ヘンリク・グレツキ氏(作曲家・ポーランド)がご逝去されたことを知って、数日が過ぎる。
そして、佐野洋子氏(児童文学/絵本)のご逝去を、続けて知る。
お二人とも分野/表現は違うが、僕は心から尊敬していた芸術家だった。寂しい。
グレツキ氏、11月12日カトヴィツェの病院にて、とのこと。
氏の代表作、あの『悲歌のシンフォニー』は、現代音楽というワクを、クラシックというジャンルを、飛び越えて世界中の人の心を動かした音楽だ。ヒットチャートにも上り、経済的にも画期的だったが、それは単に売れる売れないということを超えて、本物はやはり多くの人の心に届くということの証でもある、やはり人は芸術を求めていると、大いに勇気づけられた。
荘厳この上ない音の層が重なりに重なり、やがて「歌」が湧きあがってゆく。落ち着いたメゾソプラノによって切々と歌い込まれてゆくメロディは、限りない優しさ美しさを胸の奥の奥まで届けてくれる、しかしそのメロディは、アウシュビッツ強制収容所に遺された言葉たちに添えて作曲されている。悲しみの極限からの声だ。
アウシュビッツ。そこをこの目で見なければ大人になれないのではないかと、なぜか僕は思っていた。そこに行って帰国した後、人が変わったと言われた。大学を出てすぐに旅した。革命前夜のポーランドは、共産主義政権下の重苦しさを存分にたたえ、しかしすでに壊れてゆく事が肌で感じられるような雰囲気に満ちていた。わずかなドル札が現地通貨では札束に換わり、その札束でスープとパンを食す。首都ワルシャワや「連帯」の本拠グダニスクをたずね、オシビエンツィム(アウシュビッツ)に行った。まぶしい冬の光が輝く、のどかな田舎。そこに一本の線路が遺され、それは収容所の門をくぐってプツリと途切れていた。その線路の最後の場所に、バラの花束が置かれていた。あとは、ただただ広大な草原があり、鉄条網と無数の収容棟が冷たい幾何学で広がっていた。そのなかに、あのガス室もあった。収容棟のなかには、想像を絶する靴の山が、髪の毛の山が、ひたすら続く死者の遺影が、あった。すべては、ただただそこにあり、静かに風が吹いていた。時の風でもあった。すぎゆく時の風が、癒しがたい場所をただただ吹きぬけていた。鉄条網の外には麦畑がひろがり、人はイノチの糧を育てていた。その空気を浴びながら、僕のなかで、「哀しみ」という感情が初めて始まっていた。グレツキ氏の『悲歌のシンフォニー』を聴くとき、あのときの風景を温度を風を、まざまざと思い出す。思い出しながら、僕は考えてゆかざるを得なくなる。「哀しみ」について、「優しさ」について、「存在すること」について・・・。
佐野洋子さんといえば、『100万回生きたねこ』。この絵本にも、哀しみは宿る。優しさへの始まりが、宿る。
猫がひとり、ある時は王の猫、ある時は泥棒の猫、ある時はひとりぼっちのお婆さんの猫となり転生を繰り返しながら、唯一、自分に関心を示さなかった一匹の白猫に恋をする。初めて生きる喜びを感じながら、共に暮らし、白猫はたくさん子供を産み、やがて年老いて死ぬ。そして初めて悲しみ、初めて愛を感じ、泣き続け、やがて自らも彼女の横で動かなくなり、もはや生き返ることが無くなる。
この絵本は、先述の『悲歌のシンフォニー』とともに、僕にとっては大事な何かを授けてくれた。
生きることについて、愛することについて、やがて消えゆき、空とひとつになることについて・・・。
僕はあまりにも何も知らない。生を重ねれば重ねるほど、何も知らないことを、知ってゆく。
何も知らないことを知りながら、少しの喜びの貴重さを、少し少し、味わってゆく。
時の風が吹き抜けるなかで、小さくも確かにここにあることを、存在なることを、じわじわと感じてゆく。
そして、泣いたり笑ったりを、味わってゆく。
尊敬する人が天国に行かれるのは悲しく寂しい。しかし、同時に、新たな志へと結びついてゆく。
この人たちからもらったものを濁したくない。存分に、出来る事をやってゆきたい。そんな気持ちが、湧きあがってくる。
