雑感 ~ 生きることの意味 ~

  ~今ある人生をどう生き、そしてどう終えるのか~

何故この歳になって走るのか?

2024-08-13 18:23:00 | 自問自答
 今年2月18日の熊本城マラソンに参加してHPにその時の感想を掲載した。(以下に再掲載)周りの人から見るとその歳になって、よくマラソンなど走れるなと思うのが素直な感想だと思う。私の中にもそういう思いがある。思いだけでなく練習している自分が走っているのか、歩いているのか分からないほどその遅さに自虐的になることもある。無理な冒険をせず、人に迷惑にならないように年相応に低負荷のストレッチやヨガなどやって静かに生きるのが周りにとっても良いことであり、自分でもそのことを良く自覚しているつもりである。

 しかし、一方で、少数だけど私の挑戦に敬意を払ってくれる方もいる。哲学者西田幾多郎は「人は人、我は我なり、我が行く道を我は行くなり」と詠んだが、私の心境はそれに近いかも知れない。残された人生をどう生きるかは、どう死を迎え入れるかと同じ問題だと思えてくる。人間はどこまで歩けるのか?人間はどこまで走れるのか?これは考えただけでは答えは出ない。「think and doing」「考えそして行動する」のみである。ここで言う考えは、工夫、即ちIngenuityの意味である。   
 そういう独自の工夫、思いを頭の中で描きながら、3月以降も自分なりに走り続けている。走るためには、走る意識と走れる身体が必要である。今は、ヨガやピラティス、そして関節トレーニングなどはそのための手段である。又、各地域で開催される市民マラソンでの参加賞は楽しみの一つである。同級生と時々会う機会があるが、殆どの人が足、腰の痛みを訴えている。こういう場合には、走るどころではない。実は私も昨年の夏は右股関節の痛みや痺れで練習が出来ていなかった。実際、走る練習を始めたのは11月頃からだったと思う。そういうこともあり完走どころか何とか30kまで行くことだけを目標にして参加した。
 今年は昨年に比べたら、継続的に走れているし、夏の暑さも避けて走る習慣が身について来たように思っている。どういうことかと言うと、職場にマラソンを趣味とする人がやって来て、その方と話していると、夏は暑いので土日の朝早くから走っているということだった。確かに、日が出る前に走れば猛暑は避けられると直感して、早速実行に移した。家の周辺で走れそうな所を探して見ると割と良い場所がある事に気づいた。又早朝から走っている人に出会った。約1時間前後走れば上等かなと思う。準備体操をして5時半から走り出せば丁度良い。今年は特に暑いので、走り終わった後に水風呂に入るのが楽しみになっている。若い時、三島市にあった冲ヨガ道場を思い出しながら真水を頭からかかり、水風呂に入ると、身心が引き締まり、疲労も半減することを実感している。ただ水風呂に入るには、身体の汗を拭いて緩いシャワーで身体を水に慣らしてからゆっくり入った方が良いので、注意して頂きたいと思う。
 2月のマラソンが6時間かかったので、次回は5時間そこそこで走りたいと思っている。1時間も短縮などあり得ない目標であることは、十二分に、分かっているつもりであるが、5時間に限りなく近づけるように、走り過ぎないようにして頑張りたいと思っている。11月初旬に筑後川ハーフマラソンに参加予定なので、次回は、その報告が出来たら良いと思っています。

2024/2/20 HPより引用
40年振りの「熊本城マラソン」
 
凡そ40年前、職場の仲間とともに「指宿菜の花マラソン」に立て続けに出場したことがあった。今回、今まで余り関心を示さなかった「熊本城マラソン」に参加する機会を得た。昨年後期高齢者になり、徐々に身体の衰えを感じていたが、このまま老衰して行くままの自分に疑問を持ち、もう一度自分に向き合い、自分の身体を整え直そうと感じていた。それがいきなりフルマラソンとは飛躍しすぎであるが、自分への挑戦としてとりあえず30キロを目標にして参加することになった。
 当日(18日)は、朝から5度だった気温は昼間には22度に達して、ちょっともうろうとして脱水症状ではないかと感じた所はあったが、沿道の応援と充実した給水体制に支えられて、何とか35キロ迄は走り続けることができた。その後は歩いたり走ったりを繰り返してあったが、最後のゴール迄続く長く緩やかな2.5キロの坂道を走り続けたので(殆どの人は歩いていた‥)、かなりの順位を上げることができ、無事に完走することができた。ゴールになった二の丸公園は私が通った高校があった所でもあり、若き日の思い出が詰まった懐かしい所でもあった。
 それにしても、沢山の地域の方々から色々な形で応援を頂いた。声が枯れる程大声で応援してくれた小学生、力強い太鼓の音、ブラスバンド、ギター演奏などなど盛りだくさんの声援を受けることができた。そして何よりも走る力を支えてくれたのは、エネルギー元である。給水ステーションにはスポーツ飲料、水だけでなく、🍓、🍌、🍅、🍊、🍰、🍩などが準備してあり、30キロ以降は特にそれらに助けられた所が大きいと思っている。今はただ感謝しかない。

