貝原益軒:著、工藤美代子:訳・解説
約300年前の江戸時代中期に書かれた予防医学書です。
といっても貝原益軒(1630~1714年)は医者ではありません。
本業は儒学者です。あえて言うなら「医学に造詣の深い知識人」でしょうか。
本書は全8巻という長大で原語表記では取っつきにくい昔の書物を、かみ砕いてわかりやすく解説したものです。
満83歳の長寿を全うした(当時は50歳以降は老人)益軒が「長寿の秘訣」を最晩年の82歳の時に書き留めた内容は、現代でも通用する予防医学の考え方が随所に認められ、長い間日本に読み継がれてきたことが頷けます。
さて、本書の内容を一言で表現するなら「養生=節制・摂生」。
何事も度を過ぎず、食事も腹八分目を守れば長寿が可能となる。
欲に任せて生活を送ると不幸な人生を送り早死にする。
なんだ、今と変わりませんね。
大学生のときの生理学の講義で「人間の本質は大脳による抑制である」と教わったことが記憶に残っています。
「命を司る脳幹、本能を司る古い脳(中脳・間脳)、それを覆う大きな大脳は本能を抑制・制御するために発達してきた。
それができない人間は動物レベルである。」と。
益軒の主張は大脳の機能をフルに使って人間らしく天寿を全うしよう、とも解釈できます。
本書には「食」に関する記述がたくさんあります。
まずは食習慣:
・そもそも飲食は飢えをしのぐのが第一の要件であるから腹八分目にとどめる。
・ご飯の食べ過ぎは胃の気を塞いで消化しにくくなる。
・消化しないまま寝る夜食習性のひとは胃腸に悪く若死にする。
・飲食の後、直ちに横になれば百病生ず(私の習慣ですが・・・ダメなんですね)。
・お茶は熱い湯で入れて飲んではいけない。沸騰させてからほどほどに冷まして飲むべし。沸騰しない半沸きの湯を飲むと腹が張るような感じがして良くない。
・食後には湯茶で口の中をすすぐのがよい。爪楊枝を使うと歯の根を傷めるので良くない。
・夕食は朝食より少なめがよい(当時は1日2食だったようです)。
次は食材について:
・甘いものを食べ過ぎるとおなかが張って苦しむ。
・辛いものを食べ過ぎると気がのぼせてときに湿疹ができ目にも悪い影響が出る。
・塩辛いものの食べ過ぎは血が乾き喉が渇いてその結果湯水を多く摂り胃を痛める。
・酸っぱいものを食べ過ぎると気が減る。
・苦いものの摂りすぎは胃腸の生気を損ねる。
・生魚を焼いて食べるのは胃腸の弱いひとには効果がある。煮たものより消化がよい。小さな魚は煮て食べるのが良く、大きい魚は焼くか、あるいは煎り酒を熱くして生姜、わさびなどを入れて汁に浸して食べると胃弱のひとには害がない。
・野菜の類で一番上等なのは大根である。胃腸を守り、痰を取り、気の循環に役立つ。
・野菜は大きく切って煮て食べると気を塞ぎ、腹痛のもとになることがある。薄く切って食べるべし。
・日本人は穀類中心の食事のせいか、獣肉を食べると体を損ないやすい。中国や朝鮮のひとより日本人は胃腸が弱いようである。
なんだか頑固じじいの説教を聞いているようです(笑)。
子育てについて。
「子どもを育てるには、三分の飢えと寒さを存すべし」と書かれています。
子どもには食べさせ過ぎず、厚着をさせず、常に3分ほどの飢餓感を持たせて育てるのがよい、と。
また「子どもは外で遊ばせ、日に当たらせるのがよい」とも。
現代の飽食生活、室内でゲームに熱中する子どもは心身が健康に育ちませんね。
300年間、日本人って進歩していない。何やってたんだろう。
タバコ(16世紀後半~17世紀に日本に伝わる)に関する記述もありました。
「タバコには毒がある。煙を吸って目が回って倒れることもあるから要注意。習慣になるとたいした害は無いように思え、少しは益もあるというが、損することの方が多いはず。病気の元になる。習慣になるとクセになっていくらでも欲しくなり止められない。家人の雑用が増えわずらわしいので初めから飲まないのに越したことはない。」
