crossroadからのお便り

柏崎久雄が、いろいろな人との出会いや出来事を「交差点からのお便り」(クロスロードノート)として報告させていただきます。

医療従事者の意識

2010年03月21日 | 健康・病気

 医師や看護師の医療従事者としての自覚と意識が医療を守り、維持させていると思いますが、その自覚というものがだんだん薄れてきているということも考えさせられています。

 医師である妻は、朝から患者を診て休む暇もなく働き、夕食後に休んでからまたクリニックに出かけてFAXやメールの質問に答え、わからない症状や病気に関して遅くまで調べています。レセプトのある時は、休日にもレセプトをチェックし、締め切り間際には朝早く出かけて修正しています。患者さんは、自分が納得いかないと失礼な手紙やメールをわざわざ送りつけてきたり、自分のペースで回答を要求しますが、医師はそれら全部を一人で休みなく応対するのです。

 自己管理も必要で、風邪をひいたり病気になっては診察に差し支えるので、いままで23年間一度も休んだことはありません。娘も医師になって、休みの日も患者の対応についてひっきりなしに電話があり、1時くらいまで仕事をして朝早く出かけています。ビタミンCを4-5gも摂っており、「ストレスに耐えるにはこれくらい必要なの。」と頑張っていますが、疲れきっているようです。

 看護師の意識も同様で非常に良く働き、献身的です。ただ、他の職業や若い人々は、そのような医療従事者としての意識が希薄で、自分にとって都合がよく、責任のないような仕事を要求します。当クリニックでも数人が辞めていきましたが、1年ももたないで勤めを替える人が多く、さらにそのような人々が面接に殺到してきます。しかし、職歴で3年も続かないような人を採用すると同じことを繰り返すので、とても雇うわけにもいきません。

 ナイチンゲールとか、シュバイツワー、野口英世などの方々程でなくても、医療というのは、患者さんを拒むわけにはいかない仕事への献身が必要です。そして、その献身的な働きこそが医療従事者の誇りでもあったのです。犠牲を厭う都会の若い世代では、医療というものが維持されることが難しくなっていると危惧するものです。

 コードブルーというドクターヘリと救急医療に従事する人々の働きがテレビの番組として人気を博していますが、実際にそれらの困難に対応するだけの根性を持った人々をどれだけ確保するか、あるいは養成するかが医療機関の実力となってきます。きれい事や理屈を言って医療の現場を維持することはできません。最後は、やはり根性になるのでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指導者の在り方

2010年03月07日 | 社会・経済

 宴会や酒の場で性質の悪いのは、警察官・教員・医師・保育士と言われていますが、普段の仕事でストレスが多く、きちんとしなければならない反動でしょうか。ゴルフなどでも、成績の悪い時に、その人の本性が現れます。ゴルフして最後まで仲の良い夫婦はいないということで、10年くらい前にコンペで仲良くゴルフしていたら「あなた方は本当の夫婦?」と疑われてしまいました。それでも、妻はマイペースで、体調の悪い時はおかしな行動を取るので、当時は内心腹が立つことも多かったのは事実です。

 社長とか指導者は、家庭でも同じ言動をして家族から嫌がられることもよくあります。人々にちやほやされることを当然として生きると、いつの間にか親しい友がいなくなり、誰にも相手をされなくなってしまいます。別に社会的地位や権力がなくても威張りたがる人はいるものです。自慢話をする人は、神の目を意識していない人かもしれません。

「悪者どもは、放言し、横柄に語り、不法行う者はみな自慢します。」(詩編94・4)。

 「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。」(詩編40・4

 私自身は、献身者になってから、毎年多くの試練があり、自分の思い通りになったことは殆どありません。それらに地団駄を踏み、喚き苦しんだことは数限りなくありますが、それで解決したことはありません。ただ忍耐し、なすべきことを行い、毎日を過ごす中で解決したり、他の道が与えられたり、自分の過ちや弱さを教えられたものでした。

 それらの中にあって、掃除をしたり、片づけをしたり、人の世話をしたり、人に仕えることが、どんなに大事なことかわかってきたものです。指導者というのは、人々の利害が関わってくるので、不満や要求も突き付けられるものです。思い通りにならないことに苛立ち怒る者は、指導者としては不適切です。思い通りに動き働けない人々だからこそ、指導がいるのです。

 しかし、部下が指導者に対して文句や悪口を言い、敵対行動に出るならば、その人は、指導者の祝福や守りから外れることになります。高ぶる者や悪人は、人に仕えることができません。だから、人を指導することもできません。人々の弱さや罪性を理解し、執り成し、成長させ、勝利させようとするから、指導ができるのです。君臨し命令することは、指導とは違うのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト

2010年03月05日 | 社会・経済

 現代はアメリカ型利益志向社会であり、利益追求が第一となり、会社も務める人も利益と給与の拡大を願っています。私が経営学を学んだ頃は、ドイツ経営学というものがあり、地域や家族が助け合って共同体・組織を作るゲマインシャフトという考え方があり、他方ゲゼルシャフトという利益追及のための機能的組織があると教えられた。しかし、いまや社会は、すべてが利益追求のものとなり、排他的利益目標と選択が当たり前のものとなっています。

 医療機関というものは、医療や福祉を生きがいとする人々が献身的に仕事をするものだと思われていましたが、いまや若い人々の職業選択は、楽しく、かっこよくて給料が良いものというものに捉われている感がします。せっかく、時間をかけて人を育てても、自分に向いていないとか、キャリアを積みたいから他の仕事や資格をとる、というようなアメリカ型職業選択の考え方が多くなり、転職してしまうというケースが目立っています。

 親や家族に愛され大事に育てられてこなかった人々が、家族的伝統的共同体などはとても考えないでしょう。日本の医療はどうなっていくのでしょうか。社会はどうなっていくのでしょうか。自分勝手な人々の中で、信念をもって犠牲的に生きるということは、非常にツライものがあります。つらく苦しく困った時に、友人たちに助けられる時が多くあります。

 この友人たちは、やはり耐え抜いて信念を持ち、意地でも喜んで楽しく生きようとした人々であり、だからこそ出会いがあり、またその簡単な出会いが運命的なものとしての交流になっていくのです。ゲゼルシャフトの中に、ゲマインシャフトの共同体がある。まさに、そのような実感を持ちます。

 現在、人生を味わいながら、患者のために社会の犠牲者のために信念をもって生きる人、特に管理栄養士を求めています。看護師も同様です。医師も必要です。精神科は本当に始めたいものです。うつや統合失調症、自閉症、ADHDの方々を助ける仕事を一緒にしませんか。どうぞ、ご連絡をください。でも、なかなか厳しいものですよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする