「故郷」(Heimat)の喪失(1)
故郷は遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
室生犀星 『抒情小曲集』 大正6年(1917年)
この歌はなぜか覚えている。学生の頃上京して、故郷を思うたびに
このセリフが出てきて、故郷の風景や両親のことが思い出されること
が度々あった。故郷は自分を支えている心の拠り所であり、支えとい
という意味をもっていた。今この詩を調べていくうちに、新しい発見
に出会った。それは、この歌が歌われたのは、あの石川啄木の歌と
同じ心境で歌われたものであることを知った。
石を持て 追わるるごとく
ふるさとを 出でしかなしみ
消ゆる時なし
石川啄木 『一握の砂』明治41年(1910年)刊
犀星の詩は東京で歌われたものではなく、郷里金沢で歌われたものである
ということです。東京で故郷を思って歌ったのではなく、郷里に受け入れら
れず、郷里を離れる心境を歌ったということです。
伊藤新吉氏は「それは郷里を離れようとする時の別れの心と、もはや再び
帰らぬという決意を歌ったものである」と述べておられる。ずっと故郷への
望郷を歌っていると思っていたことが、思い込みや誤解だったということを
今になって知るということは何か恥ずべきことのように思えるが、一方では
そういう事実を学んでいなかったということでもある。
今日は「故郷の喪失」についてハイデッガーの思索を見るつもりでしたが
思わぬ展開になってしまいました。ハイデッガーの思索については、次回に
回したいと思います。テーマは「故郷への回帰」で、次の歌がヒントです。
ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
啄木 『一握の砂』
犀星の詩は東京で歌われたものではなく、郷里金沢で歌われたものである
ということです。東京で故郷を思って歌ったのではなく、郷里に受け入れら
れず、郷里を離れる心境を歌ったということです。
伊藤新吉氏は「それは郷里を離れようとする時の別れの心と、もはや再び
帰らぬという決意を歌ったものである」と述べておられる。ずっと故郷への
望郷を歌っていると思っていたことが、思い込みや誤解だったということを
今になって知るということは何か恥ずべきことのように思えるが、一方では
そういう事実を学んでいなかったということでもある。
今日は「故郷の喪失」についてハイデッガーの思索を見るつもりでしたが
思わぬ展開になってしまいました。ハイデッガーの思索については、次回に
回したいと思います。テーマは「故郷への回帰」で、次の歌がヒントです。
ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
啄木 『一握の砂』