crossroadからのお便り

柏崎久雄が、いろいろな人との出会いや出来事を「交差点からのお便り」(クロスロードノート)として報告させていただきます。

バーベキュー・パーティー

2010年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

我が家で社員と一緒にバーベキュー・パーティーをやりました。午前中は研修会で業務の検討を繰り返し、午後は4時半まで16名で肉9キロ以上を食べつくしました。皆さんには申し訳ないけれど、そのメニューを披露します。

スモークチーズ・エッグ・牛モモのスモークと香味サラダ、ハーブ・ティー

スモーク・ロースト・ビーフ(リブロースのブロック800g) わさび醤油

スモーク・ソーセージ(100g×10) 洋がらし(調理済)

スモーク丸鶏(1.3g)、新じゃが・ニンジン・椎茸・キャベツ等のダッチオーブン煮込み

ロース牛(500g)とキャベツ・椎茸・モヤシのバーベキュー

スモーク・ ベビーバック・リブのバーベキューソース網焼き(2.1kg)

カキのバター焼き

ティータイム 荒挽きコーヒーのやかん煮出し 

牛モモ肉スモークのダッチオーブン・ハーブスモーク(2kg)

サーロイン・ステーキの網焼き(1kg)、新ジャガ蒸しのバター添え

リブロースのあぶり焼き

リンゴのダッチオーブン焼き

 9kg以上の肉を、まさか食べられないだろうと考えていたのですが、若い人ばかりなので、食べきってしまいました。すべて私が4日間かけて夜に準備をしたものです。最近は、食事について、○○のメーカーのドレッシングがうまい、とか、どこのインスタント食品がうまいとか、長い話をしている人々が気になっていました。

 6種類の肉をすべて違う料理法で作り、出来具合でも微妙に味付けを変えます。こういうことは、何十年の味道楽の結果ですが、タレでごまかした焼き肉屋でお金を使うよりも、良い肉を奮発して買い、料理法や味付けを夫婦で研究する方が、よほど楽しく経験になります。高級レストランもたまには行かないと、味わいはわからないものです。人生を楽しむということを従業員に教えたく思って企画しました。今度はお茶やコーヒーの煎れ方を教えようかと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向精神薬の服用について

2010年11月06日 | 健康・病気

 日本では、うつ病の原因はセロトニンとノルアドレナリンの不足であるとされています。確かに、セロトニンは心に大きな影響を与えます。また、ストレスによってセロトニンの分泌量が増えるのも事実です。しかし、だからと言って精神に大きく影響を与えるセロトニンを薬で摂取して常駐させてよいのでしょうか。シナプスに放出されたセロトニンは、本来8割が再生されます。セロトニンは、トリプトファンという必須アミノ酸から合成され、ビタミンB6も必要です。必須アミノ酸とは、体内で作られないので食事で摂らなければならないというものです。ビタミンB群は体内でエネルギーを作り出すために必要なので、B6単体ではなくB群として摂ることが大事です。つまり、不足しているのならば、それを作り出す食物を摂るというのが、栄養医学の考え方です。
 他方、現代医学は薬剤や外科的手術など対症療法が基本ですから、不足しているものを薬として外部から補うという立場をとります。SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)とは、セロトニンの取り込みを阻害してセロトニンの濃度を高く維持しようとするものであり、SNRIとは、セロトニンとノルアドレナリンの再取り込みを阻害して濃度を高めるのですが、効用が逆の両者の濃度を高くするというのは無茶なやり方ではないでしょうか。また、その原料としてのセロトニンやアドレナリンをどのように補給するのでしょうか。
それでは、精神科や神経科でセロトニン量を測定して処方しているかというと、ただ症状を見て医師がセロトニン製剤を処方しています。2009年6月にNHKの「クローズアップ現代」で「抗うつ薬の死角―転換迫られるうつ病治療―」で、SSRIの不適切な投与により傷害行為に及んだ事例が報告されました。SSRIの急激な増減は、危険であり、体調に合わせて頻繁に投薬量を増減してはいけないものです。マリヤ・クリニックでも、向精神薬の摂取者の減薬には非常に注意しております。SSRIは製品名パキシル・デプロメール・ルボックス・ジェイゾロフトで、SNRIは製品名トレドミン・サインバルタです。なお、これらは薬事法で劇薬に指定されているものがあります。
 体内にあるセロトニン量は10mgと少量で、90%は小腸粘膜にあり、8%が血小板に、2%が中枢神経系にあり、精神活動に影響を与えるそうです。このような少量のものを薬で常時、多く分泌したままにするというのは、神経伝達物質の本来の働きからみても、健全なものではないと考えております。
 さて、私達が憂慮しているのは、このような精神神経症状に対して薬物療法が安易に行われていることです。長崎県の公的ホームページには、このように書かれています。「うつ病の人の脳内では『セロトニン』や『ノルアドレナリン』が減少していると云われています。神経細胞と神経細胞との間にあって情報を伝えている物質が枯渇しているわけで、いわば“脳のガソリン切れ”と理解して下さい。その結果として、意欲の低下、集中力・持続力の低下、興味喪失、抑うつ気分などが生じ、これらの症状は2週間以上、通常3~6ヶ月持続します。完全に治癒する病気ですが、充分な薬物療法が出来ていない場合など、1~2割は半年以上長引くと云われてます。」治療としては、「『セロトニン』や『ノルアドレナリン』の量を増やす作用を持つ抗うつ剤の服用が第一です。次に大事なのが充分な休養です。」と書かれ、中高生にパンフレットが配られています。
 一度、向精神薬を服用すると簡単には止めることができなくなり、前述のように体調による増減は却って、症状を悪くします。また、服用者はどなたも、症状は軽減するけれども、体調が悪くなり、薬を止めることは生涯できないと医師に言われて愕然とすることが多いようです。それなのに、「完全に完治する病気ですが」と書かれ、「充分な薬物療法ができていないと長引く」と恐怖心を与えています。
 高名な精神科医が「SSRIは従来の抗うつ薬に比べると、副作用の出現率は極めて低い。」と述べていますが、事実は【従来の抗うつ薬の副作用発現率→アモキサン17.39%、テトラミド13.40%、SSRIの副作用発現率→パキシル68.5%】と全く違うのが実状です。他の精神科医も「現在いろいろな薬が使われていますが、一般にどの薬も恐ろしい副作用はありません。中でも抗うつ薬は一番安全性が高い。」(信濃毎日新聞)「(抗うつ薬で)違う人格になることなどありません。抗うつ薬は"強い薬"というのも誤解。」(熊本日日新聞)と述べていますが、医薬品添付文書には、「重大な副作用」という項目があり、セロトニン症候群、悪性症候群、錯乱、幻覚、せん妄、痙攣などが列挙されている。また、攻撃性が高まり、人格が変わったように他人に暴力を振るう危険性が厚生労働省によって指摘されています。
 さて、私どもはこのように向精神薬の危険性を訴えておりますが、それを知って過激な対応をする方々にも心配しております。重度の統合失調症の方には、とても栄養医学だけでは対処できません。どのようにして、そのような状態になったかは、それぞれそれなりの理由があると思います。大事なことは、精神科医を含めた医師と協力して、病状を改善していくことです。但し、精神科医も十分に選択吟味して、良い医師を探していくことが大事かと思います。状態の悪い時に入院措置を取ってもらうために、最寄りの医師にただすがっているようなことは良いことではありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風土が作り出す人物

