医師や看護師の医療従事者としての自覚と意識が医療を守り、維持させていると思いますが、その自覚というものがだんだん薄れてきているということも考えさせられています。
医師である妻は、朝から患者を診て休む暇もなく働き、夕食後に休んでからまたクリニックに出かけてFAXやメールの質問に答え、わからない症状や病気に関して遅くまで調べています。レセプトのある時は、休日にもレセプトをチェックし、締め切り間際には朝早く出かけて修正しています。患者さんは、自分が納得いかないと失礼な手紙やメールをわざわざ送りつけてきたり、自分のペースで回答を要求しますが、医師はそれら全部を一人で休みなく応対するのです。
自己管理も必要で、風邪をひいたり病気になっては診察に差し支えるので、いままで23年間一度も休んだことはありません。娘も医師になって、休みの日も患者の対応についてひっきりなしに電話があり、1時くらいまで仕事をして朝早く出かけています。ビタミンCを4-5gも摂っており、「ストレスに耐えるにはこれくらい必要なの。」と頑張っていますが、疲れきっているようです。
看護師の意識も同様で非常に良く働き、献身的です。ただ、他の職業や若い人々は、そのような医療従事者としての意識が希薄で、自分にとって都合がよく、責任のないような仕事を要求します。当クリニックでも数人が辞めていきましたが、1年ももたないで勤めを替える人が多く、さらにそのような人々が面接に殺到してきます。しかし、職歴で3年も続かないような人を採用すると同じことを繰り返すので、とても雇うわけにもいきません。
ナイチンゲールとか、シュバイツワー、野口英世などの方々程でなくても、医療というのは、患者さんを拒むわけにはいかない仕事への献身が必要です。そして、その献身的な働きこそが医療従事者の誇りでもあったのです。犠牲を厭う都会の若い世代では、医療というものが維持されることが難しくなっていると危惧するものです。
コードブルーというドクターヘリと救急医療に従事する人々の働きがテレビの番組として人気を博していますが、実際にそれらの困難に対応するだけの根性を持った人々をどれだけ確保するか、あるいは養成するかが医療機関の実力となってきます。きれい事や理屈を言って医療の現場を維持することはできません。最後は、やはり根性になるのでしょうか。