第30回夏季オリンピック ロンドン大会は12日夜、ロンドン市内の五輪スタジアムで閉会式が行われ、閉幕しました。
閉会式は、ロンドンや英国、選手、ボランティア、五輪に集った世界中の人々を祝福する内容で、「英国音楽のシンフォニー(交響曲)」がテーマ。英国のポップ音楽やファッション、文化が紹介され、選手たちや観衆を楽しませました。
次回の2016年五輪はブラジルのリオデジャネイロで開催されます。
ロンドンでの五輪は1908年、48年につづき64年ぶり。史上初の同一都市で3度目の開催でした。若者のスポーツ参加促進などの意味が込められた「世代を超えたインスピレーション」をスローガンに掲げ、204カ国 地域と個人資格で参加した選手たちが26競技、302種目で熱戦を繰り広げました。
夜空にこうこうと灯る聖火のもと、すっかり緊張のとけた表情で閉会式のフィールドに駆け足で入場してきた選手たち。そこは、国境のないパーティー会場でした。
12日に閉幕したロンドン五輪は、「ひとつの世界に向けて」を大会のテーマに掲げました。競い合い、高め合い、平和をはぐくむスポーツの祭典に、隔てるものが何もない“ひとつの世界”が広がっていました。
陸上男子トラック長距離種目で英国に二つの金メダルをもたらしたモハメド ファラ選手は、8日の5千メートル予選で、自分よりも1分以上も遅れてゴールした最終ランナーに近づき、肩を抱いて健闘をたたえました。
そのランナーは、フィリピンから出場したレーン ヘレーラ選手でした。ヘレーラ選手は自己記録を7秒近くも更新。その表示を見たファラ選手は、自然な気持ちで歩み寄りました。祝福を受けたヘレーラ選手が、心に刻んだ言葉があります。
ファラ選手は、8歳のときにソマリアから移住してきたイスラム教徒です。「いろんな人種がロンドンにいるけれど、スポーツは人々に元気を与え、仲間になれる」。彼の信念です。
男子20キロ競歩の銀メダリスト、エリック バロンド選手は、中米のグアテマラに初の五輪メダルをもたらしました。同国が五輪に初参加して以来、80年目の快挙でした。
バロンド選手は、貧困と政情不安による子どもたちの成長のゆがみに心を痛めていました。手にしたメダルに、願いを込めました。
「このメダルによって、子どもたちが銃やナイフを置き、その代わりに運動靴を手に取ってくれればいい。そうなったら自分は世界一の幸せ者だ」
ロンドン五輪がともした火は、世界を友情と平和でつなぐ力となって、受け継がれていきます。一つは、4年後の開催地 南米のリオデジャネイロ(ブラジル)へ。もう一つは、これをきっかけに夢を抱いた新たな世代へと。
セブン&アイ ホールディングスは7月26日、グループ各社のネットショッピングサイトを一本化すると発表した。
これまで別サイト、別IDで展開していた西武 そごうの デパート 、イトーヨーカドーの ネットスーパー 、セブン-イレブンの セブンミール 、アカチャンホンポのネット通販、 チケットぴあ のネットサービス、セブンカルチャーネットワークの セブン旅ネット を7月にセブンネットのサイトに一本化する。
セブン&アイグループの総合ネット通販、百貨店、総合スーパー、コンビニエンスストア、専門店のネットサービス、旅行/宿泊の予約、チケット購入サービスがご自宅で、ワンストップで利用でき、利便性が高まるという。
「グループのネットの集合体としてリアル店舗とも情報を共有化、店舗では展開できない商品をネットで取り扱ったり、ネットで注文した商品の店舗での受取りを可能にしたり、店舗での売れ筋情報、お客の声をネットから吸い上げるなど、リアルとネットを融合することにより、セブン&アイグループ各社それぞれが持つ強みを生かしたネットのサービスへと進化させる」(同社)。
現状約1000万人の会員を2015年度には2000万人に拡大し、グループサイトでの取扱高5000億円を目指す。
アメリカの人気テレビ番組「E!NEWS」や「ファッション ポリス」で知られるキャスターのジュリアナ ランチックが、現地時間7月22日にラスベガスで開かれた2012年北米ヘアスタイリング賞の授賞式で“Beautiful Humanitarian賞(博愛賞)”を受賞しました。
自身も患った乳がんへの意識改革と教育へ大きくかかわったことで、今回の受賞となりました。
連日、「E!NEWS」や「ファッション ポリス」でお洒落なファッションを披露しているジュリアナは、ワンショルダーのブラックミニドレスに、シャイニーなパンプスをアクセントにしたゴージャスな着こなしです。そして、大きな巻き髪のゴージャスヘアがセレブ感をアップ!
