生成AIの著作権はないという、つまり生成したものに著作権は存在しないということである。これもよくわからないけれど、いわゆる機械が作ったものだから、勝手に人間がそう解釈しているということだろうけれど、今にかぎったことであろうけれど、つまり将来はあっさり変更になるかもしれないし、状況が変わったということで、変更されるのではないかと思われる。
なぜなら、生成AIの能力は発展途上だからである。これからどんどん進化して一般的な人間を凌駕することがじゅうぶん考えられるし、当然視されてもいる。
そういうことを踏まえてさらに考えると、生成AIが発展進化していくには、学習させなくてはならない。AIは学習してはじめて進化していくのである。人間と似ているともいえる。
そこでじゃあ、ふと気づくのだけれど、学習するときの彼らが読んだり見たりする、データ、ネット上の新聞記事やブログの記事、画像などなどは、著作権があるけれど、勝手に自由に見たり読んだりして学習していいかといえば、見たり読んだりは、ふつうの人間相手ならそれを望んでいる面もあるけれど、明らかにそれをもとにして生成AIが学習し、もとの著作権者の利益や尊厳やなどを侵害するようなことがあるのだとすれば、自由とか無著作権というふうになると、そうではないだろうということは、一般人からすると、当然であると思うし、まして人類の存在を危ぶませる可能性もが指摘されている生成AIなら、当たり前のことであろう。
一歩立ち止まってもいいのではないか。
わたしたちが学習するとき、どれだけのカネを払って美術館へ行き、絵などを鑑賞し、本を買い、新聞を買ってたりして学習していることか、それはカネを払うのは著作物の作者に敬意を払っているからである。
ネット上の自由なコンテンツでも、相手が人間なら、そういう敬意や感謝の心などはあるものであるけれど、カネ儲け第一主義のAIはあやしいといえる。
今の世の中、基本的にはただで学習できるものはないのである。ただでというのは裏があるか(先々課金されるとか)、あるいはこのブログのように、作者は他者や社会への奉仕の精神でやっていることであって、第三者が、ネット上のブログなどの情報を転記したりこれを学習して、人にしろ生成AIが莫大なカネ儲けをし、将来、元の作者などの地位や存在を脅かすために奉仕しているわけではないのである。
少なくとも生成AIに関しては人類の脅威になる危険が取りざたされているわけで、学習する場合はAIの運営者側は立派に著作権料を払って学習するのが筋であると思う。
さる2023年、文化庁は10月20日、生成AIによるコンテンツの無断学習が著作権侵害にあたる場合もあるとする「AIと著作権に関する考え方」の素案を示したけれど、今年日経新聞では、学習における著作権は存在しないというのが一般的であるということをいう人(早稲田の上野達弘)の論説が解説みたいにして載っていた。
それを読むと、どうやら、日本は著作権者を保護しないことを選択したようなのだ。
政府官僚がカネ儲けで一致、
「機械学習が著作権法上、原則自由」などと勝手に決めたと思われるのである。文化庁の力は弱いといえる。
「情報解析」の規定といい、わけのわからない言葉を前面にし、
「これによって著作権者の許諾なしに著作物をAIに学習させることができます」という。
上野達弘・早稲田大学教授(政府官僚の仲間、いわゆるお抱えさまのような学者さん)もいっているけれど、
「このような規定は諸外国でなかなか見られない。『機械学習をするなら日本で』」とあちこちでふれまわっているようなのだ。
つまり日本はカネ儲け第一主義、なにをしてもよい、文化は破壊しても、OK、です。どうぞ生成AIの会社さんいらっしゃいということなのであろう。
日本が特に自民党政府官僚サロン人たちは、もしかして崩壊の瀬戸際、国民一揆勃発寸前、日本そのものを絶滅させそうになってきたので、カネ回りを少しでもよくしようと、藁をもつかむという感じかな、こっそり滅茶苦茶な暴挙に出て、人心の荒廃を招き、いっそうの日本地獄化を推進しつつある、その一つということができる。
著作権がないのでは、誰が大切な作品をネット上に載せるだろうか、これからは無料で庶民が楽しむネットコンテンツはなくなっていくということにもなるだろう。
悪循環ではなかろうか。
権力が難しい言葉を口にして
庶民のカネを巻き上げる常
何度聞いても理解できない、情報解析規定という言葉。
もう一度書くと、
「日本では、機械学習が著作権法上、原則自由。情報解析の規定といい、これによって著作権者の許諾なしに著作物をAIに学習させることができます」
NYタイムズはこのことでチャットGPTと法廷闘争をしている。
アメリカのほかのある大手メディアは、学習させるためにカネを受け取ることで契約を交わしている。
将来人にとって代わるかもしれない存在が、われわれのコンテンツを学習するにおいてただはないだろう。
なぜなら、生成AIの能力は発展途上だからである。これからどんどん進化して一般的な人間を凌駕することがじゅうぶん考えられるし、当然視されてもいる。
そういうことを踏まえてさらに考えると、生成AIが発展進化していくには、学習させなくてはならない。AIは学習してはじめて進化していくのである。人間と似ているともいえる。
そこでじゃあ、ふと気づくのだけれど、学習するときの彼らが読んだり見たりする、データ、ネット上の新聞記事やブログの記事、画像などなどは、著作権があるけれど、勝手に自由に見たり読んだりして学習していいかといえば、見たり読んだりは、ふつうの人間相手ならそれを望んでいる面もあるけれど、明らかにそれをもとにして生成AIが学習し、もとの著作権者の利益や尊厳やなどを侵害するようなことがあるのだとすれば、自由とか無著作権というふうになると、そうではないだろうということは、一般人からすると、当然であると思うし、まして人類の存在を危ぶませる可能性もが指摘されている生成AIなら、当たり前のことであろう。
一歩立ち止まってもいいのではないか。
わたしたちが学習するとき、どれだけのカネを払って美術館へ行き、絵などを鑑賞し、本を買い、新聞を買ってたりして学習していることか、それはカネを払うのは著作物の作者に敬意を払っているからである。
ネット上の自由なコンテンツでも、相手が人間なら、そういう敬意や感謝の心などはあるものであるけれど、カネ儲け第一主義のAIはあやしいといえる。
今の世の中、基本的にはただで学習できるものはないのである。ただでというのは裏があるか(先々課金されるとか)、あるいはこのブログのように、作者は他者や社会への奉仕の精神でやっていることであって、第三者が、ネット上のブログなどの情報を転記したりこれを学習して、人にしろ生成AIが莫大なカネ儲けをし、将来、元の作者などの地位や存在を脅かすために奉仕しているわけではないのである。
少なくとも生成AIに関しては人類の脅威になる危険が取りざたされているわけで、学習する場合はAIの運営者側は立派に著作権料を払って学習するのが筋であると思う。
さる2023年、文化庁は10月20日、生成AIによるコンテンツの無断学習が著作権侵害にあたる場合もあるとする「AIと著作権に関する考え方」の素案を示したけれど、今年日経新聞では、学習における著作権は存在しないというのが一般的であるということをいう人(早稲田の上野達弘)の論説が解説みたいにして載っていた。
それを読むと、どうやら、日本は著作権者を保護しないことを選択したようなのだ。
政府官僚がカネ儲けで一致、
「機械学習が著作権法上、原則自由」などと勝手に決めたと思われるのである。文化庁の力は弱いといえる。
「情報解析」の規定といい、わけのわからない言葉を前面にし、
「これによって著作権者の許諾なしに著作物をAIに学習させることができます」という。
上野達弘・早稲田大学教授(政府官僚の仲間、いわゆるお抱えさまのような学者さん)もいっているけれど、
「このような規定は諸外国でなかなか見られない。『機械学習をするなら日本で』」とあちこちでふれまわっているようなのだ。
つまり日本はカネ儲け第一主義、なにをしてもよい、文化は破壊しても、OK、です。どうぞ生成AIの会社さんいらっしゃいということなのであろう。
日本が特に自民党政府官僚サロン人たちは、もしかして崩壊の瀬戸際、国民一揆勃発寸前、日本そのものを絶滅させそうになってきたので、カネ回りを少しでもよくしようと、藁をもつかむという感じかな、こっそり滅茶苦茶な暴挙に出て、人心の荒廃を招き、いっそうの日本地獄化を推進しつつある、その一つということができる。
著作権がないのでは、誰が大切な作品をネット上に載せるだろうか、これからは無料で庶民が楽しむネットコンテンツはなくなっていくということにもなるだろう。
悪循環ではなかろうか。
権力が難しい言葉を口にして
庶民のカネを巻き上げる常
何度聞いても理解できない、情報解析規定という言葉。
もう一度書くと、
「日本では、機械学習が著作権法上、原則自由。情報解析の規定といい、これによって著作権者の許諾なしに著作物をAIに学習させることができます」
NYタイムズはこのことでチャットGPTと法廷闘争をしている。
アメリカのほかのある大手メディアは、学習させるためにカネを受け取ることで契約を交わしている。
将来人にとって代わるかもしれない存在が、われわれのコンテンツを学習するにおいてただはないだろう。