だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

国指定特別史跡 西都原古墳群② (宮崎県西都市)

2022年10月30日 | 散策記
国指定特別史跡 西都原古墳群① からの続き

今回は宮崎県西都市にある国指定特別史跡「西都原(さいとばる)古墳群」に行ってみた。
西都原古墳群は、宮崎県中央部に位置する西都原台地に広がる、南北4.2km・東西2.6kmに及ぶ日本最大級の古墳群である。
3世紀末から7世紀にかけて築造された、陵墓参考地の男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳を含めた319基(前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基)
の古墳と、横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている。

100号墳を見学した後は、90号墳に行ってみた。
90号墳は、全長96mの柄鏡(えかがみ)式前方後円墳で、木花開邪姫(このはなのさくやひめ)の父である
大山祇命(おおやまつみのみこと)の墳墓と伝えられている。

 
90号墳(大山祇塚)は、西都原古墳群の中では男狭穂塚古墳、女狭穂塚古墳に次ぐ大きな古墳である。

(現地解説板)
  未調査 90号墳(大山祇塚) 4世紀
 90号墳は全長が96m、後円部径51m、同高さ7.1m、前方部幅31m、同高さ3.8mの柄鏡式前方後円墳で、
男狭穂(おさほ)塚・女狭穂(めさほ)塚に次いで大きな古墳ですが、調査されていません。
女狭穂塚が木花開邪姫の墓、90号墳は木花開邪姫の父である大山祇命の墓と伝えられています。


90号墳(大山祇塚)を見学した後は、日向神話ゆかりの伝承地である「石貫神社」と「無戸室(うつむろ)跡」に行ってみた。
石貫神社は、733年(天平5年)創建と伝えられる、大山祇命を祀っている神社である。
大山祇命が、娘の木花開邪姫命との結婚を求めた鬼に「一晩で岩屋を完成させれば娘を嫁にやる」と約束したが、
鬼が一晩で岩屋を完成してしまったため、完成した岩屋から石を1枚抜き取って投げて未完成を理由に結婚を断ったという
伝説の投げた石が落ちた場所が石貫神社の入口と伝えられている

「無戸室跡」は、夫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)から一夜の契で身ごもったことを疑われた妻の木花開邪姫が、
身の潔白を証明するため、戸の無い産殿に入り、炎の中で3人の皇子を無事出産したと伝えられる場所である。

 
大貫神社。以前は木々に囲まれていたようだ。          無戸室跡。

「石貫神社」と「無戸室(うつむろ)跡」を見学した後は、13号墳に行ってみた。
13号墳は4世紀中~後葉頃に築造された、墳長79.4 mの前方後円墳である。
1916(大正5)年の調査で、後円部に長さ8.1mの粘土槨が検出され、三角縁神獣鏡、翡翠製勾玉、
碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄剣、刀子、棺材と思われる木片等が出土した。

 
墳丘は築造当時の形に復元され、主体部は内部見学施設として整備・公開されている。

206号墳(鬼の窟古墳)は、東西径36.4m、南北径33.6 mの6世紀末葉~7世紀初頭に築造されたと考えられる
西都原古墳群内で唯一の横穴式石室を持つ円墳で、古墳群最後の首長墓と考えられている。
墳丘周囲には、二重の周堀とその間に高い外堤が存在する。
耳環、平玉、刀子、鉄鏃、金銅装馬具片、鉄釘、須恵器、土師器等が出土した。

 
鬼の窟古墳の周辺には多くのコスモスが咲いていた。    墳丘と石室は築造当時の形状に復元整備されて公開されている。

 
今回は西都原古墳群の中でも有名な古墳を巡ってみた。

帰路途中で「杉安ダム」と「一ノ瀬ダム」の写真を撮り、
西米良村にある「西米良温泉ゆたーと」に寄ってダムカードをもらった。

 
ダム湖周辺道路は所々で通行規制が行われていた。今年の9月に上陸した台風第14号で崩落など相当な被害があったようだ。

関東に住んでいたころから西都原古墳群には訪れてみたいと思っていたが、実際に訪れる事ができて感激した。

【文化財データ】
名称:特別史跡公園「西都原古墳群」
所在地:宮崎県西都市大字三宅西都原5670(管理事務所)
時代区分:古墳時代(3世紀末から7世紀)
形態:古墳群(特別史跡公園 西都原古墳群として整備済)

名称:西都原ガイダンスセンター このはな館
開館時間: 10:00~17:00 
休館日:月曜日 入館料:無料 駐車場:有(無料)

名称:宮崎県立 西都原考古博物館
開館時間: 9:30~17:30 休館日:月曜日 入館料:無料 駐車場:有(無料)
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