ヨガとピラティスについて最近比較して述べられることがある。実際ヨガをやっている方がピィラティスの指導者である場合も多々見られる。私が所属しているFRPでは今年から「FRPヨガ」というタイトルで養成講座を開講されている。
私なりに感じたことは、ヨガとピラティスはその目標とするところは同じように感じるけれども、その方法や教えは基本的に異なるものではないかと思っている。異なるものだからこそ、その共通点を探すのが面白いということである。
私の経験から思いつくままに述べるなら、ヨガとピラティスの違いは①その歴史が違うということである。ヨガの起こりは『ヴェーダ』に記録があり、古代インドで『ヴェーダ』が成立したのが紀元前1200年くらいである。一方ピラティスが生まれたのが1880年代であり、「ピラティス」というメソッドが確立されてまだ100年くらいしか経っていない。日本にピラティスが入ってきてから、まだ30年も経っていないということである。②にヨガは「解脱」を目標としたスピリチュアルな要素を含んでいるが、ピラティスは自己の身体をコントロールして健康を維持するためのエクササイズである。ヨガのアーサナとピラティスのエクササイズは位置づけが異なる。
ヨガはそれ故に歴史もあり、その変遷の歴史も多く存在しているらしい。それ故に、ヨガが本来持っていた姿・形をできるだけ崩さずに、忠実に伝えていこうとするカイヴァルヤダーマをはじめとする団体や人々が存在する。それらの古典ヨガは今日「伝統ヨガ」(トラディショナルヨガ)という言い方で呼ばれている。一方、ピラティスは彼自身が述べているように「コントロロジー」即ち「自分の身体を自分の意志で制御すること」というメソッドを基本としている。今日のリハビリテーションの原型と考えて良いと思う。
それ故に、それぞれの教えがどちらが良いとかという議論はあまり意味を持たない。それぞれの経験(体験)なくして、それらについて是非を論じ評価している人たちが世の中にはたくさんいるように思える。大事なことは「自分にとってその教えが適合するかということである」。もっと述べるなら「今の自分にとってその教えが有効か真実か」ということである。
指導者の中には生徒さんが色々体験することを嫌う人たちがいる。私から言えば狭い領域で生きている人たちに思える。幅広く色々な経験・体験を重ねて行きつくところが自分の場所である。ある人は死ぬまでそこに行きつかないかもしれない。しかし、それはそれで良いと思う。それがその人の人生であるということだと思う。皆生きているときは「途上」なのである。「揺れ動く葦である」。しかし最後に行きつく場がある。それが「死」という場所である。最終的な場所が皆同じであるところが世の中の面白いところでありまた真実である。それをヨガ的に言えば「地・火・空・水・風」の5大要素からなる「自然」・「宇宙」に帰るということだと思う。
色々学んで思ったことは、『ヴェーダ』にすべての答えが述べられているということだ。日本では『ヴェーダ』の教えは深く入っていない、学校でも仏教は割と深く教えているが仏教の教えはほとんど『ヴェーダ』の中で語られているということが最近分かるようになってきた。
「万物は流転する」と古代の哲学者が言ったが、それぞれの時代に必要があって生まれた教えは、時代が変わっても継続して伝えられていくだろう。そして、それら教えは時代と共に変遷していくだろう。それが真実である。
いつもの通りだが、表題から離れた内容になってしまった。また次回にしたいと思う。