「田名向原遺跡」を散策した後は、平塚市にある国指定史跡「五領ヶ台貝塚」に行ってみた。
ナビで大体の場所を指定し、付近まで来ると遺跡の案内標識が出ていたので、安心して標識通りに進んでいくと、
住宅街の急な坂道をどんどん登って行った。私の車は無駄に大きい。
もうこれ以上は先に進めないほど道が細くなった所まで登っていくと、そこが「五領ヶ台公園」であった。

貝塚は「五領ヶ台公園」として保存されている。 解説板以外に遺跡の存在を示すものは何もない。
国指定史跡「五領ヶ台貝塚」は、大磯丘陵の最東端に張り出した舌状台地に所在している縄文時代中期の貝塚で、
縄文時代中期初頭の「五領ヶ台式土器」の標式遺跡として学史上著名である。
大正時代以来たびたび行なわれた発掘調査によって、貝塚の範囲があまり大きくないことや、
大地の東側と西側の暖斜面に2ヶ所の貝塚があることが明らかになっている。
また、この貝塚からは、土器や石器、骨角器などのほかに、数多くの貝類や魚骨をはじめ、
クジラやイルカなどの海獣類の骨も出土しており、漁労活動が盛んに行なわれていたことを知ることができる。
現在は近隣の子供達の遊び場程度の小さな公園という形で保存されている。

近隣の子供達の遊び場になっている小さな公園である。 公園からの眺め。当時は眼下に海が広がっていたのであろう。
先に訪れた「勝坂遺跡」や「田名向原遺跡」とは違い、解説板以外には、この地に遺跡が存在した形跡はうかがい知れないほど寂れている。
また、遺跡へ行くための道路は狭く、車で行くには覚悟が必要である。駐車場などもない。
平塚市は相模原市に比べて、文化財の保護にあまり熱心ではないのであろうか。
この遺跡からの出土品は平塚市博物館に展示されているようだが、今回は時間がなくなり断念した。
【史跡データ】
名称:国指定史跡「五領ヶ台貝塚」
所在地:神奈川県平塚市広川735-3ほか
時代区分:縄文時代中期(約5000年前)
形態:貝塚(五領ヶ台公園として保存されている。)
ナビで大体の場所を指定し、付近まで来ると遺跡の案内標識が出ていたので、安心して標識通りに進んでいくと、
住宅街の急な坂道をどんどん登って行った。私の車は無駄に大きい。
もうこれ以上は先に進めないほど道が細くなった所まで登っていくと、そこが「五領ヶ台公園」であった。


貝塚は「五領ヶ台公園」として保存されている。 解説板以外に遺跡の存在を示すものは何もない。
国指定史跡「五領ヶ台貝塚」は、大磯丘陵の最東端に張り出した舌状台地に所在している縄文時代中期の貝塚で、
縄文時代中期初頭の「五領ヶ台式土器」の標式遺跡として学史上著名である。
大正時代以来たびたび行なわれた発掘調査によって、貝塚の範囲があまり大きくないことや、
大地の東側と西側の暖斜面に2ヶ所の貝塚があることが明らかになっている。
また、この貝塚からは、土器や石器、骨角器などのほかに、数多くの貝類や魚骨をはじめ、
クジラやイルカなどの海獣類の骨も出土しており、漁労活動が盛んに行なわれていたことを知ることができる。
現在は近隣の子供達の遊び場程度の小さな公園という形で保存されている。


近隣の子供達の遊び場になっている小さな公園である。 公園からの眺め。当時は眼下に海が広がっていたのであろう。
先に訪れた「勝坂遺跡」や「田名向原遺跡」とは違い、解説板以外には、この地に遺跡が存在した形跡はうかがい知れないほど寂れている。
また、遺跡へ行くための道路は狭く、車で行くには覚悟が必要である。駐車場などもない。
平塚市は相模原市に比べて、文化財の保護にあまり熱心ではないのであろうか。
この遺跡からの出土品は平塚市博物館に展示されているようだが、今回は時間がなくなり断念した。
【史跡データ】
名称:国指定史跡「五領ヶ台貝塚」
所在地:神奈川県平塚市広川735-3ほか
時代区分:縄文時代中期(約5000年前)
形態:貝塚(五領ヶ台公園として保存されている。)