 大会から数日が経ったが、不思議なことに筋肉痛が無い。歳のせいかも知れない?嘘みたいな話であるが、ゼロと断言できる?家で普通に階段を登り降りしているのを見て妻も驚いていた。自分で走る時意識したことは、インナーマッスル(腸腰筋(特に大腰筋)・内転筋・ハムストリングスなど)や上下振動の吸収に大臀筋をしっかり使うこと、関節の動き(特に股関節の回転)を意識すること、後はアウターマッスルが固まらないようにリラックスすることである。38キロ辺りで一時左脚の付け根が攣ったが、無理をせずに、走るのをやめて、歩いている内に回復することができた。色々なアクシデントが発生する可能性があるので冷静に対応することが大事だと思った。

二つの激痛

2022-09-17 20:17:09 | 自問自答

 前回の投稿から一年半が過ぎてしまった。時間は止まることなく動き、年月を繰り返している。1日の24時間は無限に繰り返し,1年の365日も無限に繰り返している。永劫回帰の世界である。

 時間や空間はとどまることなく流れを繰り返しているが、人間はその一時期、その一瞬を生きている旅人に過ぎない。時間は人間に平等に与えられているが、その時間の受け止め方や使い方は時期によってそれぞれ異なっている。    

 時に、より時間を短く感じるときもあるし、とてつも長く感じることもある。私の場合、どちらかというと、若いときは時間が長く感じられていた。その時間は、とても倦怠感を感じる時間が多かったように思える。しかし、人生のゴールが見えてきた今になっては、初めて時間の経過を速く、短く、それ故に、大切に思えて感じられるようになった。若いときに、サボっていた分を何か今頃になって取り戻したいのか、毎日がとても忙しく、ゆっくりくつろぐ時間がない生活を送っている。私が時間の大切さを本心から感じられるようになったのは、自分の人生を最後から、即ち死から意識するようになって来たからである。いつしか人生の終わりから今の自分を見るようになった。健康なら、あと何年生きられるだろうかと考えると、残りの人生があまりないことが切実に理解できるようになった。今、まだ生きている内に色々やりたいという意欲がムラムラと湧いて来たのである。

 振り返ると若いときは、毎日退屈な時間を送っていたように思う。人生に意味を見いだせず、何のために生きているのかも分からず、生きていることに意味を見いだせず、何故か空しく生きていたのを思い起こす。学校に行き勉強するのが苦痛で、いやな数学の教師がいて、夢の中で数学の問題を解けなくてうなされていることがよくあった。卒業してからもそのトラウマはかなり尾を引いていた。そうでなくても、朝目が覚めても何もすることがなく、ただ天井の木目を空しく眺めていた自分を思い起こす。何をする意欲も起きず、何もしようとしなかった、朝早く起きたときは又布団を頭からかぶって狸寝入りをして時間を潰していたように思える。

 その反動か何か分からないが、古希を過ぎて死線が見えだした頃から、生きている内に色々とやってみたいと思うようになった。死んだら何も出来ない。生きているからこそ、何かが出来るのである。人生が,時間がとても大切に貴重に思えて来たのである。

 しかし、そうはいっても若いときのように無理は利かない。身体的にも若い頃の弾力性はない。筋肉もだんだん衰え、細くなっている。しかし、一方で、人間は身体は衰えても、精神は何故か衰えないどころか強くなっているように感じられる。だから心と体のギャップが現れるのかも知れない。身体はだんだんさび付き、油が必要になる。何もないのに、身体の節々が痛み出したりする。何かの調子に関節が痛み出し、肩が上がらなくなったり、膝が痛くてうまく歩けなくなったり、腰が痛くて立てなくなったり、多くの人が程度の差があるけれど平等に苦しんでいる。

 痛みにも激痛がある。前回のブログで予告した帯状疱疹に今時発病するとは一体何を意味しているのか。少し考えてみようと思う。そして、先日又新たな激痛に襲われた。病名は尿管結石である。耐えられない痛みがあるとすれば、この二つの激痛は記録に残して置く価値があると思っている。人間が持つ耐えられない痛みを背負ってこの人生を送り続けるのは何か意味があるのか。平和な日本においても個々の人間は老苦や病苦などの苦しみに四苦八苦しているのが現実である。(次回へ)

 

 


身体的苦痛の軽減

2019-08-27 23:00:27 | 自問自答

 

長い間苦しんできた「坐骨神経痛」が最近軽減されたことが自覚できるようになった。この三年間は痛みと向き合った闘いの日々であったといえる。

「坐骨神経痛」に限らず痛みの軽減は多くの人の願いであり、人々が求めるところである。

苦痛を避け快楽(快適)を体得することは、万人が目標とする姿である。しかし、年齢を重ねるごとに原因不明の痛みが生じることが多い。それは姿勢が歪み、動きがだんだん鈍くなるということであり、「老い」(エイジング)を自覚するということだと思う。

