crossroadからのお便り

柏崎久雄が、いろいろな人との出会いや出来事を「交差点からのお便り」(クロスロードノート)として報告させていただきます。

天職をもって生きる

2010年01月31日 | 社会・経済

 

父と母の歩みとその和やかな生活を懐かしく思い起こします。父は、東京の尾久で下駄屋を営んで人も使っていたそうです。戦争で前橋に移り、軍需工場で班長を務めていた後、部下の失敗の責任をとって辞めた後、職人用の草履を作り始めたようですが、詳細はわかりません。草履の裏は自転車のタイヤを使います。古タイヤの耳を切り、洗って干し、それを逆に巻いて長時間蒸して平らにします。草履の形に切ってから、草履表に縫い付け、最後にきれいに切り揃えます。鼻緒もぼろ切れを芯に詰めて仕上げます。それを朝から夜遅くまで続けます。近所の人は母の人柄を慕い、父とも話をするのを求めて縁側に立ち寄ります。父は人の話を黙って聞き、母は相槌を打ちながら、お茶と茶菓子或いは漬物を出します。私はそれらの話を聞きながら、漫画の本を読むという毎日でした。多くの人が父を恩人とか世話になったとか言って挨拶に来るのですが、平凡な草履職人の父のもとに人が集まるのが不思議でした。

 職人というのは、自分の仕事や芸で人を喜ばせ満足させるのが生きがいでしょう。彼らは権力に屈せず、顧客にも媚びず、自分の仕事のできの良さを磨くことを信念とします。人を喜ばせ満足させるためには、良い物を安く売ることを信条とし、清貧に甘んじる他はありません。そして、それが誇りなのです。理不尽なことに頭を下げることを拒み、父が職人として人生を貫き、働き続けたことを思い起こします。

 就職の面接の時に、キャリアアップのためにと書く人がいて驚きます。会社は、その人のキャリアアップに利用されるということですから、それで採用するところがあるのでしょうか。確かに、思い通りにならないと直ぐに辞める人が多くなっていますが、採用する側としては、3年以内に転職を重ねている人は、採用する気にはなれません。仕事が身に付き、しっかりと顧客の為に働くことができるには2年は掛かるので、それ以前で辞める人は形だけの技術しか身についていないと思われます。つまり、仕事に感動のない人は、仕事を続けることもできず、仕事も身に付かず、生きがいも人生も確立しないと思われます。

 天職というのは、神が人を喜ばせ仕えるためにその人に与えた使命であり、その仕事を通して、地上の人生が問われるのです。そういう意味でも、クリスチャンは自分の仕事に神の召しを確認することが必要で、そのことによって地の塩としての使命を果たすのです。

いやいやながら働く人や、愚痴を言う人に神は知恵を授けられません。給料が良い仕事、楽しい仕事、目立つ仕事、いろいろと願いはあるかもしれませんが、職人の気持ちとは遠いように思われます。何よりも、欲望を満たす仕事によって、「神の霊に満たされた。」ということはないでしょう。

 自分に与えられた天職に献身して人生を過ごすならば、なんと充実した生き方ができることでしょうか。天職に引退はありません。自分の技を磨き、人と助け合って、仕事をしていくのです。他人の作った物にいくら手を掛けても、素材と基礎が悪ければ良くはならないものですが、私たちは大きな物、目立った物にケチをつけ、関わりたがるものです。また、他の物を利用したがるものです。自分でコツコツと作り上げなければなりません。そして、毎日毎日、少しずつ出来上がることを喜びとするのです。

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ヨーゼフという由来

2010年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 アブラハム、イサク、ヤコブ、と続いた4代目がヨセフで、株式会社ヨーゼフは、私自身が彼のような生涯を歩みたいという意味合いで付けられました。実は、ヨセフはJOSEPHなのですが、ホームページのドメインを事前に取ろうとしたら、既に使われていたのでYOZEPHと勝手に変えて作ったのです。このヨセフは全きヨセフと言われ、暴力を受け攻撃され騙され裏切られ忘れられ、どんな状況でも誠実に歩んだ人間です。

 聖書の箴言には以下の言葉があります。

「悪者は自分の悪によって打ち倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。」14: 32

「知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。」14: 16

「主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。」8: 13

「熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る。」11: 27

 世の中には、いろいろな人がいます。思わぬこともあります。しかし、自分の思う通りにならないからと言って、腹を立てたり、攻撃したり、悪を行ったら、結局は自分の身に破滅を招きます。ヨセフと思うと、どんなことがあっても誠実に歩まなければならないと自戒することができます。会社を作り、社会で生きるということは、いろいろなことを覚悟しなければなりません。そのような決意を込めて名付けた名にふさわしく歩む会社になって行きたいと願っております。