今言われていることとほとんど同じですね。感心しました。
しかし、益軒は実は愛煙家だったというオチがつきます(苦笑)。
私は漢方医学を勉強中のみですが、そこかしこに漢方的考え方が出てくることに気づかされます。
それもそのはず、「漢方医学」とは日本の伝統医学、つまり当時の医学なのですね。
「漢方=中国医学」と誤解されがちですが、昔々日本に入ってきた中国の医学が日本の中で熟成・あれんじされて独自に発達してきたのが漢方医学です。
ちなみに現代中国医学と漢方はまた異なる面が多々あり、中国の医学は「中医学」と分けられています。
その頃の医学には3つの派閥がありました。
「後世派」・・・中国朱子学の流派を受け継いだ、ものに臨床的な見方を加味し、江戸期前半に幕府の医療の中心となった。
「古学派」・・・よりわかりやすい単純な理論に立ち返った学問。その基本は「気の滞りが病のもと」という考え方。薬はむしろ最後の手段で、その前に飲食による治療を重視した。
「蘭医学」・・・益軒の時代以降、オランダから入ってきた西洋医学。「蘭医学」と呼び、それまでの日本の伝統医学を「漢方医学」と呼ぶようになった。
おわかりのように、益軒の記述は「古学派」の影響を受けています。彼は人間の体の基本は「気」から成り立っていると考えたので、その「気」が減ったり滞ったりすると病になると心配したのです。
著書の中に現在でも使用されている「人参養栄湯」や「清暑益気湯」の配合例の記載もあるそうです。
ふだん使用している日本語の「元気」「気力」「生気」は日本の伝統医学に由来する言葉。
主に影響を受けた人物は古学派の「伊藤仁斎」と言われています。
医者にも上中下があると書かれています。
上医:病の実情をよく知り、脈を取り、薬を知っている。
中医:病気と脈と薬の知識は上医に及ばないものの、薬をむやみに使ってはいけないと知っている医者。
下医:この3つの知識が無く、病人の家族の求めに従いむやみに薬を処方し、金はかかるが患者を傷つけてしまう医者。
私も医師の端くれ、「上医」を目指して精進したいものです。
でも今の日本では薬をたくさん出してくれるのが良い医者と考える患者側も問題ですね。
現実には上述の医療は地方の庶民まで届くことなく、祈祷や神仏に頼る時代でもありました。
全国各地に医療に関する寺社(薬師寺、延命長寺、安産、虫封じ等)が繁盛しました。
当時しばしば蔓延した疫病として、麻疹、労咳(肺結核)、痘瘡(天然痘)、おこり(熱病)、梅毒、淋病、腸チフス、コレラなどがあったようです。
なお、性病(淋病、梅毒)は江戸時代以前の戦国時代末期に海外から入ってきたものです。
稀代の知識人として鳴らしたであろう益軒も色々な病を経験しています。
眼病、痰、痔、めまい、便秘・下痢、頭痛などなど。
なんと淋病にも悩まされたとの記録が残っているそうです。
京都の花街で遊んだのかな。
酸いも甘いもかみ分けた人生を送ったので「養生訓」が書けたのでしょう。
まあ、「無病息災」「一病息災」ならぬ「多病息災?」といったところでしょうか。
「房中術」についても触れています。
初め何のことかわかりませんでしたが、実は「夫婦生活」のこと。
なんと、当時の性生活の実態が・・・
20歳は4日に1回
30歳は8日に1回
40歳は16日に1回
50歳は20日に1回
60歳以降は止めましょう。
というのが「適当である」と記されているそうです。
おしなべて「節制すべし」という文脈である本書の特徴を考えると、この数字は実際より少な目なのでしょう。
多いのか、少ないのか・・・皆さん、いかがですか?
