つけっぱなしのテレビにちらっと映った宇田川榕菴(うだがわようあん)という人のことが、気になっている。
コーヒーに珈琲という字をあてたのが、この人なのだとかそんなことをやっていたみたい。で、榕菴は江戸時代の蘭学者なのだけど、この人がこしらえた造語に、僕らはずいぶん世話になっているみたいなのだ。
宇田川榕菴。なんと彼は、「物質」という言葉を造った人だという。
これは、ものすごいことだと思う。逆想すれば、榕菴以前のひとびとには物質という言葉が無かったということだ。物質という言葉が無かった、というのは、物質という概念もまた無かったということに近いのだろうか。う~む。いまとなっては想像しにくい状況である。
「酸素」という言葉も榕菴がつくった言葉だという。「水素」「炭素」「窒素」もしかり。そして「細胞」も「結晶」も「法則」も「圧力」も、いづれも彼の造語なのだ。
もう、びっくりである。
ものすごいクリエイティビティーだと思う。
言葉を造るというのは、人の思考回路を大きく変化させることなのではないか。
もしや、それは人間の認識や考えに対する、一種の革命行為なのではないだろうか。
なんて、思えてくる。
これはなんだろう?これを何と呼ぶべきか?
呼びようのない何かが、目の前に出現する。
そのことごとくに対して、誰かが興味を深め、考え、言葉をいっぱい造りだしてきた。
その恩恵にあずかって、僕らは何かを考えたり何かと関わりを深くしてきたのだろう。
思えば、言葉というものは最初からあるものではない。
言葉というのは、全て、
ひとつひとつ、誰かが造ってきた一種の作品だったのではないかなあ、
と、思えてくる。
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