11月は私の両親の誕生日があります。明治生まれの苦労人で、私は9人兄弟の末子です。これだけの子供を育てるのは大変で、両親は夜遅くまで働いていました。兄や姉もよく働いて家にお金を入れていました。私が10歳くらいになると漸く暮らしが楽になったような気がしました。中学2年の時、大学へ行きたいと言うと、国公立以外は無理、そして大学卒業まで親が生きていると思うな、と言われ、緊張したことを忘れることはできません。
大学は奨学金と家庭教師が2つ、そして3万円の仕送りで学費まで払いました。休みもバイトです。働き続けて私を支える親を嘆かせてはならないと勉強をし、帰ったら親孝行をして恩返しをしようと思ったものです。大学院に行くことを決めた時、父は「自分の思う通りに生きろ」と言い、姉夫婦との同居を決め、私に気を使わせないようにしました。その後、牧師になる決心をした時は、父もがっかりしたようです。妻の出産の時などは両親共に千葉に来て、孫の世話をやいてくれました。やっと私達に安心したようでもありました。
最近の若者たちを見て、「恵まれてるな」と思う反面、余力のある親に世話を焼かれて育ったので、どうしても生活力を感じません。生きる、ということは「生き抜く」ということでもあり、自分で衣食住と経済を確保しなければならないのです。それができないと、健康の回復と仕事に就くということも難しいのですが、その不足を親に期待するので、結婚も難しくなります。
「神のデザインによる医療」(152頁)を書き上げました。特に腸内環境について、詳しく説明しています。120歳まで生きようと願わないと、健全な自己管理はできないことに気が付いたのです。完全な自己管理や自立は、なかなかできないことですが、それを願うところから、自立が始まります。結婚した時は料理もできず、買い物にも掃除にも手間取った妻ですが、全てが手早く熟練した主婦になりました。私も若い時は失敗ばかりしていて妻に慰められていたのですが、やっと人に少し信頼されるようになってきたようです。人生は思ったより長いです。