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母リベカの決断

2010年01月17日 | 礼拝説教より

 アブラハムの子イサクは40歳で結婚しましたが、60歳まで子供が生まれませんでした。ようやく生まれたのが双子で、まったく性格の違う兄弟でした。兄のエサウは粗野な人で欲望に走り、一人勝手に野を歩いて猟をしていました。祖父アブラハムの「カナン人の娘の中から私の息子の妻をめとってはならない。」(24・3,286)とある言いつけを簡単に破り、何人ものカナンの娘を妻としていました。それだけでなく、それが親に嫌われているとわかると叔父イシュマエルの娘を更に妻としました。イシュマエルも粗野な人で、エジプトの娘と結婚していたのでした。ヘブル書にはエサウのことを「俗悪な者」と指摘しており、ローマ書は神様が、「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」(9・13)と記しております。

 他方、弟のヤコブは穏やかな人であり、天幕で家族と一緒に住みながら家畜の世話をしていました。当時の状況ですから、ヤコブも若い時は、欲も持っており、知恵におぼれることもありましたが、神への一途な信仰も持っていました。俗悪で不信心な兄が長男の祝福を軽んじているのが我慢ならずに、兄が獲物を得られずに空腹で猟から帰ってきた時に、レンズ豆の煮物を食べたがったので、「長子の権利と交換」と言うと、簡単にエサウは応じてしまったのでした。

 母リベカはエサウの不信心が嫌いでした。信仰者が信仰を馬鹿にする人を嫌うのは自然なことです。夫が年をとって弱気になり、長男の祝福をするという時に、それを聞きつけて危機感を感じます。創世記27章7節の「死ぬ前に主の前でおまえを祝福したいのだ。」という言葉を聞いて、エサウがどれだけ真剣にそれを受け留めたかは疑問です。しかし、信心深いリベカは、それを聞いて、こんな不信仰な長男に跡を継がせてはならない、と考えたのです。

 父親は、論理で物事を考えるくせがあります。信仰は持っているのですが、状況に対応させるよりも、よほど問題があっても原則に従おうとします。当教会の理念に「状況に左右されず」とありますが、その後に「聖霊に聞き従い」とあり、柔軟な判断が聖霊に導かれて行われることが大事です。さすがのイサクも年老いてきたのでしょう。

 ヤコブは、兄の気性の激しさと父の性格の一途さを心配します。生涯を忍耐と誠実で生きてきたイサクにとって、息子に欺かれるのは耐え難いことだとヤコブは理解するのです。しかし、リベカは言います。「わが子よ、神も父もそんなことをするはずがないけれど、あなたがもし呪いを受けなければならないことがあったとしたら、私が受けます。しかし、勇気をもって、なすべきことをしなさい。決して俗悪な者に専横を許してはなりません。」

地の塩として、リベカは不信仰で悪辣な者をたとえ息子でも許せなかったのです。日本人は、寛容ということを履き違えています。悪いことを悪いと指摘し、罰しないから悪がはびこるのです。成人式の行状は、はっきりと罰しないから起こることです。

 リベカの判断と行為の正しさは、その後の二人の歩みによって証明されます。ヤコブは、神に請願して歩み(28・22)、神の祝福を勝ち取る(32・29)ことになるのです。そして、ヤコブはイスラエル(神は争われる)(神の王子)という名前を与えられるのです。

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妻のスリッパは5足!?

2010年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 我が家は床暖房で妻はスリッパをすぐ脱いでしまう。ところが、玄関は寒いのでスリッパを履こうとするが、自分のものはどこかに脱ぎ忘れたので、違うのを履く。ご飯を食べているうちに足癖が悪いので、いつの間にか脱いでしまう。そして、他のところで、以前に脱いでいたスリッパを履く。しかし、そのうちにまた、どこかで脱ぎ忘れる。外に出る時は、スリッパは玄関には履いていかないけれど、帰ると必要になるので、新しいスリッパを履く。そういうわけで、家中に妻の脱いだスリッパがある。しかし、私のスリッパだけは、遠慮して履かない。

 ところが、日曜日に帰ると私のスリッパがない。どうしたかと探し回ると長女が履いていた。この娘も他人のスリッパを履いては、脱ぎ忘れるので妹たちは、姉が帰ると自分のスリッパを探し回ることになる。こういうことも遺伝なのだろうか。そういうわけで、長女には決して外科医にはならないように注意したので、内科医として評判が良い。子供たちにもお年寄りにも評判が良いのは母譲りだろうけれど、手術などでメスや器具を体内に忘れたりしないように、外科には決してならないように注意したが、自覚もあったらしい。面白い母娘である。

 ついでに言うと、妻はいつも前進思考なので、後ろを振り返って戸を閉めることが殆ど無い。この寒いのに開けっ放しである。私が閉めて歩きながら、じっと妻の顔を見つめると、嬉しそうに笑いかけてくる。忠告しようと思い、ゆっくりと見つめたのであるが、これでは怒れない。そういうわけで、私はいつも妻の執事のような役回りとなる。まあ、人生、自分のするべき役回りがあることは、生きがいを与えることになる、と思うようにしている。結婚30年の春。

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家系

2010年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 子供たちと正月に温泉に行ってきました。柏倉温泉太子館といって、父の母の実家であり、聖徳太子の55代目が現在の当主で太子神社の神主だそうです。男の子が生まれなかったので、私の父の新三郎の養子の話が進んでいる時に、先々代の岩雄さんが生まれたので、その話は取りやめになったようです。兄や姉は戦時中にそこに疎開に行っていたそうですが、きれいな個室の揃った良い旅館でした。

 また、妻の実家にも行ってきました。83歳になる母親は、今年は兄の市長選挙があるので気張っており、自分が頑張らなければ申し訳ないと、ボケる様子もなく動いていました。その母のことを妻はあまり知らないので、聞いてみると、祖父は満鉄に努めていたので、大連で生まれ、女学校までそこで学び、大学は日本に帰ってきたけれど、終戦の時は不在地主で土地を取られて大変だったと語っていました。実家の2代前は神向寺という姓で、神向寺村という土地が地所だったと聞いていますが、現在は鹿島アントラーズのスタジアムがある場所です。その歳で大学に行き、ピアノも琴も習っていたというのですから、才女だったのでしょうね。顔立ちは妻に良く似ており、私たちの長女の主愛も似ていて、「私たちは3代そっくりなのよ。」とおばあちゃんは喜んでおりました。神向寺家のことはよくわかりません。ご存じの方はお知らせください。

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1月のお知らせ

2010年01月03日 | マリヤ・クリニック

診察は、6日(水)より始まります。

*新型インフルエンザ予防接種について
現在十分なワクチンがあります。基礎疾患、妊婦、一歳から六歳、小学生の年齢に相当する小児、0歳児の保護者、中学生、高校生、65歳以上の方は受付をしています。接種希望来院日を予約していただきますようお願いします。なお13歳未満は2回接種です。また季節型のワクチンは、まだ若干ありますので、ご希望の方は連絡をください。

* 感染症の方は廊下の入口から
インフルエンザ、風邪、おたふくかぜ、はしか等が疑われる方は、中央通路わきにあるインターホンでご連絡ください。状況を確認して感染症患者待合室に誘導しています。院内感染を避けるためご協力ください。病態別に隔離して診察しますので、ご安心ください。

*予防接種について
就学前一年間の麻疹・風疹予防注射(無料接種)がまだお済みでない方はなるべく早く接種をお奨めします。
*特定健康診査は、1月31日までです。ご希望者はお早めに受診ください。
* ビタミンC点滴療法について
ガン治療の選択肢として、体調維持と治療のため、副作用の無いビタミンC点滴療法があります。
*低血糖症治療の会が1月28日(木)に開催
今回は、院長から低血糖症の症例報告とともに、管理栄養士から、消化吸収メカニズム、低血糖症を起こしやすいその他の疾患、腸内除菌について行われます。場所は、当院ビル内3Fのエステルホールです。なお詳細はお問い合わせください。(043-207-6035まで)
*聖書を読む会1月12日(火)2時~2時20分
待合室にて行います。どなたでも参加できます。

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あけましておめでとうございます。

2010年01月02日 | マリヤ・クリニック

明けましておめでとうございます。

昨年を振り返るとビル取得後の修理や回収・買換えなどの支出が膨大で、人員の整備も含めて移転拡張の大事業だったのですが、どうにか乗り越えて、患者さんにも治療にも環境的に整ってきたと思われます。Huuhu_3

低血糖症の治療と啓発も進展し、私たち夫婦が参議院議員会館で議員や役人を相手に勉強会をして、その必要を認めてもらい、科学調査に向けて大学病院とも提携できたことは感謝でした。「低血糖症と精神疾患治療の手引」も売れ続け、1月に再版となります。

治療の会の催す回復の会では、研修生が多くの改善をみせました。他の病気でもそうですが、本人の治ろうとする自覚が治療の鍵であって、研修によって治る方法とその理由を伝えられたのが大きいと思います。治そうとする意識のない人は、どんどん体調を崩し、回復が困難になっていきます。そういう面で家族の支えと理解、そして本人の自己管理意識は大事なものです。

さて、今年は幾つかの願いをもっています。院長は子育ても終え、「これからが私のやりたいことの本番よ。」と充実しながら、夜食後も質問への対応や紹介状など働いています。昔は私がリードしていましたが、最近は体力・知力・気力それぞれ1歳下の妻に負けそうになり、最後は教養と趣味と思っていましたが、クリスマス・パーティーでは妻のピアノが大好評で、私の独唱への褒め言葉もお世辞のような気がしています。それでも多くの患者さんが参加して楽しいものでした。マーサにいる時も遠慮なく声をかけてください。

世界的構造不況が深刻になる一方です。仕事やお金中心の生き方が見直されるべき時です。医療も薬剤や手術を投入することによる治療が見直されて、 生活や食事と結びついた身体に害のない治療法が模索されてきていますが、代替医療として副次的な扱いです。不況や病気の中でこそ、真実な生き方が問われます。生き方を再検討する時ですね。   

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