思いつきぶらり旅 kasuga

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網走立ち寄り

2015年02月05日 | 日記

網走  博物館 網走監獄へ

明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を

保存公開している歴史野外博物館です

 

2013年2月に流氷撮影に行ったとき、網走地区に立ち寄った

際、定番観光地網走刑務所へ  

敷地面積約東京ドームの3.5個分の広さだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年1979年は、元受刑者。収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた異名で知られる。26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年にも及んだ。

網走刑務所を脱獄の際、特製の手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁に含まれる塩分で鉄を錆びさせて脱獄した作戦は後年によく紹介されるエピソードである。

終戦後、畑泥棒と間違えられ農家に袋だたきにされるも、逆に相手を殺害。札幌地裁から死刑判決が出たために脱獄を決意。看守6人1組で厳重に監視される中、白鳥は脱獄に成功する。のち自首した。府中刑務所では白鳥を一般の受刑者と同様に扱ったため、白鳥は模範囚として刑に服した。1961年仮釈放。出所後は建設作業員として就労。1979年心筋梗塞で世を去った。享年72。

超人的な体力と腕力を持っていたとされる。

  • 1日に120kmもの距離を走ることができ、網走刑務所では、手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せており結果、重さ20kgもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった。
  • 地中深く突き立てられた煙突の支柱を素手で引き抜き、40歳を過ぎてなお、米俵を両手に持って手を水平にすることができるなど、その怪力ぶりは群を抜いていた。
  • 身体の関節を簡単に外すことができる特殊体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出したという。

脱獄歴

1936年 青森刑務所 - 針金で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄。

                                HPより抜粋