ロングヘア×ゴージャス巻きは、ドレスを一層エレガントに引き立ててくれますね。
ロンドンで法律を学びヨーロッパ全土で活躍中の弁護士ナタリー。シンガポールとの混血でモデルのようなスタイル、美貌。やり手の弁護士でありながら多感期の2人の子どものママ。多忙なはずの彼女になぜか人は余裕を感じます。
それは、暮らしの中に取り入れている「丁寧」があるから、と彼女は答えて微笑みました。ロンドンのワーキングウーマンは多忙。日本に負けない競争社会のうえに男女の差別もまだまだ残っています。
でも、何かが日本と違う?そう、余裕がある、それはさもない「丁寧」を「贅沢」に変えているからです。
暮らしのなかで
ここでいう「贅沢」とは金銭的なことではありません。お金で手にいれた贅沢はしょせん一過性のもの。暮らしのなで、自分の心のために、わずかな時間を使ってする「丁寧」を「贅沢」と言います。
朝、起きて飲むコーヒーは、お気に入りの豆をローストして自分でミルを使い挽く。こんな丁寧さこそが、目指す贅沢です。この時間があるから、また1日をがんばれる、それが心の余裕ですね。
例えば さもないことですが
コーヒーを挽くというもの一例。他にも、コーヒーのミルクは必ず泡立てる、ベッドのシーツはアイロンをかける、週に1度お花を買って自己流でアレンジして活ける、出汁だけは昆布と鰹節からとる、手紙は筆(筆ペン)を使って書いてみる…。
こんなさもないことで十分です。内容よりも自分が「私は今丁寧な仕事をしているな」と思える時間があることが重要です。
この「丁寧」を面倒がって「自分はちゃんとしている」という自信を忘れてしまうと、日々が、とたんにギスギスとしてしまいます。
ギスギスすると何をやっても上手くいかないと感じます。そしてただ多忙なだけの色あせた生活になります。多少なりとも覚えがありませんか?
筆者は多忙な東京時代に酸素が不足していると感じました。忙しいを理由に、何もかもを7割でいいと自分に納得させていたからです。
しかし、やはりどこかで、酸素を取り入れる時間が必要でした。ここだけは10割の気持ちで丁寧にやろうという時間です。
難しいことではないのですが、靴を磨きました。皮のパンプスでの通勤だったので、足元からキレイに!と思い立ちました。毎晩帰ってから丁寧に時間をかけて靴を磨きます。そして翌日には美しく生まれ変わった靴を履いて出勤です。
この習慣が自分を変えてくれたと思います。まさに「丁寧」はこんなに「贅沢」だと実感できました。
同じことをロンドンの女性たちが実践していたので、このメソッドは間違いではない、と確信しました。
日々は駆け足で過ぎていきます。どう過ごしても24時間、1ヵ月、1年、そして10年。この時の流れのなかで、自分らしい自分であることを感じるには、丁寧な時間が必要です。丁寧な時間は心を贅沢にしてくれます。
グループ2AMのチャンミンとジヌンが、日焼けして引き締まったボディーを公開し、注目を浴びている。
チャンミンとジヌンは、最近ファッション雑誌のグラビア撮影に参加し、甘いボイスの後ろに隠されていた、男らしい魅力を発散した。
グラビアのチャンミンは、はっきりと割れた腹筋で女性ファンをときめかせ、ジヌンは短い丈のパンツでセクシーな太ももを見せ、女心を揺らしている。
特にチャンミンは今回のグラビア撮影のために、4週間サツマイモと鶏のササミだけを食べる食事制限をする情熱を見せたという。