ちなみに、現代のデータと比較してみましょう。
2005年にデュレックス社が行った2005年の調査「Glabal Sex Survey 」(対象は世界41カ国、31万7千人)で1年間の性行為回数が報告されています。
上位の国々;ギリシャ(138回)、フランス(120回)、イギリス(118回)、オランダ(115回)
下位の国々;日本(45回)、シンガポール(73回)、インド(75回)、インドネシア(77回)
日本って例外的に少ないんですねえ。
あ、全然違う話になってしまいました。失礼。
※ 「アレッ?」「フ~ン」と思ったところ。
・東京の神田は当時既に本屋街だった。
・昔の女性は織物を織ったり、針仕事をしたり、育児をしたりと多忙だった。今の女性達もそうした点は見習って、汗を掻くぐらいの労働をしないとたちまち老け込んでしまう(なんだ、こういうことっていつの時代も言われたことなんですねえ)。
・にぎり寿司、天ぷらは江戸っ子が好んだファーストフード。寿司は関西の押し寿司が発祥だが、気の短い江戸では時間をかけるのを省いたにぎり寿司が発達した。酢飯だけ用意しておけば、客を待たせずに出せるので。天ぷらは以前からあったが、1772年頃に江戸に天ぷらの屋台が出現したとの記録がある。
・町売り納豆が発達したのは江戸下町だが、もとはと言えば納豆の始まりは室町時代の京都だった。
・益軒は38歳で16歳の妻を娶り、しかし子どもができないので当時の社会の習わしに従って1年に一人ずつ、3年にわたってお妾を持った。
・健康法として「毎日体重を測る」ことを提唱した(現在と同じ方法をなんと300年前に!?)。
・小便は空腹時にはしゃがんで排尿し、満腹時には立って排尿する(これは女性にも当てはまるらしい。???)。
・排泄物は貴重な農家での肥料となり、かなりの値で売り買いされていた(究極のリサイクル!)。
・入浴は3、4日に1回では多すぎる。暑い月の他は5日に1度髪を洗い、10日に1回入浴するのがよい。深いタライにお湯を少し入れて短時間入浴すべし。・・・ちなみに江戸に銭湯が出来たのは1591年とのこと。
・「富山の置き薬」というシステムは江戸中期に始まった。
約300年前の江戸時代中期に書かれた予防医学書です。
といっても貝原益軒(1630~1714年)は医者ではありません。
本業は儒学者です。あえて言うなら「医学に造詣の深い知識人」でしょうか。
本書は全8巻という長大で原語表記では取っつきにくい昔の書物を、かみ砕いてわかりやすく解説したものです。
満83歳の長寿を全うした(当時は50歳以降は老人)益軒が「長寿の秘訣」を最晩年の82歳の時に書き留めた内容は、現代でも通用する予防医学の考え方が随所に認められ、長い間日本に読み継がれてきたことが頷けます。
さて、本書の内容を一言で表現するなら「養生=節制・摂生」。
何事も度を過ぎず、食事も腹八分目を守れば長寿が可能となる。
欲に任せて生活を送ると不幸な人生を送り早死にする。
なんだ、今と変わりませんね。
大学生のときの生理学の講義で「人間の本質は大脳による抑制である」と教わったことが記憶に残っています。
「命を司る脳幹、本能を司る古い脳(中脳・間脳)、それを覆う大きな大脳は本能を抑制・制御するために発達してきた。
それができない人間は動物レベルである。」と。
益軒の主張は大脳の機能をフルに使って人間らしく天寿を全うしよう、とも解釈できます。
本書には「食」に関する記述がたくさんあります。
まずは食習慣:
・そもそも飲食は飢えをしのぐのが第一の要件であるから腹八分目にとどめる。
・ご飯の食べ過ぎは胃の気を塞いで消化しにくくなる。
・消化しないまま寝る夜食習性のひとは胃腸に悪く若死にする。
・飲食の後、直ちに横になれば百病生ず(私の習慣ですが・・・ダメなんですね)。
・お茶は熱い湯で入れて飲んではいけない。沸騰させてからほどほどに冷まして飲むべし。沸騰しない半沸きの湯を飲むと腹が張るような感じがして良くない。
・食後には湯茶で口の中をすすぐのがよい。爪楊枝を使うと歯の根を傷めるので良くない。
・夕食は朝食より少なめがよい(当時は1日2食だったようです)。
次は食材について:
・甘いものを食べ過ぎるとおなかが張って苦しむ。
・辛いものを食べ過ぎると気がのぼせてときに湿疹ができ目にも悪い影響が出る。
・塩辛いものの食べ過ぎは血が乾き喉が渇いてその結果湯水を多く摂り胃を痛める。
・酸っぱいものを食べ過ぎると気が減る。
・苦いものの摂りすぎは胃腸の生気を損ねる。
・生魚を焼いて食べるのは胃腸の弱いひとには効果がある。煮たものより消化がよい。小さな魚は煮て食べるのが良く、大きい魚は焼くか、あるいは煎り酒を熱くして生姜、わさびなどを入れて汁に浸して食べると胃弱のひとには害がない。
・野菜の類で一番上等なのは大根である。胃腸を守り、痰を取り、気の循環に役立つ。
・野菜は大きく切って煮て食べると気を塞ぎ、腹痛のもとになることがある。薄く切って食べるべし。
・日本人は穀類中心の食事のせいか、獣肉を食べると体を損ないやすい。中国や朝鮮のひとより日本人は胃腸が弱いようである。
なんだか頑固じじいの説教を聞いているようです(笑)。
子育てについて。
「子どもを育てるには、三分の飢えと寒さを存すべし」と書かれています。
子どもには食べさせ過ぎず、厚着をさせず、常に3分ほどの飢餓感を持たせて育てるのがよい、と。
また「子どもは外で遊ばせ、日に当たらせるのがよい」とも。
現代の飽食生活、室内でゲームに熱中する子どもは心身が健康に育ちませんね。
300年間、日本人って進歩していない。何やってたんだろう。
タバコ(16世紀後半~17世紀に日本に伝わる)に関する記述もありました。
「タバコには毒がある。煙を吸って目が回って倒れることもあるから要注意。習慣になるとたいした害は無いように思え、少しは益もあるというが、損することの方が多いはず。病気の元になる。習慣になるとクセになっていくらでも欲しくなり止められない。家人の雑用が増えわずらわしいので初めから飲まないのに越したことはない。」
今言われていることとほとんど同じですね。感心しました。
しかし、益軒は実は愛煙家だったというオチがつきます(苦笑)。
私は漢方医学を勉強中のみですが、そこかしこに漢方的考え方が出てくることに気づかされます。
それもそのはず、「漢方医学」とは日本の伝統医学、つまり当時の医学なのですね。
「漢方=中国医学」と誤解されがちですが、昔々日本に入ってきた中国の医学が日本の中で熟成・あれんじされて独自に発達してきたのが漢方医学です。
ちなみに現代中国医学と漢方はまた異なる面が多々あり、中国の医学は「中医学」と分けられています。
その頃の医学には3つの派閥がありました。
「後世派」・・・中国朱子学の流派を受け継いだ、ものに臨床的な見方を加味し、江戸期前半に幕府の医療の中心となった。
「古学派」・・・よりわかりやすい単純な理論に立ち返った学問。その基本は「気の滞りが病のもと」という考え方。薬はむしろ最後の手段で、その前に飲食による治療を重視した。
「蘭医学」・・・益軒の時代以降、オランダから入ってきた西洋医学。「蘭医学」と呼び、それまでの日本の伝統医学を「漢方医学」と呼ぶようになった。
おわかりのように、益軒の記述は「古学派」の影響を受けています。彼は人間の体の基本は「気」から成り立っていると考えたので、その「気」が減ったり滞ったりすると病になると心配したのです。
著書の中に現在でも使用されている「人参養栄湯」や「清暑益気湯」の配合例の記載もあるそうです。
ふだん使用している日本語の「元気」「気力」「生気」は日本の伝統医学に由来する言葉。
主に影響を受けた人物は古学派の「伊藤仁斎」と言われています。
医者にも上中下があると書かれています。
上医:病の実情をよく知り、脈を取り、薬を知っている。