2010年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 私は赤城降ろしと言われる空っ風と、雷そして、濁流荒れ狂う利根川を体験しながら育ちました。高校時代は、世に飲まれる友人たちを見ながら、この利根川のように雄大に流れ、いざという時には岩をも流す人物になろうと、毎夕利根川を眺めに河原に通ったものです。

 司馬遼太郎は風土が人間を作り出す、と書きましたが、薩摩には桜島を見つめて育った英雄が多く輩出してきたようです。竜馬伝や篤姫など、NHKの大河ドラマは時代に必要なテーマを流していると思いますが、現代には西郷隆盛のような英雄、大人物が待望されるところですP1010296_2

 鹿児島の大病院慈愛会の納光弘会長の描かれた日本画には、本当に圧倒されます。私は、いつしか落ち着いたら絵を描きたいものだと考えておりましたが、このような絵を観ると、その絵の迫力と描いた人物の気力に自らの未熟さを思い知らされます。 この絵は、鹿児島市立病院に納先生が寄贈されたものだそうで、わざわざ見に行きましたが、やはり絵に負けています。納先生は、毎朝3時に起きられて2時間絵を描かれているそうですが、医療の面だけでなく、指導者としても、大変な実績を残されている方です。

Photo_3 次の絵は、日展に入選された「明けゆく」という絵ですが、六本木の国立新美術館で12/5まで展示されています。西郷隆盛は、訪問した家に迷惑を掛けるといけないというので、人が出てきて気がつくまで、その人の家の前に立ち続けた、という人物です。また履いてきた下駄がないことを知らせると迷惑が掛かると思い、裸足で城から帰ってきたということです。たとえ、岩に砕けても、信念には無駄はありません。

  これらの絵を観ると人格が揺さぶられ、多くの人の啓発になるかと思ます。自分が宗教者であり、牧師などと師という名前で呼ばれるのは、恥ずかしく申し訳ないものです。

 人は総合力が大事だと思っております。能力が優秀で大事業、大仕事をやり遂げたところで、その人の人間性が卑屈であり、人を愛していなければ、何のことはありません。その人生は軽い、と片付けられてしまうでしょう。

 大言を吐いてしまったので、自分自身のチェックポイントをお教えしましょう。私は、食器洗いをまったく普通になにげなくできるかどうかが、自分の健全性の尺度だと考えております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする