以下の文は断片的情報を基にした創作です。
4月25日は尾崎の命日(27回忌)だった。その未明に逃亡生活を続けていたAは
まだ冷たい瀬戸内の海を下着だけになり静かに海に入った。途中潮の流れが強いところがあり、それに流されないように、必死になって対岸に向け泳いだ。
漸く向こう岸に着くと濡れた服を脱ぎ捨て、ビニールに入れて持参した服に着替え、近くにあったバイクを盗んで広島方面へまっしぐらに走り出した。
・・・・・それから数日が経過した。30日の午前、Aがもうダッシュで小学校の高い塀を乗り越えようとして、引きずりおろされる瞬間の映像がテレビに流れた。
A逮捕のニュースを見ながら、尾崎の歌詞がリアリティを持って頭に浮かんで来た。
...「盗んだバイクで 走り出す行き先も解らぬまま 暗い夜の帳りの中へ 誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜」(『15の夜』)
Aは何故必死になって逃げるのか、いずれ捕まると分かっているのに逃げる意味があるのか。Aは昔から窃盗の常習犯だったようだ。そのたびに逃げる。
そして簡単に捕まらなかったらしい。学生の頃の友達は、運動神経が高いという証言をしていた。しかし、Aは「逃げるのがしんどかった」とも供述している。
逃亡生活を続けるにはそれなりの覚悟がないと出来ない。Aは何故反社会的な窃盗を続けなければならなかったのか。そして、何故命がけで逃げなければならなかったのか?
収容所での刑務官との軋轢がその要因といわれているが、Aの野性的な逃亡生活を支えていたものは何だったのか、その真実を知りたいと思っている。そして、今回犯した犯罪
を反省して、正常な社会建設の一員として更生して欲しいと願っている。
以下の文は昨日(2日)フェイスブックに投稿した内容そのままです。
フェイスブックから転写
4月25日は尾崎の命日(27回忌)だった。事件ニュースを見ながら、尾崎の歌詞がリアリテ
ィを持って頭に浮かんだ。..「盗んだバイクで 走り出す行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ 誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15
の夜」『15の夜』
組織化された管理社会の中で、人間の野性的・潜在的能力は日々失われていく。
本来自然の中を歩く動物である人間が、一日中部屋の中で閉じこもり、机の上で仕事(勉
強)を行っているのが現実の実相である。仕事はその人にとって「喜び」と感じる時間なの
か、それとも「苦役」(苦痛)と感じる時間なのか。その違いが身心に与える影響は大きい。
特に後者は、それが荷重に蓄積されると身心の異常(不具合)をもたらす場合がある。
不調和に陥った身体を正常に回復するために、ピラティス(FRP)のメソッドやヨガアーサナ等
は有効性を持っている。中でもヨガの呼吸法や瞑想法は、自己-肯定感(Self-esteem)
を得る上で有益であると思う。
今年の連休は雑音を避け、これまで学んで来たヨガ・ピラティス・フェルデンクライス・ディエン
チャン等の教えを、基本に帰って静かに学び直すことにした。
一方で、動的には、最初に記した人間の野性的・潜在能力(本能的に生きようとする力)を目覚め
させるための一手段として、近くの運動公園や低い山(丘)に入って「一本歯下駄」で歩いてみた
いと思っている。
将来的には熊本市の西にある金峰山(きんぼうざん)(665m)に登ることが一つの目標であ
る。この山は吉野の金峯山の系列にあり、修験道や山岳信仰の場としても知られている。
また、この山の一角には宮本武蔵が『五輪書』を書いた霊厳洞があることでも有名です。
人間の持つ野生的な潜在能力が、その生命の躍動感を失うことなく、如何にして社会と調和を保っ
て行くことができるのか、この問題意識をこれから常に共有して行きたいと思っています。
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