撮影後続いたインタビューでチャンミンは「彼女がいたころは、靴を脱ぐレストランで靴のサイズをチェックした後、靴をプレゼントしたりした」と“びっくりイベント”の秘訣を公開した。
またジヌンは「他人のギターでは一日に5曲ずつ書くのに、自分のギターでは1週間に1曲も書けないときがある」と、創作の大変さについて語った。
この他にも、2AMを誕生させたパクジニョンの活発な活動についてジヌンは「パクジニョンさんがKBS 2TVドラマ「ドリームハイ2」と映画「500万ドルの男」の撮影が重なり、釜山(プサン)と坡州(パジュ)を行き来していたが、疲れで赤くなった目でJBとJr.の世話を焼くときは本当にすごいと思った」と感心をあらわした。
チャンミンは「個人的に歌手としての舞台と、新しい曲へのチャレンジは真似たいが、一会社の代表としては羨ましくない。余りにも考えなければならないことが多くて、第3者の立場からは、大変なのではないか心配だ」と本音を伝えた。
身長1メートル77、体重108キロ。大相撲力士だったら活躍していそうなアマルタイワン(通称アマラー)という23歳の偉丈夫が今回の旅先案内人である。首都ウランバートルで生まれ育ち、日本語通訳は務まるが南ゴビへ行くのは初めてだという。訳がある。
日本に関心があったアマラーは一昨年の春から、東京都内のA新聞販売店で配達の傍ら日本語を学んでいた。そこへ昨年の311大震災だ。放射性物質の影響に脅える親元から「すぐ帰れ」と言われ“脱出”した在日モンゴル人の中に、アマラーの姿もあった。
「だって、離婚後ずっと一人で僕を育ててくれた母の言葉には逆らえないじゃないですか」。後ろ髪を引かれながら帰国し、旅行会社に働き口を見つけた。
南ゴビの県都ダランザドガドでプロペラ機を降り、西へ車を走らせること4時間。行程の大半は周囲360度が地平線で、空と大地以外に見えるものはない。たまにラクダの群れを見るが、国土の過半を占める草原では見慣れた馬や羊が少なく、遊牧民の移動式住居「ゲル」にもほとんど出合わなかった。何もない風景に退屈する人や、体力に自信のない高齢者には勧められないコースだ。が、我々が本当の<無>と向き合えるような大自然は今、地上にどのくらい残っているだろうか。
到着した先にある「ホンゴル砂丘」は、砂だけで成る“山脈”が巨大な竜の背中のように延々と続く。普段はサラサラの砂に足を取られるから登るのは難儀。珍しく雨が降った後だったので途中までは登れたが、無理はしないで引き返した。砂丘は風で少しずつ移動し続けているという。
二つのツーリストキャンプで、観光客用のゲルに泊まった。日が沈むのも月が昇るのも地平線。満天の星を仰げば、何か不思議な音が聞こえてきそうだ。ありとあらゆる星座だけでなく、流れ星や人工衛星の動きまでが手に取るようにクッキリと見える。
世界で初めて恐竜の卵の化石が発見されたという「バヤンザグ」一帯の荒涼たる光景にも、気の遠くなるような地球の歴史を想像させられた。ズシーン、ズシーンと足音を響かせて歩き回る恐竜が、今にも岩陰から目の前に現れそうな幻覚に襲われる。
実は今回のモンゴル滞在中、記者はパスポートや財布が入ったウエストポーチの紛失(たぶん置き引き)という災難に初めて見舞われた。アマラーの奔走がなければ予定通りに帰国できず、この記事も書けなかったろう。