門前町が構成されました。
江戸時代中期の妙見宮祭礼には下宮より中宮への神輿の行幸が行われ御幸所(御旅所)
として今日に至っています。
平成26年7月31日 八代市教育委員会
妙見中宮脇から湧き出る水は、熊本県平成の名水100選の一つに選ばれており、多くの人が水を汲みに訪れていた。
【文化財データ】
名称:熊本県八代市史跡「妙見中宮跡」
所在地:熊本県八代市妙見町2520
時代区分:鎌倉時代
形態:神社
駐車場:有(無料)