今最も楽しみにしている映画さくらん。
好きなアーティストがてんこ盛り!
待ちきれない!
さてはて。寒さにもようやく慣れてきたかと思う2月初旬。
月日の経つのは早いものでメンズ入れ替えの時期にも突入(?)
デスクの上でデータ整理&生理で頭もクラッシュ!
つい最近はワークショップの開催も無事に終了しほっと一息
次の新しい展開へわくわく準備を進めておりますが。
とりあえず近況でも・・・生きてます!
今回の生理はきっついのが来ましたが踊ると忘れてしまう!
ダンスヒーリング???で癒されつつ、ワークショップの準備前は
怒涛の何日間?!てな忙しさでした。
あんまり忙しくなると、ぷっつんしちゃうのか
ほうけたように阿呆になるので一旦全ての
手が止まっちゃうのです。
で。何をするかというと、快楽のお約束事項を優先して自分に
叱咤激励するのであります。
男子も近づかないようなDEEPな界隈へ豪勢な個室借り切って鍋したり


大正7年から昭和33年の廃止に至るまで、
40年間にわたり繁栄し続けた大阪市内で最も新しい飛田遊郭。
明治45年1月の火災により廃止となった難波新地の遊郭の代替地として、
市街地の遊郭の整理統合と新世界の「私娼」を制限することを目的に開業した。
昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ね、大いに賑わいを見せる。
戦災では一部を除いて焼け残り、和洋とりどりの楼閣が戦後は
カフェーに転じる。
昭和32年の「売春防止法」の施行により廃止に追い込まれ、
料亭街に転じていった。
その中でも当時の面影をそのまま遺す「飛田百番」。
大正11年~昭和3年の間に建てられたと考えられており、
遊郭独特の数寄屋造りであり、現在は、
新鮮な素材を使った会席料理を手軽な価格で提供する飲食店で、
平成11年には「文化庁登録有形文化財」に登録される。
内部は応接室になる陽明門、階段や壁画など、かなり豪華絢爛、
当時の賑わいを感じさせる派手な造りだ。
さらに2階はいくつかの小部屋に分かれ、柱や窓枠等、工夫が施されている。
当時、大門近くに「一番」と呼ばれた店があり入口に近いほど格式が
低かったという。
「鯛よし百番」は奥にあるため相当の格式を持っていたらしい。
この界隈は女子一人で歩かないほうが良いとされるが・・・
昨日はAU買い付け帰りの帰国子女(おっさん)の案内で
ネタの仕込が奇想天外な新地の鮨屋へ。
鮨に胡椒かけるわ、ごま油を使うわ・・・
もう生理前の野生のメス猫化してる私を鮨屋に連れて行くなんて
覚悟してるんだろうね?
「大将!お澄ましとサヨリもう一回!」って言ったら
今日のだしには自信ないとかで赤出汁出てくる始末。
さよりは針ショウガと梅の2タイプで食べまし。
骨もせんべいに。皮も串に巻きつけてバーナーであぶってあてに・・・
3回はアンコールするくらいの美味しさと舎利の小ささで
幾らでも食べられるってもの。
頼むネタが全て酒飲みねただ!大酒のみだろうと言われたけれど
めっきり弱くなったのに!
スポンサーびびらせたり・・・(基本このスポはケチだからね)
頬引きつらせつつも「食べっぷりいいねぇ・・・細いのに」と
誉め?言葉を頂戴いたしました。おっさん持参のAUの写真にも
適当に(失礼)感想をのべつつも目は鮨カウンターの中へ。
最近、懐深くて気前がいいか顔を見れば解るようになってきた
ミナミで遊んだり御飯するより北が圧倒的に多い!
付き合う年齢層謂えなのか?はたまた、妙に居心地の良い北に
馴染んで来たのか?いんにゃ、御飯が美味しいところが多いのだ!