身体が偏り錆び付いてくると、自分の行動範囲も狭まり、だんだん自分自身に自信が持てなくなる。存在していることが不安になることも頭をよぎる。人生を厭世的に考えるようになる。心が病んで、時には死んだがましだと思うこともある。まさに「死に至る病」である。

山本太郎は大衆に向かって「生きててくれよ。死にたくなるような世の中止めたいんですよ」と叫んだ。それは、15歳から39歳の死因の第一位が自殺であるという現実を受けての発言であった。

政治家の仕事は皆が生きやすい社会を作ることには違いない。それは福祉国家の充実ということと連なるだろう。そして生きやすい社会とは、個人があくせくしないで生きれる社会であり、できるだけ個人が苦しまないで生活できる社会の在り方であると思う。

坐骨神経痛を発病した時、椅子に座るや否やお尻の後(坐骨周辺)がピリピリとした激痛に襲われることがしばしばあった。じっと耐えるしかない状況だった。いつも痛いわけではないが、痛みが襲ってくるという感じで太腿の裏にかけて激痛が走ることがしばしばあった。

直接の原因はハーフマラソンを無理して完走したことではないかと思っている。身体が悲鳴を挙げていても精神はそれを押し切ることがある。その後遺症は大きなダメージをともなってやってくる。

最後まで走る切るのが美徳と教え込まれた心は、それを止めることは敗北だと刷り込まれていた。止める勇気がないのである。自己満足の世界である。

整形外科には一度だけ行った。レントゲンも取った。腰椎の4番と5番の間が狭くなっていて神経が圧迫されているという診断だった。ブロック注射は遠慮して漢方薬を頂いて帰った。根本的な治療は姿勢と生活習慣を直していくしかないと思っていたので、それ以降病院には行ってない。当時は丁度学んでいたベトナム医道のディエンチャンの施術に大変お世話になった。顕現した痛みを軽減するのに効果はあったと思う。

この間、ヨガやピラティスは毎日やっているので、これらのレッスンが身体に良い影響を与えていたことは間違いない。しかし、それでも痛みは不定期にやってくる。ヨガもピラティスも考えて考えてやっていたせいか、痛みの位置がだんだん変わってくるのを感じるようになった。お尻周辺の痛みから二年目・三年目には太腿の前面の方に重たい痛みや痺れが現れるようになった。

最初は座ってから痛みが来ていたのが、後半には歩いているときや立っているとき痛みが来るようになっていった。いつもではなく、仕事の帰りにコンビニとかによって買い物していると右足の太腿が痺れてきて痛くなるというパターンに代わってきた。しかも、必ずいやになるほど痛みが来る。(あとで気づいたことは歩き方が間違っている。悪い歩きをしているので改善できてないのではないかと思うようになった?)

こんなにヨガやピィラティスをやり、時には一本歯下駄でのウォークもやっているのに、何故痛みが来るのか。叫びたくなるような自問自答の日々が繰り返された。

特に一本歯下駄は姿勢を正すのに有効との自覚があったので週一回は歩くようにしていた。時には軽いジョギングも入れたりした。走り始めは痺れがあるけど走っているうちに痛みが消えることを度々経験した。

それでも日常に帰ると、立ったり歩く過程で痛みが出ることが続いた。

ある日バレイ整体というWebサイトに出会った。ここの中で紹介されていた、股関節を開くエクササイズをやっているうちに自分のからだの弱点が何となく見えてきた。それは、自分が脚の内側、内転筋をほとんど意識してないし意識して使っていないのではないかということだった。

Webサイトに紹介されていたエクササイズをやっているうちに内転筋、骨盤底筋群の深層外旋六筋の重要性に気づいた。ここが弱い。調べていくうちに深層外旋六筋のなかの梨状筋の下を坐骨神経が通っているとわかった。このあたりが関係していると直感した。

それから毎日深層外旋六筋を刺激するエクササイズを行っていった。同時にピィラティスもデッドバグスのバリエーション3やレッグサークルを中心に行った。一月も経たないうちに痛みが現れないようになった。発病当時を10とするなら現在は1である。ほとんど完治しているといって良いと思う。

三年間はあまりにも長い日々であった。しかしそこから得たものも大きかった。これも日頃のヨガとピィラティスの実践が基本にあったからであると思っている。

どんなに落ち込んでも、自分を支えるものが複数あることは強みでもある。身体を整えることによって精神も整ってくる。歩くという最も基本的な身体の動きをもっと重視して、歩くことを通して身体の改善へと繋げて行けたら良いと思う。そして今、その歩きはいかに「楽に歩くこと」ができるかということの探求であるという思いを強くしている。

「われはわれ 人は人なり わが行く道をわれは行くなり」 西田幾多郎