そして、佐野洋子氏(児童文学/絵本)のご逝去を、続けて知る。
お二人とも分野/表現は違うが、僕は心から尊敬していた芸術家だった。寂しい。
グレツキ氏、11月12日カトヴィツェの病院にて、とのこと。
氏の代表作、あの『悲歌のシンフォニー』は、現代音楽というワクを、クラシックというジャンルを、飛び越えて世界中の人の心を動かした音楽だ。ヒットチャートにも上り、経済的にも画期的だったが、それは単に売れる売れないということを超えて、本物はやはり多くの人の心に届くということの証でもある、やはり人は芸術を求めていると、大いに勇気づけられた。
荘厳この上ない音の層が重なりに重なり、やがて「歌」が湧きあがってゆく。落ち着いたメゾソプラノによって切々と歌い込まれてゆくメロディは、限りない優しさ美しさを胸の奥の奥まで届けてくれる、しかしそのメロディは、アウシュビッツ強制収容所に遺された言葉たちに添えて作曲されている。悲しみの極限からの声だ。
アウシュビッツ。そこをこの目で見なければ大人になれないのではないかと、なぜか僕は思っていた。そこに行って帰国した後、人が変わったと言われた。大学を出てすぐに旅した。革命前夜のポーランドは、共産主義政権下の重苦しさを存分にたたえ、しかしすでに壊れてゆく事が肌で感じられるような雰囲気に満ちていた。わずかなドル札が現地通貨では札束に換わり、その札束でスープとパンを食す。首都ワルシャワや「連帯」の本拠グダニスクをたずね、オシビエンツィム(アウシュビッツ)に行った。まぶしい冬の光が輝く、のどかな田舎。そこに一本の線路が遺され、それは収容所の門をくぐってプツリと途切れていた。その線路の最後の場所に、バラの花束が置かれていた。あとは、ただただ広大な草原があり、鉄条網と無数の収容棟が冷たい幾何学で広がっていた。そのなかに、あのガス室もあった。収容棟のなかには、想像を絶する靴の山が、髪の毛の山が、ひたすら続く死者の遺影が、あった。すべては、ただただそこにあり、静かに風が吹いていた。時の風でもあった。すぎゆく時の風が、癒しがたい場所をただただ吹きぬけていた。鉄条網の外には麦畑がひろがり、人はイノチの糧を育てていた。その空気を浴びながら、僕のなかで、「哀しみ」という感情が初めて始まっていた。グレツキ氏の『悲歌のシンフォニー』を聴くとき、あのときの風景を温度を風を、まざまざと思い出す。思い出しながら、僕は考えてゆかざるを得なくなる。「哀しみ」について、「優しさ」について、「存在すること」について・・・。
佐野洋子さんといえば、『100万回生きたねこ』。この絵本にも、哀しみは宿る。優しさへの始まりが、宿る。
猫がひとり、ある時は王の猫、ある時は泥棒の猫、ある時はひとりぼっちのお婆さんの猫となり転生を繰り返しながら、唯一、自分に関心を示さなかった一匹の白猫に恋をする。初めて生きる喜びを感じながら、共に暮らし、白猫はたくさん子供を産み、やがて年老いて死ぬ。そして初めて悲しみ、初めて愛を感じ、泣き続け、やがて自らも彼女の横で動かなくなり、もはや生き返ることが無くなる。
この絵本は、先述の『悲歌のシンフォニー』とともに、僕にとっては大事な何かを授けてくれた。
生きることについて、愛することについて、やがて消えゆき、空とひとつになることについて・・・。
僕はあまりにも何も知らない。生を重ねれば重ねるほど、何も知らないことを、知ってゆく。
何も知らないことを知りながら、少しの喜びの貴重さを、少し少し、味わってゆく。
時の風が吹き抜けるなかで、小さくも確かにここにあることを、存在なることを、じわじわと感じてゆく。
そして、泣いたり笑ったりを、味わってゆく。
尊敬する人が天国に行かれるのは悲しく寂しい。しかし、同時に、新たな志へと結びついてゆく。
この人たちからもらったものを濁したくない。存分に、出来る事をやってゆきたい。そんな気持ちが、湧きあがってくる。