中医:病気と脈と薬の知識は上医に及ばないものの、薬をむやみに使ってはいけないと知っている医者。
下医:この3つの知識が無く、病人の家族の求めに従いむやみに薬を処方し、金はかかるが患者を傷つけてしまう医者。
私も医師の端くれ、「上医」を目指して精進したいものです。
でも今の日本では薬をたくさん出してくれるのが良い医者と考える患者側も問題ですね。
現実には上述の医療は地方の庶民まで届くことなく、祈祷や神仏に頼る時代でもありました。
全国各地に医療に関する寺社(薬師寺、延命長寺、安産、虫封じ等)が繁盛しました。
当時しばしば蔓延した疫病として、麻疹、労咳(肺結核)、痘瘡(天然痘)、おこり(熱病)、梅毒、淋病、腸チフス、コレラなどがあったようです。
なお、性病(淋病、梅毒)は江戸時代以前の戦国時代末期に海外から入ってきたものです。
稀代の知識人として鳴らしたであろう益軒も色々な病を経験しています。
眼病、痰、痔、めまい、便秘・下痢、頭痛などなど。
なんと淋病にも悩まされたとの記録が残っているそうです。
京都の花街で遊んだのかな。
酸いも甘いもかみ分けた人生を送ったので「養生訓」が書けたのでしょう。
まあ、「無病息災」「一病息災」ならぬ「多病息災?」といったところでしょうか。
「房中術」についても触れています。
初め何のことかわかりませんでしたが、実は「夫婦生活」のこと。
なんと、当時の性生活の実態が・・・
20歳は4日に1回
30歳は8日に1回
40歳は16日に1回
50歳は20日に1回
60歳以降は止めましょう。
というのが「適当である」と記されているそうです。
おしなべて「節制すべし」という文脈である本書の特徴を考えると、この数字は実際より少な目なのでしょう。
多いのか、少ないのか・・・皆さん、いかがですか?
ちなみに、現代のデータと比較してみましょう。
2005年にデュレックス社が行った2005年の調査「Glabal Sex Survey 」(対象は世界41カ国、31万7千人)で1年間の性行為回数が報告されています。
上位の国々;ギリシャ(138回)、フランス(120回)、イギリス(118回)、オランダ(115回)
下位の国々;日本(45回)、シンガポール(73回)、インド(75回)、インドネシア(77回)
日本って例外的に少ないんですねえ。
あ、全然違う話になってしまいました。失礼。
※ 「アレッ?」「フ~ン」と思ったところ。
・東京の神田は当時既に本屋街だった。
・昔の女性は織物を織ったり、針仕事をしたり、育児をしたりと多忙だった。今の女性達もそうした点は見習って、汗を掻くぐらいの労働をしないとたちまち老け込んでしまう(なんだ、こういうことっていつの時代も言われたことなんですねえ)。
・にぎり寿司、天ぷらは江戸っ子が好んだファーストフード。寿司は関西の押し寿司が発祥だが、気の短い江戸では時間をかけるのを省いたにぎり寿司が発達した。酢飯だけ用意しておけば、客を待たせずに出せるので。天ぷらは以前からあったが、1772年頃に江戸に天ぷらの屋台が出現したとの記録がある。
・町売り納豆が発達したのは江戸下町だが、もとはと言えば納豆の始まりは室町時代の京都だった。
・益軒は38歳で16歳の妻を娶り、しかし子どもができないので当時の社会の習わしに従って1年に一人ずつ、3年にわたってお妾を持った。
・健康法として「毎日体重を測る」ことを提唱した(現在と同じ方法をなんと300年前に!?)。
・小便は空腹時にはしゃがんで排尿し、満腹時には立って排尿する(これは女性にも当てはまるらしい。???)。
・排泄物は貴重な農家での肥料となり、かなりの値で売り買いされていた(究極のリサイクル!)。
・入浴は3、4日に1回では多すぎる。暑い月の他は5日に1度髪を洗い、10日に1回入浴するのがよい。深いタライにお湯を少し入れて短時間入浴すべし。・・・ちなみに江戸に銭湯が出来たのは1591年とのこと。
・「富山の置き薬」というシステムは江戸中期に始まった。